第30話 PLUTO(プルート)

「父さんはいつだってそうなんだ! 自分の人生がパッとしないからって、ままならない人生の代わりに僕を思い通りにしようとして! 僕は父さんの操り人形じゃないんだー!!」


山瀬の溢れ出る言葉はとどまる様子がなかった。


「一体どうしたって言うんだ突然に。お前はいつもはそんなじゃないのに」


「無理ないわ、突然いろいろと一時に言われて混乱したのよ」


途方に暮れる美津雄に登美子は言い、その後、壁のスピーカーに言った。


「サーヴァント、温かいココアを持ってくるように厨房に伝えてちょうだい」


「やりたい事って何の事だろう、梨沙、知らないかい?」


梨沙たちの近くの椅子に座り顎を軽くしゃくりあげ、手編みの大きなレースをガラスで挟んで押さえてあるラタンのテーブルに顔を伏せたままの山瀬を示して美津雄は小声で言った。


「マンガの仕事はとてもやりたがっていたわ」


「それなら自由にやらせてるじゃないか」


「そうよねぇ、最近は変わった人と知り合って、マンガのアプリみたいなのを作ろうとしていたわ」


「アプリぐらい作ればいいじゃないか、何で僕が何にもさせないみたいな言い方をするんだろう」


やがてココアを運んで来たメイドがテーブルにあったものを片付けて出て行った。メイドの気配で顔をあげた山瀬はココアのカップに手を掛けながらボソボソと言った。


「父さん、どうして麗華はいつも何でも思い通りにしてるの?」


登美子と美津雄は顔を見合わせた。


「あれから昭島は麗華を監視しているのよ。そのレポートも私たちはもらっているの」


登美子は冷静に答え、山瀬は気の抜けたような様子で静かに聞いている。


「堪え性が全くないでしょう。子供の頃から酷い癇癪持ちで乳母ナニー泣かせだったけど、正直言うと誰もそういう所を治してあげようなんて考えていなかったわ。全く、その、一人前に見てなかったから」


淡々とした様子で登美子は言った。


「癇癪を起こせば欲しがる物を与え、やりたい事をやらせて来たわ。だって本当に手が付けられないキレ方をするから。あんな子を見た事なかったわ。雷音らいとだってあんなじゃなかった。


誘拐されて生涯で初めて我慢を強要されたのよ。犯人たちも誘拐なんかするんじゃなかったって後悔したでしょうねぇ。


もしも癇癪を治そうと接していたら、もっと早い時期に我が家で大殺戮が起こっていたかも知れないのだけれど」


登美子はラタンの椅子の背もたれに寄りかかり深い溜息をついた。


「これからもずっとストレスを与えてはダメだと思ったわ」


「それで野放しにしているの?」


「野放しじゃないわ、ちゃんと監視してるもの。どうも飛行機はダメみたいなのよね、気圧のせいなのか閉所恐怖なのか情緒不安定になって客室乗務員に嫌われているわ。だから、もう海外に送れないわ。


でも、ある意味扱いやすい人よね。ある程度やりたいようにさせておけばいいだけだし、これは譲れないって時にはポンポン言えばいいのよ。いつかも梨沙ちゃんに何か言われてタジタジしちゃったって言うじゃない?」


登美子に言われて梨沙は、猫田のアトリエ事故の時に現場に現れた麗華が、梨沙の言うままに茂辺地もへじのマンガ原稿データの入っている麗華のスマートフォンを素直に渡した事を思い浮かべた。


「確かに、そういう部分あるわ」


「比較なんて出来ないくらい、あなた達はスペック高すぎよ。万一あなた方が憑かれていたら、世界はどうなってしまうか分からないわ。


だからね、これで良かったのよ、あらゆる方面で」


「軍事用に開発したみたいな便利な道具をくれたり、誰かを完璧に監視出来たり、昭島って何者なの?」


ひょっとして自分も監視されているかと考えながら梨沙は言った。


「昭島と言うのは本名じゃないそうよ。所属する組織はPLUTOプルートですって。でも、きっとこれも正式名称じゃないでしょうね」


冥王星プルート? 黄泉の国の支配者?」


麗華絡みでこの間出会ったのが火星移住だったけれど、今度は神話の世界なのかと梨沙は思った。


明けの明星ルシファーを監視しているんだそうよ。私たちの言う邪悪な蛇はルシファーと呼ばれていたのね。


麗華の件で昭島が私たちに気付いて、私たちはマークされるようになったの」


「ワシは、ワシら一族は呪われた孤独な一族じゃと思っていたが、そうではなかったのじゃ」


龍蔵の眼鏡グラスにあるスピーカーから人口音声が龍蔵の思いを語った。


これはPLUTOが開発した強制自白装置なのだが、これがあるから自分の力で言葉を発せなくなったにも関わらず龍蔵は自分の思考を言語化して聞かせる事が出来るのだ。


人間は思考を自分の脳内にだけ納めて生きるのは苦しく耐えられないものだ。それは自分に考えそのものが無いよりも辛いだろう。思考をしたならアウトプットして外側から見るなり聞くなりしたいのが人間なのだ。


「ワシが、否、ワシら一族が関わるよりも、ずっと以前からそれは知られていたのじゃ。ワシらが考えるよりずっと多くの人々がそれについて考えて来ていたし取り組んで来ていたって事を、ワシらはその時になって、やっと知ったのじゃ」


「過去の者たちが未来までどうこうしようなんて、欲が深すぎるわねぇ?」


身体が不自由になるほどの体験をして、そこから生きて帰って来た龍蔵が仙人のようだと喩えられるなら、登美子のこの雰囲気はなんだろうと梨沙は考えながら登美子の言葉を聞いていた。


「私たちが何をしたでもない。自然の摂理でそうなって行ったのよ。何もかも科学で明らかになる時代に、古臭い呪術で物事を運ぼうだなんて。


もう私たちは、いにしえの呪術なんかに干渉されなくたっていいでしょう? あなた達はそれぞれの力で何かを成せるじゃない?


邪悪な蛇と共にいる麗華は何者にも成れずにいる。どこかで何かが入れ違ったみたい。呪術の力は衰えるばかりに見えるわ」


邪悪な蛇も麗華も登美子の前では驚異でも何でもないという言いようだった。


「殺伐とした話はこのくらいにしましょう。お昼を準備させているの、シェフに腕を振るわせたのよ」


そう言って登美子は車椅子の龍蔵と美津雄を促してダイニングルームへ向かった。


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