第16話 屍人の伝言

『木戸の向こうからシワがれた声が緊張した様子で言うのが聞こえました。


「今宵、伝えなければなりませぬ」


 それは知った声のようでもあり見知らぬ者のようでもありました。


 足元を見ると木戸の隙間から漆黒の湿った冷気が滲み出て地面を這って広がっていました。


 --この異様なさま、さては、この木戸の向こうにいるのは、この世の者ではないのか。


 そう思うと、うなじから爪先まで冷たい固まりが体の中をズルリと降りて行くのを感じた。それと同時に細胞の全てが凍りついたように動けなくなったのでした。


 いったい、この世の者ならぬ存在に木戸やカンヌキが何の意味を成すのでしょうか』


 廃墟での夢ともうつつとも分からない出来事があってから、私の頭には白日夢のようなものが浮かぶ事が頻繁になった。


 私ではない誰かの視点から見た出来事が頭に浮かぶと同時に、その人物がその場で感じた事、考えた事がもろともに私の脳裏を通り過ぎて行く。


 恐怖や不安、悲しみなどを経て、肉体の死に見舞われるのだ。私も穏やかではいられない気持ちになった。


 はっきりとした形のないモヤモヤとして、そのままで残る事が出来ず流れ去ってしまいそうな出来事を何とか言葉で織り上げて物語として記憶に留めようと努めるのは習い性になっていた。


 そうは言っても私が感じ取る出来事を全て言葉に表現できるわけはなく、また、ある言葉で表した事でそれが本来合わせ持っていた多様な意味は削ぎ落とされて違うものになってしまうのだ。


 ヒトの感覚器官と心と脳が感じる全てを表すには言葉とはまったく不十分なツールだったが、仕方がない


 私は物語を紡ぐ者であって、事実を一欠片たりとも逃さず記録しようとする者ではないのだ。重要なのは面白いと感じてもらえる要素であり、真実の成り立ちではない方が多いと思う。


 ところが私に幻を見せる存在は、それでは満足しないようで、繰り返し私にそれを見せようとする。隠された意味を悟れ語れと言うように。


 しかし、この世に生きていてさえ、本当の所を理解してもらえる事など滅多にないのだ。どんなに言葉を尽くして考えを伝えようと努力しても、見たいように見て聞きたいように聞くのが他人という存在だ。


 この世を去ってどのくらいになるのか知らないけれど、それが生きていた時に何をして何を考え何を遺したのか伝えたい、正しく理解されたい、評価されたいなどと、未来に干渉し続けようだなんて未練たらしいと思っているのが私なのだ。


 このマッチングは根本的に間違っていると思うのだが、ひとたび紐付けされたものは、そう簡単に変更出来ないらしい。それはお互いにとって不幸だと思った。


 いや、私は物語作りのネタに使わせてもらっているから、私にとっては幸運かも知れない。


 それにしても、どうしてヒトは理解されたがるのだろうか?


『木戸が開いて老人の顔が見えました。


 顔色の良くない疲れて見える老人だった。老人を取り巻く漆黒の重たい空気も開いた木戸から流れ込んで来たのでした』


 麗華は大きなダンボール箱が所狭しと積み上げられたオフィスに戻ると書店で買って来た『START』を開いた。


 麗華に与えられたオフィスも『START』編集室と同じビルにあって、広さも同じくらいなのだが、積み上げられたダンボール箱のために倉庫のようだった。


 麗華が手にしている『START』の表紙と巻頭カラーは茂辺地原作の恐怖マンガだった。


 梨沙が作っている本など買う気持ちは麗華にはなかったのだが、書店に積まれた『START』が目に入った瞬間スゥっと吸い付けられるように惹き付けられて離れられなくなってしまったのだった。


 悪霊に魅入られた主人公が体験した身の毛もよだつ感覚が美しくも恐ろしく描かれ尽くしているのを食い入るように読んだ。


「許せない、こんな表現をアタクシ以外がするなんて、こんなのアタクシ以外が描けるはずないのに


 だいたい、どうして梨沙の『START』は書店に置かれていて、アタクシの芸術的な宝石のようなマンガ本『ルル』は書店に並ぶ事もなく、ダンボール箱に詰められたまま積み上げられているだけなのよ!?


 これじゃ、アタクシがどんなに素晴らしい作品を生み出したって世間の皆さんは、その存在さえ知る事も出来ないじゃないのよ!!」


 野呂がいた時にはsnsを使ってインターネットで『ルル』の販路を作ろうと試みていたのだが、麗華があまりにも盛った内容を発信するので激しい反感を買うばかりで、野呂は『START』に逃げ帰る事になった。


「ちょっと、あなた達!!」


 ダンボール箱の影に隠れるようにしている編集員たちに麗華は言った。みな梨沙と争う麗華に同情して、甘い言葉で誘われるまま付いて来た若手たちだった。


「いつまでもアタクシに頼っていないで、何か役に立ってちょうだい!! アタクシ、こんなのやり切れないわ!! 耐えられないのよ!!」


 梨沙の指揮の元では毎月『START』を作って世に送り出して来たのだが、それは箱庭のように問題の起こらない環境だったからだった。

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