第6話 アトリエ粉砕
偶然も実力のうちと言うけれど、この巡り合わせで実力派は誰だったのだろうか。
梨沙は麗華に渡したUSBメモリの事などキレイに忘れていて、思い出しもしない様子だった。麗華は編集室に現れなかった。今日もロボットコンビニをオフィス代わりにしているのだろうか。代わりに山瀬が編集室に入り込んでいた。
「山瀬クン、どうして堂々と毎日編集室に来るわけ?」
そう梨沙に言われても同じ返事を繰り返すだけだった。
「言ったでしょう梨沙ネエ、親父も爺様もいいって言ってるんだよ」
社長と会長から好きにしていいと言われたのだから、梨沙にツマミ出される筋ではなかった。さすがに山瀬のデスクは準備されなかったが、編集室には打ち合わせに使う談話コーナーがいくつかあるので、居場所には困らなかった。
談話コーナーのベンチでスマホをいじっていると、誰かのデスクの電話が鳴った。
「は~い、『START』明海で~す」
明るく電話に出た明海の声は、
「えっ!? ええ~っ!!」
と、次第に緊張した声に変わって行った。
「編集長~、根津さんから電話で、猫田先生が交通事故で入院されたそうです~!!」
根津が担当する猫田は『START』の古参のマンガ家だった。梨沙は顔色を変えて聞き返した。
「交通事故ですって!? 締め切り直前に交通事故に合うために出歩いていたと言うの!?」
「いえ、あのぉ、猫田先生が出歩いていて事故に合ったのではなくて~、アトリエに車が突っ込んで来たそうです~!!」
明海の甲高い声のトーンもあるのだが、人のいる建物に車が突っ込むという事故は、どうしてもギャグ漫画やコントを連想してしまうと山瀬は思ったが、梨沙は深刻な様子だった。
「それで、怪我の様子はどうなの!?
いいえ、直接会いに病院へ行くわ!!」
梨沙について山瀬と明海も、猫田の病院に行った。幸い、猫田とアシスタントの怪我は酷くはなく、一般病室のベッドにいた。
「猫田先生~~~、何て事ですの~~~」
病室に入るなり、元宝塚スターである梨沙はアルトの声をビブラートさせながら言った。
「猫田先生~~~、私が見えますか~~~? 指はどうです~~~!?」
「編集長は私の目と手だけ無事なら、それでいいとお考えなのですね、ヒドイ」
猫田は頭から毛布を被ってしまった。
「まぁ~~~そんな事言っていないじゃないですか~~~」
医師の話では、猫田もアシスタントも、今夜だけ入院して、異常がなければ退院して通院治療になりそうだという事だったが、どうやら精神的ダメージが大きい様子だった。
事故現場のアトリエを見に行くと、猫田の受けたショックが尋常ではないとわかった。
後になって見たCCTVの映像には車道をフラフラと横断する歩行者が写っていたのだが、その歩行者を避けようとハンドルを切ったトラックに弾き飛ばされた対向車がマンションに激突した。
車体はベランダ部分で止まったのだが、その車は鉄材を積んだ軽トラックだった。反動で荷崩れして荷台から飛び出した鉄材は、窓ガラスを破って猫田たちが居たアトリエに弾丸のように飛び込んだのだ。
黄色いテープを張り巡らされてブルーシートで覆われたベランダの隙間から室内を覗き込むと、作業台や画材が散乱していた。猫田はアナログで、つまり紙に画材を使って絵を描くマンガ家なのだった。
「うわぁー、グチャグチャ~」
明海が甲高い声をあげた。
現場に来ていたマンション管理会社の社員によると、警察の捜査が済んだらすぐに窓枠の修理をするという事だった。
「窓が直っても、このアトリエは、もう引き払うしかないでしょうね。原稿はどうなったの?」
梨沙に聞かれて、かすり傷を負っていたが、入院する程ではなかった根津が応える。
「仕上がって乾いていた原稿は書類鞄に入れていたので無事ですが、作画中だったラスト3枚はこの中に埋まっているはずです」
スティーブンキング好きの猫田が『ミザリー』の主人公の真似をしてずっと愛用している皮の書類鞄だった。梨沙は書類鞄を受け取ると、原稿を確認した。
「どうします~? 警察の捜査が済んだら、掘り出しますか~?」
その作業をするとしたら自分だろうと思いながら明海が尋ねた。
「掘り出しても使い物にならないでしょう。この原稿は私が持って行くから、根津さんはここに残って事故現場の写真を撮って来てちょうだい。写真と説明文とお詫びで1ページ作るんだから、臨床感ある写真をお願いね」
「残る2ページはどうしましょうか~?
ひょっとして白紙ですか~?」
思慮のない様子で言う明海に、梨沙は返す言葉がなかった。
「お困りのご様子ね~」
麗華のハリのある声が響いた。
「どうしてここにいらっしゃるの、麗華叔母様」
麗華はニヤリと笑った。梨沙の問いには応えずに自分のスマートフォンをヒラヒラさせながら言った。
「あなたの窮地を救う2ページの原稿は、ここにあるわよぉ」
「叔母様のスマホが何の役に立つっておっしゃるの!? 」
「あら、そんな事言っていいのかしらねぇ、このスマホのなかにお宝原稿がザクザク入ってるんだよ」
「お宝原稿~?」
明海が無邪気に聞いた。
「この間のアレよ、仕上げてあるのよキッチリとね」
「相変わらずセリフの感性ゼロで意味が全然わからないわね」
「んもぅ~、なんで分からないのよぉ~
あなたが私によこしたUSBメモリに入ってたネームの事に決まってるじゃないのよ~!!」
こうして茂辺地のデビューは劇的に決まったのだった。
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