第31話 地中の骸
「来春後援する美術展の話を聞かせてちょうだい。愛好家向けの書籍の企画は進んでいるんでしょう?」
ダイニングルームへ続く廊下で登美子は美津雄に尋ねた。
「ええ、第一人者の先生方に寄稿をお願いしています。装丁も豪華にして永久保存版ですよ」
先程迄とはうって変わって得意げな様子で美津雄は応える。
「まぁまぁ、それは楽しみだこと。どなたに寄稿していただくのかしら?」
登美子たちの楽しそうな声が遠ざかって行く。後に続こうとして梨沙は山瀬が冷たい笑みを浮かべているのに気付いた。
「アカデミー賞クラスだと思わない?」
そう独り言をいうと山瀬はクックックっと小声で笑った。そして、まだ舞台は続いているとばかりに放心した表情に戻った。
祖父母宅での昼食を済ませた後、梨沙たちはオフィスに戻った。社長である美津雄と別れエレベーターに乗ると、梨沙は山瀬の顔を覗き込んで言った。
「首尾よく騙しおおせたようね?」
山瀬は一瞬ギョっとしたが、すぐ普段の穏やかな表情になって梨沙を見返した。
「お祖母様たちを騙そうとした訳じゃないよ。でもさ、お祖父様といる時の出来事はみんな、あのPLUTO《プルート》ってのに筒抜けって事なんだよ。だから仕方なかったんだよ」
少しおどけた様子で山瀬は方をすくめてみせる。
「だからといって恥ずかしげもなく駄々っ子みたいに出来る訳!?」
「考えてみてよ梨沙ネエ、あの麗華以下でいられる? 死ぬまでずっとだよ? そんなの無理に決まっているじゃない。
ごく普通に過ごしてたってそうなのに、コウメイと作ってるアレね、あれはスーパー アプリになるよ。嫌でも凡庸でなんていられなくなる。
僕ね、子供の頃、不気味な物を見た事があるんだ」
唐突に何の脈絡も無いような事を山瀬は言いはじめた。それは何の関係があるのと言いかけたまま梨沙は話に惹き込まれていた。
「お祖父様の和風庭園で、垣根の外の竹薮へと消えて行く小道に出る庭木戸までの飛び石を歩いていたんだ。僕は飛び石の一つに置かれていた黒い麻の紐を十字に巻いた小石を越えて、庭のずっと奥まで入り込んでいた」
地面は分厚く育った苔に覆われて、アオキやマキノキ、モッコク、梛や榊など緑の濃い木々が茂っていて、自然の森とは違う何者かの意匠による雰囲気を漂わせている。幼い子供がよろこんで行きたがる所ではなかった。
ふと山瀬は誰かに呼ばれた気がして、我に返った。それで気が付いたのだが苔に覆われた地面は飛び石だけ残して消えていた。
山瀬は大地の奥に臥せる巨大な
足下にある物をよく見ると、幼い山瀬のいる所まで複雑に連結している骨や溶け残っている筋肉が闇の奥に紛れるように薄れて見えなくなっている。そして、闇の中からモソモソと現れて来るものがあった。巨大な筋肉の束や骨の突起に指を掛けて爪を立てて這い登って来ようとする青白い腕だった。それは幾つも見えた。
闇の奥から伸びて来て重なり合い絡み合いながら、ゆっくりだけど少しずつ近付いて来ていた。必死に爪を立てながら這い上がって来る、あの腕に掴まれたらどうなるんだろうと幼い山瀬は好奇心と恐怖が綯い交ぜになった思いで立ち尽くしていた、その時。
「もう一度誰かから呼ばれたんだ。それで怖さを感じるようになった。それまでは平気だったのに、一度怖いと感じはじめると、心の奥から次々と怖さが湧き出して来て止められなかった。
身体全体がひどく凍えた時のように思い通りに動かせなかったよ。僕はお祖父様の家の方に向かって、転んでしまわないように飛び石を踏み外してしまわないようにと気を付けながら、出来る限り早足で帰ったんだ」
「それ、美津雄叔父様の言ってた蛇って事?」
「蛇じゃない、青白い腕だった。子供の時の事だから、夢なのか本当の事なのかよく分からない。でも、蛇じゃなかったよ。
その後、似たような場面を見たんだ。実際にいた殺人鬼の少女を描いた古いマンガなんだけど裁判を受ける少女の足下の床が透けて、その下には人のような物が幾つも氷詰めになっていた。ゾクゾクしたよ。
そんなマンガを読む頃になるとね、子供の時には怖がってよく見ないで逃げてしまったのが悔やまれたよ、もっとシッカリ見ておいたら良かったと度々思っていたんだ」
「山瀬クン?」
祖父である龍蔵の家であんな話を聞いて来たばかりなので、流石に梨沙も少し不気味に思った。
「言いたい事はね、何がモチベーションになるか分からないって事だよ。
僕は人々の心の奥に潜んでいる古くから変わらない感情を表現する事に惹かれるんだ」
そう語る山瀬の表情にはとても冷酷なものが浮かんでいて、梨沙は背筋に冷たいものを感じた。
「僕の演技も中々のものでしょう? さっきのは茂辺地先生と打ち合わせしてる新しいストーリーだよ」
山瀬はイタズラっぽく笑った。
「僕はこの世の王に成ろうなんて思わないよ、そんなモノ興味ない。でもね、マンガの世界は僕の手の上で転がせるようになるかも知れない、そう思っているよ」
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