第49話 醜い
「それにしても、どうしてこんなグロテスクなモノに、何のためらいもなく噛みつけるんだろう? 気味悪いと思わないのだろうか?」
怪物の触手を両手で掴んでかじり付いている姿のままで動きの止まっている麗華の手の中や口の周りから、怪物の痕跡がゆっくりと消えて行くのを見ながら浅間は言った。
怪物の姿は細かい砂粒のようになりながら、しだいに透明になって見えなくなって行くのだった。
「それだけじゃないよな、病原菌とかウィルスとかアレルギーとか。
生理的にダメと感じる時って、そういうリスクを瞬時に判断してると思うのに。そういう方面でも無敵って事かな?」
昭島が無言でいるので浅間は続けてブツブツと言っていた。
「逆もある」
昭島は静かに言葉を挟んだ。
「え!?」
「人間の口の中は、考えてる以上に汚い。歯を深く食い込まされて、外皮を引きちぎり体液が出たから、むしろリスクが高いのは怪物かも知れん。
そこまで意識して自分の不快感は無視して攻撃したかも知れん。
まぁ、理性や知能による判断ではなく本能のような物だろうが」
浅間は昭島の言うことが咀嚼できずポカンとしていた。
「この、闘争心丸出しの表情。向かって来る物には瞬時に攻撃する瞬発力。文字通りに歯が立たないかも知れん物を、自らの歯で引き裂くまで食らいつくガムシャラさ。
浅間、お前は知らないが、最初の時からこの女はそうだった。あの時、流れが大きく変わったかも知れん」
昭島の脳裏に浮かんでいたのは、麗華が中学生だった時に起こした殺人だった。誘拐されたという極限状態の中で、麗華は犯人たちを殺したのだった。
「この女の中に居る蛇が、そうさせているのでしょう?」
「いや、たぶん違う。この攻撃性は、この女自身が生まれながらに持っていた性質だ。日頃の女の様子を見ていれば分かる。誰かれ構わず噛み付いているじゃないか。
あの日、この女が見せた凄まじい殺戮によって、この女を見出した蛇は、龍蔵の肉体を捨て、この女に取り憑いたのだが、それだけだろう。特別な事はしていない」
昭島の言葉を聞きながら浅間は途方に暮れたような表情をしていた。
「この女の、この性質を、蛇は必要としていたのだ。だから野放しにして、この女の本能のままにやらせて来た。
そして現れたのが、この怪物だ。」
昭島は麗華と消えて行く怪物の方に近寄り、ゆっくりと周囲を回りながら観察していた。
「体液の痕跡も全て消えてしまうようだが、これではサンプルは取れんかな?」
ふと、そう思いついて昭島は言った。
「え!? あ、一応採取してみます」
浅間は我に返って麗華に近付き、怪物の体液がかかったはずの、麗華の手と口周辺に、ポケットから取り出したサンプル採取パッドを押し当てた。
「さっき、この怪物も、全く関わりがないわけじゃない、みたいに言いましたね?」
「人間たちは創作の中で、この世の外の異世界だの異次元だのと言うようだが、この世に来れたなら、この世と地続きに居たという事だ。この世と全く無関係な次元の外の世界から来るわけがない」
「はぁ」
やはり浅間は昭島の答えを漠然としたものとしか捉えられなかった。
「それにしても、醜悪だな」
昭島にそう言われて浅間は麗華と怪物を交互に見たが、どちらも醜いと思った。怪物は見るからに醜く、麗華の外見はともかく透けて見えるものが醜かった。
「どっちがですか?」
ひとつに決めかねて浅間は聞いた。
「両方だ」
昭島の返事に浅間は「えっ?」っとなっり、いつも無表情な昭島がニヤリとしたように見えた。
「一方を選べと聞いていない。
ところで、自由に干渉していいとしたら、この二つ、どうやって片付ける?」
昭島にそう問われて浅間は顔を強ばらせた。
「干渉はしません」
「そう、干渉はしない。人類が答えにたどり着くまで見守るだけだ」
そう言って昭島は、もう一度、麗華と怪物を見た。
「俺なら対消滅させるがな」
昭島と浅間の見ている前で、怪物は完全に消えて見えなくなった。
「完全に消えたな、行くぞ」
昭島と浅間の姿は掻き消えて、消えてしまった怪物を掴んで引きちぎろうとしていた麗華の腕は勢いよく左右に振り切られ、上下の歯がガキっとぶつかり合った。
「あらっ!?」
麗華はキョトンとして左右を見回した。
麗華のオフィスから書棚で仕切られたデスクの近くでは、自分の椅子から少し離れた所に立っていた瑞江が我に返っていた。
「あ、あれ? 私何をしようとしてたんだっけ?」
ボソッと漏らした瑞江の声に、嶋と金永はゆっくりと顔を上げて瑞江を見た。
「ははっ、何しようとしてたか思い出せないや」
二人に見られて瑞江はテレ笑いをした。
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