第15話 蛇使い
『その人物には大きなトカゲか蛇のような暗い影が絡みついていました。長い体を巻きつけている様子は蛇なのですが、その影には四つの足がありました。
絡みついた影のような蛇は、その人物と話をしている人の方に体を伸ばして、前足で顔を挟むようにして両方の耳を掴んでいます。蛇のようなその影は人のうなじに顔を近づけたと思うと、その細長い頭部がうなじの窪みからスルリと入って行くのでした。
うなじから蛇の頭に入られたその人は瞳から徐々に光を失い、その端正な顔の人を引きつける表情が消えて行きました。
しばらくすると蛇は頭を引き抜いて前足を離しました。蛇の長い影を体に巻きつかせたままで、その人物は人形のようになっている人に尋ねました。
--誰が世界で一番優れている?
--それはあなたです
その様子は腹話術の人形のようでした』
「うわ」
『START』の誌面から顔を上げて野呂は言った。
「これの原作者が、へのへのもへじのピクトさんの先生なんですか!? まったく雰囲気が違いますね~!!」
言い終わると再び誌面に顔を戻し、食い入るように読み返している。
「まぁ、絵を描いたのが違う人なのでね。でも、コミカルかシリアスかの違いだけで、茂辺地先生の見せどころは人物の描写ですわよ。この絵師、そこを押さえて描いてますわ」
根津は言った。
「たしかにね~」
野呂は片手を後頭部へと持って行き、自分のうなじを掴んで肩を上げ下げした。
「でも、この絵で人間を深彫りされると身震いしちゃいますよ」
いつまでも自分のうなじを揉んでいる野呂を、根津はじっと眺めていた。
「うなじ、どうかしたの?」
「そうですね、なんだか、ザワザワする感じ。このマンガを見たからじゃなくて、この何日か、いえ、ずっとザワザワして落ち着かなかったんです」
そう言って野呂はコップの水を飲み干した。
「『START』はどんな感じです? みんな麗華さんに連れられて出ちゃったから、人手が足りないんじゃないですか?」
「アナログで描かれるマンガ家さんて『START』じゃ猫田先生くらいですものね。他の先生方は皆さんデジタルで描かれてますわ。
つまりですな、データのやり取りで済みますので、マンガ家の先生一人ひとりに担当がくっついてなくても問題ないのが、すっかり可視化されてますわ。
以前から分かってた事なんですけれど、やはりあれは形骸化した『しきたり』に過ぎなかったのですな。
それから、紙のマンガの売り上げを伸ばそうとするよりもネットでのマネタイズに、もっと力を注ぐと言うのが現実的だとなりましたわ。
こんな調子ですので猫田先生が引退する事態になったら、ワタシのような昔の人間は『START』に居られなくなるかも知れませんわ」
根津はそう言ってニヤリと笑い、野呂は深くため息をついた。
「野呂さんスパイに来たんですの?」
「そんなんじゃないですよ。
都合の良い事をって言われると思いますけど、出来れば『START』に戻れないかな、と思っただけなんです。
気味が悪いんですよ」
「麗華嬢が?」
「いいえ、何の考えもなく麗華さんに盲従してる人たちが。
いいや、やっぱり麗華さんかな」
『START』の茂辺地のマンガのページの影のような蛇のコマを指しながら野呂は言った。
「麗華さんと話しているとね、本当にこんな感じなんですよ。うなじから全身にゾワゾワ~ってなる。
『START』に戻れないとしても、麗華さんの所にはいたくない、いられないです、不気味だ、だから辞めます」
「もっと詳しく聞かせてくださる?」
「麗華嬢のオフィスは、売れなかったマンガ本と、付録に作ったバッグや帽子の詰まったダンボールが山積みで、まるで倉庫だそうですわ」
長目のコーヒーブレイクから『START』編集室に戻った根津は、野呂に聞いて来た話を梨沙に伝えていた。
「だと思ったわ、いつもの事よ」
唇を尖らせて梨沙が言った。
「麗華叔母様に言ったって聞きゃしないけれど、形の有るモノは売れないのよねぇ」
「野呂さんも意見したそうですわ。snsを活用してとか、色々とですね」
「何を言ったって『そんな貧乏臭いこと、やりたくないわ!!』でしょ?
でなけりゃ『どうしてこれが売れないのよ、こんなに品質の良い材料を使ってるのに!!』
あと、これもあるわね『才能のあるアタクシがデザインしたのよ!!』」
根津の言葉を遮って梨沙が言うので、根津は吹き出した。
「さすが、よくご存知ですのね」
梨沙は顔をしかめて見せる。
「まぁ、麗華叔母様はダンボールの山に押しつぶされていただくとして、野呂さんには、いつでも『START』に戻って来てくださるように伝えてくださる? 」
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