第37話 噛み合わない会話
根津が『START』編集室へ出社したのは、ちょうど書棚の割れたガラスを作業員が入れ直している時だった。もう少し遅く来ていたら編集室の異変に気付く事もなくやり過ごしていたかも知れなかった。
「あらま、書棚のガラス、どうしちゃったの?」
誰もいない編集室に一人でいる明海に根津は尋ねた。
根津が昔から担当して来たネコ田は『START』で最も古くから活躍して来た息の長いマンガ家なのだが、パソコンを使わない昔ながらのアナログ絵描きなので、担当の根津は何かと言うとネコ田のアトリエに行かなければ仕事にならないのだった。
「すっかりノマドワーカーの根津さん~!! 一番の見所は昨日の午後でしたよ~!!」
「え~、いったい何があったのよ~?」
明海に調子を合わせて根津が言う。それで一気に喋り出しそうに見えた明海だったが、何故だか言い淀んで複雑な表情をして見せた。
「あ~、え~と、資料の整理をしようとしてたんですよ、それで、なんかぶつかっちゃって、ガラスが割れて~、野呂さんガラスで切っちゃって~」
「それで野呂さんは!?」
明海のしどろもどろの説明を聞いて根津は言った。
「昨日はきゃ~っ血まみれ~って思ったんですけど、その割に傷は深くなかったそうですよ、今編集長たちが病院に行ってますけど、一人で食事とかも出来るそうです」
「そう、それは良かった。後で病院へ行ってみるわ」
そう言って根津は作業が終わって新しいガラスの入った書棚を見た。ガラスを入れ終わった作業員は道具を整理して編集室を出て行った。
「で? その資料の整理が何とかって言うのじゃない理由を聞かせてもらおうかしら?」
「あ~、あはははは~?」
明海は混乱した情報を整理しながら説明し直した。
「え!? それって『締切日にマンガ家のアトリエで原稿待ってたらトラックが突っ込んで来た』って言うのより断然エスカレートしてるわ。呪われた編集室なんて言われたくないから秘密にしたくなる訳ね」
「え~? この編集室って呪われてるんですか~?」
明海は浅間という男から言われて別の理由を言っていただけなので、呪いとは思っていなかったのだ。
「いや、呪われてない方がいいけどね」
まだ何か噛み合ってないなと思いながら根津は言った。
「それで、麗華さんのメールとか電話とか、動画とか、そんなにエグいのだったの? 野呂さんが神経やられちゃいそうな程に?」
そう聞かれて明海は顔をしかめた。
「電話は、しつこかったですよ~。メールは長さと回数がすごい。でも野呂さん、平気そうにしてましたよ。聞き流しておいたらいいって。私だったら断然アウトなんですけど~」
「じゃ、動画が
「いえ~、動画はホラーじゃなくて普通に笑える動画です。だから、どうして野呂さんがあんなになっちゃったのか、分からないんです~。ガラスの破片だらけなのに、のたうち回っちゃって~、あの人が来て野呂さんを止めてくれなかったら、野呂さん、もっと酷い事になってましたよ~」
「え? 誰が来たの?」
「あ、え~と、知らない人です。警備員かな?」
「ふぅん、そうなんだ。で、その動画は、本当にもう見れないの?」
浅間の事はこうして聞き流された。無理もない、警備員と間違われる男より怖い動画に関心は行くものだろう。
「今の所そうです。急に全部消えちゃったので~」
「内容は怖くないけど、何故か見たら錯乱する人が続出したのかな? 呪いの動画みたいのなら、注意書きつけないとねぇ」
「注意書きですか?」
「そう『この動画を見た後に不可解な出来事や霊的現象が起きても、こちらでは一切の責任を取ることが出来ません』って。動画より、注意書きの方が怖いと思うよ。『体調に影響が出た場合など緊急時には直ちに映像を止める事を勧めます』とか?」
そう言いながら色々思い付いたようで、根津は言いはじめた。
「その動画は、ふいに画像が乱れたりした? 急に大きな音がするとかは? 」
根津が思いつく『呪いの動画』の要素を言うたびに明海は首を横に振った。
「不規則な画面のブレとか異常な音で刺激して心拍数を上げさせ不安な心理状態を作るって言うのじゃないのかな?」
「あの~、『火星人ルル』は、ルルがたどたどしく何かを説明すると、『大草原www』とかのツッコミの字幕が、だ~~~っと何列も画面を流れたりする動画なんです~」
そう説明する明海の顔を根津はマジマジと見た。
「そんな動画で血みどろの惨劇になっちゃうの? 21世紀の心霊動画って斜め上なのねぇ」
そう根津が言うのを聞いて明海は、話の通じなさに頭を抱えて、じれったそうに言った。
「う~ん、『火星人ルル』は心霊動画じゃないと思います~。な~んで全部バンされちゃったのかなぁ、見てもらえたら、面白さがすぐ通じるのに~」
面白過ぎる動画が見る人を取り乱させることもある物だろうかと根津は考察してみた。しかし会話だけでは通じないものだなと思っていた。
「いや、本当に見たいわ。それにしても麗華さんの下で、そんな動画を撮ってるんだねあの人たち、大丈夫かね?」
根津は遠くを見るようにしながら言った。
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