第35話 錯乱
「あ、そうそう~、野呂さん見てないでしょう、この動画~」
話題を変えるのにちょうどいいと思ったので、まったく無邪気に明海が言い出した。差し出された明海のスマートフォンを受け取り野呂は画面を見た。
「『火星人ルル』って呼ばれてバズってる動画なんですけど、元は麗華さんのだったんですよ~。それで編集長たちとコウメイって人を訪ねて行ったんですけど~」
早口で次々と説明する横で動画を見ていた野呂の表情が変わるのに明海は気づかなかった。スマホの画面では麗華が芝居がかった仕草をしながら何かを語っている。
「ああっ!!」
そう声を上げた野呂の手から明海のスマートフォンが落ちた。
「うわっ」
明海は野呂の手から落ちた自分のスマートフォンを気にして話を止めた。野呂はスマホを持っていた手から、あたかも虫か何かを払い落とすような仕草を繰り返している。
人のスマートフォンを落としておきながら眼中にない様子の野呂に明海はムッとしたのだが、明海には見えない何かを怖がって振り払おうとする仕草があまりにも本気に見えた。
「野呂さん? どうしたって言うんです~?」
野呂は座っていた椅子を蹴倒して立ち上がると、見えない何かを避けようと両手を振り回しながら部屋の隅へと移動して行く。何かを突き飛ばすような動きをした野呂は、その反動で『START』のバックナンバーが並んだ書棚にぶつかりガラスの扉が割れた。
「きゃー!!」
明海は悲鳴を上げ、ガラスの破片を受けた野呂は血を流しながら、なおも身体から何かを振り払おうとする仕草を続けていたのだが何かに足を掛けて床に倒れた。
「野呂さん~、危ないです~!!」
床を転げ回る野呂を止めようにも、周囲に飛び散っているガラスのために手が出せなかった。そこへ外出していた梨沙と山瀬が戻って来た。
「明海さん!? 野呂さん!? どうしたって言うの!?」
「編集長~、野呂さんが急に~、それでガラスが割れて~、あんなに血が出て~」
ガラスで何ヶ所も切って血を流している野呂を何とかしようにも、野呂の服にもガラスの破片が付いているので誰も手が出せなかった。
野呂を押さえようとすれば自分の手にもガラスが刺さるだろうし、野呂の皮膚にもさらに食い込むだろう。しかも野呂はひどく取り乱しているのだ、迂闊に手を出したらさらに興奮して暴れるかも知れない。
「どうします~? 救急車とか呼びますか~? それとも警察?」
「え、ええ、そぉねぇ」
梨沙も山瀬もどうしていいか分からなかった。
「どくんだ」
突然声がして黒いスーツの男が梨沙たちを押し退けながらガラスの散らばる床にうずくまっている野呂に近付いた。
自分の身体から何かを振り払うようにする野呂の動きをしばらく目で追い、何かに狙いを定めたように素早く手を伸ばした。野呂の近くで何かを掴む仕草をすると、その手を野呂から引き離した。
野呂は動きを止めその場に突っ伏すようにしておとなしくなった。
「ひょっとして、あなた昭島さん?」
男の動きと、それで静かになった野呂の様子を信じられないという表情で見ていた梨沙が言った。
「違う、俺は浅間だ。当たり障りない説明をして救急車を呼べ」
祖父母の家で聞いた話から想像していた昭島の姿より、浅間はだいぶ若かった。どこかの軍に関係しているような印象から短髪で厳つい男をイメージしていたのだが、浅間はゆるくウェーブのかかった明るい茶色で長めのヘアスタイルにソフトな顔立ちをしていた。命令口調で喋らなければごく普通の若者に見えるだろう。
その夕方、梨沙と山瀬そして浅間は救急病院にいた。明海も病院までついて来たのだが、少し前に梨沙が家に帰るように言ったのだった。
梨沙たちが通路の長椅子で野呂の手当てが終わるのを待っていると、連絡を受けた美津雄もやって来た。梨沙たちから少し離れた場所に立つ浅間を美津雄がいぶかしげに見るので梨沙が説明した。
「この方が浅間さんよ。
さっきまで明海さんもいて、それで聞いたんだけど麗華は野呂さんにメールや電話をずっとしてたのよ。麗華の言う事をきかないと酷い事になるぞ、みたいな内容ばかりで、しつこかったけれど、野呂さんはサラッとかわしていたそうよ。
その話が終わって、明海さんが野呂さんに麗華のあの動画を見せたら急に様子がおかしくなって自分でガラスを割って怪我を」
「朝、会長の所で見たのと同じ物なんだろう? 錯乱を起こすような映像じゃなかったじゃないか? 何か他に理由があるんじゃないのか?」
そこまで言って美津雄は浅間を改めて見て、ため息をついた。
「他の理由なら浅間さんは出て来ない、か」
「『火星人ルル』に関わった人間を探し出して、二度と麗華の動画に手を出させないようにするのがいいだろう『火星人ルル』は全て消す」
浅間はどうって事ないという表情だった。
「どこの誰が作ったのか分からないのに簡単に特定出来るのか?」
「それもそうだけど動画を消させたり二度と作らせない方が難しそうだわ。明海さんの言いようだと、すごくバズってるようだもの」
美津雄と梨沙はそれぞれに疑問を言うのだが浅間は涼しげな顔を変えなかった。
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