第32話 烙印
それは空腹感に似ていた。今すぐにこれを満たさないと死んでしまいそうだと思った。
そして満足はない。満足するに足る何かが無いのではなく、まるで穴の開いた容器に入れるように、どこまで入れても満たされない、空っぽで虚ろな感覚が終わらないのだ。
麗華はいつもこの感覚にさらされていた。
同時に[このアタクシが苦しいですって? 死んでしまいそうですって? そんな,それではまるでアタクシが負け犬みたいじゃないの!? アタクシに限ってありえない事だわ!!]と思う。
実際に麗華は勝者ではなかった。
麗華が欲しい物なら何でも買える。どんなに高価な物だろうと、どれほど希少な物でも買う事は出来る。しかし『ルル』を売る事は出来なかった。
作り上げるのに必要だと考えつく高級品なら残らず注ぎ込んで『ルル』を作った。だが人々はその素晴らしさに気付かないし、それを作り上げた麗華のセンスを褒めようとしない。
どんなに些細な事にまでこだわり抜いて『ルル』が作られているか解らせようと、全ての素材をひとつひとつ丁寧に解説する動画を何本も作り[だから『ルル』を買いなさい]と命じた。
しかし、人々から何の反応もなかったし『ルル』は売れなかった。だから麗華が熱望する、麗華を賛美する声を聞く事はなかった。
役 立 た ず
穀 潰 し
ル ー ザ ー
負 組
で き そ こ な い
敗 残 者
何をやってもダメな奴
落 伍 者
見 る 目 無 し
能 無 し
ク ズ
脱 落 者
ありとあらゆる罵詈雑言が頭の中に渦巻いた。
その言葉は千の針万の針で出来ているかのように麗華の全身の肌に突き刺さり、その痛みと共に刺青のように未来永劫刻み付けられた。鋭い刃物にもなって麗華の心臓を貫きもした。
こんな惨めな現実を認めたらアタクシは本当に惨めなまま死んでしまう、そう麗華は思った。
だから、それらの言葉を自分の外へと向けようと麗華は決めた。ほんの瞬間の決定であったので、麗華自身も麗華が感じていた壮絶な想いを自覚してはいなかった。
『ルル』を綺麗に並べた天井まで届く書棚の列の向こうには、書棚に並べきれない『ルル』の入った段ボール箱が積み上げられ、その隙間に置かれた事務机に嶋たち三人の女がいた。
最初に麗華のオフィスが出来た時にはもっと多くの女が、梨沙の『START』編集室から麗華に付いて来ていたのだが、先ず野呂が『START』に戻り、それに続いて一人二人と麗華の下を去って行った。
社内に残りマンガ編集部以外に配属された者もいたが、適応障害で通院する程の者は社に残る事自体に耐えられなかった。
美津雄はその者達がどんな手順で退社したにしても補償を受けられるようにして、退職金も多く渡した。麗華とのトラブルを社との問題とされないためであった。
今残っている三人は耐性を持つ貴重な人材であるとして、待遇を良くしてある。辞め難くする意味もあった。
「う、うーん、こんな事って」
珠江が片手で額を押さえながら小さく声をあげた。
「あ、あの、珠江さん、どうしたの?」
嶋が囁くように珠江に尋ねた。
「うん、うん、あのね[ルル]で検索してみて」
さらに声をひそめて珠江は言った。
「あ、あの?」
「これってー?」
嶋と珠江のヒソヒソ話を聞いて一緒に検索した金永もヒソヒソ声で会話に加わった。
[ルル]と言うワードで検索すると麗華の動画が上がって来るのだった。しかしそれは麗華のオリジナル動画ではなく、短い尺で切り取られたり、テロップなどの加工が施された物で、『火星人ルル』というキャプションやハッシュタグが付けられていた。
「うん、うん、これ麗華さんに知られたら大変だと思う」
珠江はそう応えたが、他の二人は動画に見入ってしまっていた。珠江も次々と動画を検索しては見続たのだった。
どれも麗華の作ったオリジナルよりもずっと面白く出来ていた。いや、麗華のようにつまらない動画を作るのは難しいと嶋たちは思っていた。
麗華の動画は全て『ルル』を知ってもらうために作ったもので、『ルル』は麗華がプロデュースしたマンガ本なのだが、どちらも麗華が良いと考えるもの、麗華がやりたい事ばかりを詰め込んで作った麗華の自信作だった。
この数ヶ月に渡って麗華と接して来て今なら分かるのだが、世に送り出した事が最大の失策だったと嶋たちは分析していた。
商品化や販促のアイデアを出せと麗華から言われて嶋たちは真面目に考えた。しかし麗華はどれも気に入らずケチを付けてバッサバッサと切りまくり、挙句に麗華の考えたサイコーのアイデアを言う。それをまた嶋たちが真面目に具体化してしまったのだが、これが間違いだったのだと今なら分かっていた。
要するに麗華に文句を言わせ続けて、永遠に作り直さる方がずっと良かったのだ。具体化させてしまったばかりに麗華の考えるサイコーは世の中のニーズに全く合っていないと分かてしまった。
ところが麗華の動画を元に二次創作した作者たちは、麗華が外国語混じりの拙い言葉で喋る様子を変わった宇宙人のストーリーに作り直すなど、実に自由自在に才能を発揮していた。
「あ、あの、これ凄く良くない展開になるとしか考えられないんだけど」
火星人ルルの動画を検索し尽くし十分に堪能した後に嶋たちは言ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます