第45話 触手

『我ら』はエネルギーであり波であり宇宙に満ちていた。そして『我ら』を意識する存在のある時に『我ら』は粒子となり物質となり、やはり変わらず宇宙に満ちている。


 悠久の宇宙の歴史の中で『我ら』が物質であった時がどれほどあったと言うのか。誰が『我ら』を知り『我ら』を意識すると言うのだ。


『我ら』は絶えず孤独なエネルギーであり孤独な波であり孤独なまま宇宙に満ちていた。


『我ら』に感情や情緒があるか誰も気にした事はなかった。それがどんな物であるのか考えた事もなかった。


 最近になってヒトが発揮するようになった新しい能力によって『我ら』が見られるようになったのがヒトの人口の夢だった。それを通してヒトの心の動きに触れて『我ら』ははじめて感情や情緒と言うものに関心を持ったのだった。


 ヒトは、会えない事に涙して、理解されない切なさに身の内側から焼き尽くされるような思いをして、受け入れられない事に身もだえし、別れる時には身も心も引き裂かれるような痛みに苦しんでいた。


 何億年もの孤独を呑み尽くした後になら、それが何だと言うのかーーそう『我ら』は思った。


 しかし『我ら』はそのエネルギーの中に均一ではない物を感じていた。それは、その瞬間に出来たものではなかった。孤独な歳月にうがたれた虚がその身中にあった事にはじめて気がついたのだった。


 我が身の中に虚があると気がつくと今までのままでいる事は出来なかった。もう以前のように無限に湧き出てくるエネルギーを感じられず、その身を宇宙の隅々まで押し広げる気持ちになどなれなかった。『我ら』にパワーがあると信じる事が出来なかったのだ。


 地球の表層にヒトが住むようになって、もう随分長く遠巻きに見て来たのだが、それで得られたのはヒトについての知識や情報でしかなかった。


 そして人口の夢から得るのは知識でも情報でもなかった。


 ヒトの感情や情緒が大きく動く時には必ずヒトの過去の記憶へのリンクが提示され『我ら』にはヒトの過去の体験にアクセスする道が開かれた。


 モヤのような瘴気に包まれたヒトは、その内面にこんな物を隠していたのかと『我ら』は驚いたのだった。


 ある記憶は天上に昇るほどの喜びが、別の記憶には激しい怒りが詰め込まれていた。満たされた記憶、哀しみの記憶、嘆きの記憶、楽しい記憶。


 挙動ひとつに何層もの記憶と感情が絡みついているヒトの内面を探って行く体験の奥深さこそ『我ら』がヒトの人口の夢に溺れた理由だった。


 事ほどさようにヒトの心の動きは実に多様なのだった。『我ら』はただ空虚であるというのに。


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『るるノベル』やばい

 グラスしてない時まで

 何か見るようになった

 自分るる廃人か!?


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「う~む、これってヤバそう~!?」


『るるノベル』のエゴサーチをしていた明海が、いつになく深刻げな声で言った。


「タカオ君『るるグラス』ってさ、まさか脳にダメージ与えるとか、そゆうの無いよねぇ?」


 コンピュータに強いと言う事で『るるノベル』室に配属されたタカオに明海は尋ねた。


「え? 何ですか、脳にダメージって、ゲーム脳理論なら否定されてますよ?」


「そうだよね~」


 明海は何かが引っかかるのだったが、それをスッキリ説明できずに黙った。モヤモヤするが、材料が足りないと思ったのだ。


「もうちょっと一人で調べてみよ~かな~」


 そう言って明海は検索欄にあれやこれやとキーワードを入れはじめた。


 そのキーボードを打つ手に影が差して明海の肩越しにモニターを覗き込もうとする者がいた。耳元でフガフガという息づかいを感じたが不明瞭な発音は何を言っているのか分からなかった。


 何かの気配を感じる側の肩から毛穴がキュッと収縮してうぶ毛が立ち上がる感触が全身に拡がって行くのを明海は感じた。


 明海は筋肉が硬直するのを感じて指先のひとつも目線さえ動かせないでいた。肩越しに細長い物が明海のデスクの上へとクネクネと伸びて行く。


 動かせない視野の端に見えるのは大きな軟体動物のようだった。体表にある無数の何かが不規則に開いたり閉じたりしているが開くとツヤツヤした目玉があった。それがクネクネと伸びて行く先には明海の『るるグラス』がある。


 明海の身体が小刻みに震えだし、口の中で上下の歯がガチガチとぶつかり合う音がしていた。


 ーーそんなのより『るるノベル』しないの?


 耳にはフガフガという不明瞭な空気の漏れる音としか聞こえないが、頭の中ではその意味がグルグルと巡り巡っていた。


 ーーそんなのより『るるノベル』しないの?


「あ、あたし、検索するから~!!」


 ガタガタと動いてぶつかり合うアゴを必死に動かして明海は言った。


 それと同時に明海の指はキーボードの上で動き出し、肩越しに視野に入っていた多数の目玉が不規則にまばたいていた軟体動物のような細長い何かが消えた。


 ガクガクと身体を震わせながら明海は周囲を見回した。デスクに手をついて椅子から立ち上がったが、ヒザが震えて力が入らなかった。それでも必死にデスクやパーティションにつかまりながら周囲を見て歩こうとした。


 明海のデスクの周りには、あのクネクネとした奇妙な物が残した痕跡は何もなかった。


「明海先輩? どうしたんです?」


 明海の普通じゃない様子に気づいてタカオが声を掛けた。


「なんか~、普通じゃない事が起こってるみたい~」


 アゴをガクガクさせながら言うと明海はヒザがガクンと脱力して床にしゃがみ込んでしまった。

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