第33話 オフィスの花

(そもそも、なんで麗華さんの動画は世間に知られちゃったんだろう?)


 小さなプラスチックケースからビーズを必要なだけカウントして銀色に輝く細い針に通しながら嶋は独り言を言った。


 ここは一応麗華のオフィスなのだが、これと言って仕事があるわけでもないし、来客に備えている必要もない、麗華とは別コーナーなので気に掛ける事もなくて、要するに暇なのだ。


 少し前までは麗華が動画作りに熱中していたので,毎日毎日新しい動画を撮っていたのだけれど、この所何の撮影もしていない。


 麗華が含蓄を語りたい内容はひと通り語り尽くしたし、アップロードしても再生回数が伸びるでもなく、コメントを受けないよう設定したので褒めるにしてもけなすにしても何の反応も来ないから張り合いがないのだった。


 スマートフォンかデジタルカメラがあれば誰でも動画を撮影出来るし、インターネットに繋がるなら誰だって動画をアップロード出来る。でも、誰でもが出来るのはそこまで、それだけで誰かに見てもらえるなんてありえない。


 snsで大勢の人と繋がっていたとしても、だから見てくれる訳ではない。他の誰かが撮った、もっと面白そうで見たくなる動画や動画以外の娯楽がたくさんあるのだから。


 見てくれる人を楽しませようという工夫もなく、ただ語りたい事を語っているだけで、特別な宣伝もしなかった麗華の動画が人目に触れる事などないはずだったのだ。一体どんな経路で誰に見られたら、こんな結果になるって言うのだろう。


(そのままネットデブリに埋もれてたら良かったのに。こんなウケる動画に作り直されちゃって、知らない所でバズってたなんて、麗華さんに知られたらどうなっちゃうのよ~?)


 ウケる動画と言うのは世間で『火星人ルル』と呼ばれている動画の事だ。口をとがらせ嶋はデスクを並べる金永の方を見た。


(こんな事になるなら、非公開でアップロードだけしておいたらよかったのに)


 動画のアップロードについては主に金永がやっていた。麗華の動画ブームが去って金永も手持ち無沙汰なので、日がな一日ドヨンとした目でショッピングサイトを眺めてレヴューを見ながらポチポチとショッピングカートに入れている。


 パーティションもなくデスクを並べているので、お互いに何をしているか丸見えだった。


 金永が買い物するのは服だったり小物だったりアクセサリーだったり、その日によってまちまちだった。それが届く頃を過ぎても金永の服装や持ち物が変わる事はなく、いつも代わり映えのないカットソーにまとめ髪だった。


(ま、仕事したいっ! にしても、オシャレしたいっ! にしてもテンション上がる職場じゃないわな)


 ふと嶋の視線に気付いて金永が嶋を振り返り薄っすらと微笑んだ。


「嶋さーん? ビーズ編みは捗ってますかー?」


 そう金永に言われて嶋も軽く微笑んで応えた。


「あ、あの、いいのよ、捗らなくったって」


 金永がショッピングサイトでのポチポチに時間とお金を注ぎ込んでいるように嶋はハンドメイドに投入していた。でも、そこには技術を磨きたいとか、作った物を通して承認欲求を満たしたいなどの思いはなく、ただやる事がなかっただけなのだ。それに今の嶋の頭の中は『火星人ルル』への心配に占領されていて、朝からビーズを数え損ねてばかりだった。


 金永に動画の話題を振ろうかと考えても、すごく心配を煽る言い方は出来ないと思ったし、どんな反応を返されるかとパターンを考えるうちに面倒くさくなってしまった。


 金永に愛想笑いをしてから嶋は、またビーズに熱中している振りをしながら考え事を続けた。


 やたらな方向に話が転がってしまって誰が相手でも麗華のオフィスを辞めると決心されては困るのだ。


 ここは忙しくないし、麗華がオフィスにいる間だけ居ればいいし、麗華は全然オフィスに長く居ないので拘束時間が短いし、麗華がカレンダー通りに休むので休日も多く、それでいて給料は多いのだ。本当に夢のような職場だった。


 麗華さえ居なければ。


 麗華がいると言う前提でオフィスの環境が今より悪くなるとしたら、それは自分だけ残して他の人が辞めてしまう事だろう。もうこれ以上、誰に辞められてもダメなのだが、もしも他の二人に示し合わされて同時に辞められ自分一人が取り残されてしまったら、それ以上の悪夢はないだろう。


 みんなギリギリの所に居るのだから何が最後のひと押しになってしまうか分からない。何の話題をどんな風に話すかに神経を使わなければならなかった。


 自分が出し抜いて辞めると言う選択肢もあるが、こんなにぬるい環境に身を置いてしまった後で今さらどこに行けるだろうか? 新しい仕事が出来るだろうか? 新しい人間関係を築けるだろうか?


 麗華のようなのがいると知ってしまった今となっては次に行く所には、麗華以上に強烈なのがいるのではないかと恐怖心が先に立って身動きが取れなかった。


 金永や珠江と仲良くしながら麗華が『火星人ルル』の動画にたどり着けないように気をつけるのが最も良い選択のように嶋には思えるのだった。


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