第26話 落雷
「その日ね、庭の背の高いケヤキの木に雷が落ちたのよ。雷が落ちると燃えるって言うけれど、そのケヤキの木は燃えなかったの。
ツタの絡みついたケヤキだったけど、後になってそのツタが枯れ始めてね、見て分からなくてもケヤキもツタと同じにだんだん枯れて来るから放って置くといつ倒れるか分からないと言うのよ。それで切り倒したの。
だから、そのケヤキの木は今はもうないの」
梨沙の様子がおかしい事に気付かぬまま、登美子は話し始めた。
「そのケヤキの近くにテーブルを置いてね、二人でお茶を飲んでいたのよ。
庭石の後ろの茂みに思いがけない花が咲いているのが見えたのよ。それで椅子から立ち上がって見に行ったの。そしたら後ろでダーンって、すごい音がして、振り返ったら地面に倒れているのが見えたのよ。
すぐに救急車で病院に運ばれたけど、ずっと意識が戻らなかったの。
後になって分かったのだけど、同じその日に麗華は家に帰って来なかったらしいのよね。
入院騒ぎでみんな病院に来ていたから、家は使用人だけで気が回らなくてね。次の日の夜になって麗華が帰って来たので、それで昨日から麗華がいなかった事にやっと気付いたと言うのよ。
その頃、病院では意識が戻って、そしたら、意識はあっても身体は動かないし言葉も喋れないと言う大変な状態になっていたと分かってね。
だから私たちも麗華の無断外泊を気にする余裕もなかったの」
登美子が落雷の顛末を説明するのを受けて、龍蔵は自身の体験を語った。
それはにわかに信じ難い事だったが、龍蔵は落雷の衝撃を受けた時から自分の身体を離れ、地面に倒れている自分の身体を少し上の空中にスゥッと浮かび上がって見ていたと言うのだ。
救急隊員がストレッチャーを持って庭に来るのも、自分が横たわるストレッチャーが救急車に乗せられ、登美子も同じ救急車に乗って病院へ向かうのも見ていたと言う。
その時、登美子は立ちくらみを起こしたようで、救急隊員に支えられて救急車に乗り込んでいたし、病院に着いてから登美子も診察を受け点滴をしたのだと、後になって龍蔵は皆に言ってみせ驚かせたのだった。
救急車を運転していた救急隊員は、その病院に来るのは初めてだったのか、救急車の入口を間違えていて入り直したのも龍蔵は知っていた。
病院の救急救命室に着くと、ストレッチャーから施術台に移されて、様々な処置をされるのも、そのうちに梨沙の父である隆志が美津雄と一緒に病院に到着し、入院手続きを始めるのも、ずっと天井に張り付くように浮かんだ状態で見ていたし、どんなやり取りをしたかも聞いていたと言うのだった。
スゥッと空中に浮かんでいても、それまではハッキリしていた意識が朦朧となり、どこかはっきりしないが病院とは違う場所が見えるようになったと龍蔵は言った。
その頃には龍蔵はもうプカプカと空中に浮かんでいなかった。
ここは何処だろうと考えていると、何者かの手が掴みかかって来て地面に倒され、その同じ手が掴んで振り上げた大きな石のような物を頭に振り下ろして来た。
その一瞬に見えたのは麗華の顔だった。石で殴られる衝撃は感じなかったが、それまで見た事のない麗華の醜悪だと思うほど目をギラギラさせた表情に驚愕したと言った。
再び意識が朦朧として、気が付くと麗華は数人に取り囲まれていた。麗華を取り巻く人々は凶器となる物を手にしているのだが、麗華は一人からナイフを奪い素早い動きで斬りかかった。
一体麗華はこんな動きをいつ体得したのかと訝しんでいると、麗華は龍蔵に向かって斬りかかってきた。龍蔵は無防備なままその胸にナイフを受けた。ナイフは胸に刺さったが、痛みは感じなかった。
龍蔵は目の前に見える麗華のキラキラと輝く目を、驚きの表情で見返していた。それは怒りや憎しみ、殺意の込ったそれではなく、とても楽しそうな満足そうな様子だったと言うのだった。
「あやつは、これを喜んでやっておる」そう思ったと龍蔵は語った。
そんなはずはない、いや、こうなる事も有り得る。龍蔵の意識は混沌としていた。
やがて、龍蔵は病院のベッドで目覚めた。頭を殴られたのでもなく、胸をナイフで刺されたのでもなく、龍蔵は雷に撃たれ意識を失っていたのだった。
麗華の事は、落雷を受けたショックが見せた幻覚だったのだろうと思った。幽体離脱になるほどの衝撃を受ける出来事だったのだから無理もなかった。
周りの音は聞こえるし、話しかけられる言葉の意味も分かった。目も見える。目の前に出された指を数えられるのだが、それを答えられなかった。
声を出せないのだ。唇はわずかに動かせるが舌も声帯も動かなかった。いや、動かせないのはそれだけではなかった。動かせる部分を数える方がむしろ早かった。
目は動くが、首を巡らせられないので視野に入らないと見えなかった。音は聞こえるので話し声から誰がいるか分かった。その時病室には登美子の他に隆志と美津雄が来ていた。
そこへ見知らぬ男、昭島がやって来たのだった。
昭島はまるで主治医が回診に来たかのような自然な態度で病室に入って来た。服装が黒ずくめでなかったなら誰も疑わなかっただろう。実際のところ黒いスーツ姿でも登美子たちから疑われる事はなかったのだった。
「この写真に写っているのは家族だな?」
そう言いながら昭島は麗華の写真を見せた。
「麗華がどうかしましたの?」
登美子が昭島に聞き返した。
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