第18話 惨劇

『幼子と共に天が降りてくるのを待つ。


 この幼子は私が全ての木々の間を、咲き誇る花々の上を、全ての山々を駆け巡り、強い風の吹き荒ぶ深い深い谷を越え、大地の終わる所まで、海をも渡りその果てまで、全ての水を飲み込む大きな裂け目から地の裏側にまで足を踏み入れ、天上世界も尋ねて回って探し当てた尊いもの。


 恐ろしいものではない。永遠の命を得て、この幼子は神々の列に刻まれるのだ。


 天の川の岸辺の機屋はたやで身を清め、静かにその時を待つ。穏やかな眠りをもたらす薬草を飲ませたのでよく眠っている。幸せそうな微笑みを浮かべながら。


 この幼子は希望の芽になるはずだった。


 大地を覆い尽くして美しい花を咲かせ、地の隅々までその芳しい香りに満たされるはずだった。地の底から湧き上がる恐怖を振り撒く悪しき蛇を閉じ込める結界となるはずだったのだ。あの賎しい男さえ蛇に寝返らなかったなら。


 世界を護るはずだった幼子は奪われ、逆に力を得た蛇は絶望の名によって世界を支配した。


 私の生涯のありとあらゆるものを、全ての情熱を注いで、脇目も振らず思いの全て命の全てを賭けていたのに、それは永遠に失われてしまった。一人では背負いきれない程の落胆だった。私の心にも絶望が忍び寄り、憎しみを孕んだ私は大きな選択をした。


 決して開けてはならない、あらゆる忌み物を詰めた箱を開け、自ら忌まわしく荒ぶる物となったのだ。


 世に絶望を解き放った賎しい者の血をひく者たちを、永遠の果てまで付け回して、必ずその血を途絶えさせうる力を私は得た』


「何よコレ」


 麗華のその声は地の底から湧き上がって来る呪いの呪文のようだった。


 新しく出た『START』を手に、仁王立ちになって、怒りに目を見開いて、髪の毛を逆立てて、牙を剥いていた。


「天の川の岸辺ですって?

 身を清める機屋ですって?


 これって禊をする所のことでしょう!?


 天が降りてくるだの、蛇だの何だの、遠回しな言い回しをして勿体ぶっているけれど、龍神の生け贄にされたって事を言ってるんでしょう!?


 全く、そっくりそのまま、アタクシたちが準備している人身御供の悲しいお話そのものじゃあないのよ!!」


「あ、あの、そうですね、でも、昔から語られて来たお話ですよね」


「よくあるテーマのひとつって言うかー、控え目に言って陳腐ー」


「うんうん、被っても仕方ないですよね、ありきたりだもの。それにしても、この物語のこの展開この表現力、台詞も絵も神かよって感じですね。この先が気になる」


「あ、あの、まさにソレ」


「続き読みたいー」


「うんうん」


 それぞれに騒がしかった。


「やめて!!

あなた達の言う事は褒めてるのか貶しているのか分からないのよ!!


 だいたい、あなた達は悔しくないの!?

 こうやって何もかも目の前で奪われて、アタクシたちの悲しいお話はまだ1枚も描けていないなんて

 アタクシは悔しくて死んでしまいそうだわ!!」


 麗華が怒っているのは明らかなのだが、何に対しての怒りなのか怒りの矛先がどこに向かって行くのか、それを探れないので何をどう言うべきなのか全く分からなかった。


「何とか言いなさいよ!!」


 こういう時の「何とか」は「何でもいい」の意味ではない。「何とか」してこの最低な気分から抜け出せる素敵な事を「言いなさい」なのだし、第一どんな事を言われたら気に入るように想定して「何とか」と言っているのか本人も分からない混乱した状態なので、だいたい何を言っても否定されるものだ。


「あ、あの」


 だからといって何も言わないでいても、やはり怒るのは明らかなので何かひとこと言っておいた。


「ああっ、この世でアタクシ程不幸なヒトっていないでしょうね!!


 こんなに美しくて、こんなに感性が鋭くて、こんなに素晴らしい、あらゆる才能を秘めているっていうのに、それを世間の皆さんにお見せする、その道だけ閉ざされているなんて!! 世間の皆さんだって、アタクシから与えられるアタクシを心の底から賞賛する機会と権利を奪われて、なんて可愛そうなんでしょう!!


 こんな苦しみって、あなた達は想像も出来ないでしょうね!!」


「苦しいですよねー」


 所狭しと積み上げられたダンボール箱のひとつに麗華はもたれかかった。


「アタクシが大切に作った『ルル』こんなに素敵に作ったのに! どうやってこの子たちを世間の皆さんにお届けしたらいいの!」


「うんうん、お届けしたいです」


 ゆっくりと膝を落としてから床にその身を突っ伏して、麗華は両手で顔を覆ってオイオイと声を上げて泣きわめいた。


「あ、あの、」


 何をどうしたら、このどうしようもない状況から抜け出せるのだろうか? 考えるのはそれだけだった。根本的な解決策を考える必要があるなどと思い浮かびもせずにメデューサの前で石像になったかのように立ち尽くしているだけだった。


 その時、オフィスにある全てのスマートフォンから、麗華のそれからも、ほぼ同時に響いたLINEの着信音は、まるで天から救いの手を差し伸べられたように感じられた。


『今日だけ無料!!

 光明のさざめき』


 LINEを開いた嶋は言った。


「あ、あの、スパムメールです」


 それを聞いて金永と瑞江もLINEを確認する。


『今日だけ無料!!

 光明のさざめき』


「間違いなくスパムー」


「うんうん、明らかなスパムメール」


 麗華は自分に集めていた人々の視線を奪ったスパムメールに憎しみを抱いた。わずかな人数だと言っても、この人々の注意を集め自分のために気を使わせる事で麗華はエネルギーを与えられていたのだ。それは麗華が生きていると感じられる唯一の時だった。麗華にとってはどこかへ行くのも何かを作るのも歌うのも踊るのも喋るのも、全て人々の注目を集めるためだけだった。その麗華にとって何より大切な人々の注目を一瞬の隙をついて奪って行ったのだ。


『今日だけ無料!!

 光明のさざめき』

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