第5話 麗華という女

『START』編集室のあるオフィスビルのエントランスを出ると、山瀬は周囲を見回した。見間違いようのない派手な装いのおかげで麗華はすぐに見つけられたが、直後に重そうな質感のビルの一角にあるガラス張りの店舗に吸い込まれて行ったので、もう少し遅かったなら見逃していたかも知れないと思った。


 それはロボットコンビニだった。人間の店員がいない店舗の中には食べ物飲み物から日用品など、色々な商品がゆったりと置かれていて、顧客は必要な商品を自由に手に取って、そのまま店を出るなり店内のテーブルのあるスペースで飲食するなりすればよかった。


 この店舗は高い天井と落ち着いた内装で居心地の良い雰囲気を出しているが、店内のあちこちに無数のカメラが設置されていて、一部始終を記録している。顔認証と紐付けされた決算方法で支払いされるのだった。


 どこのコンビニにも、だいたいプリンタなども置かれている。麗華はプリンタに向かい、USBメモリの中身をプリントしようとしているのだった。プリントなら編集室ですれば良いのに、なんでわざわざ外で、それもコンビニでするのだろう。一族から「変わった人」と呼ばれる人の考えはやはり分からなかった。


 プリンタが出力したA4用紙を掴むと、麗華はテーブルに向かった。山瀬は一瞬考えに耽っていて身を隠すこともしていなかったが、もとより麗華は山瀬に気付く気配はなかった。


 ふと、山瀬は麗華の仕草が気にかかって、プリンタに近づいた。山瀬が訝しんだ通り、プリンタの操作パネルにはUSBメモリが刺さったままだった。更に、紙受けには出力されたA4用紙が何枚も残されていた。先にプリントされた1~2枚だけ手にして、そのままテーブルへ移動したようだった。


 USBメモリとA4用紙を持って、山瀬はテーブルのある方にそっと近づいた。人間の店員がいる店だったら不審者扱いされそうだが、幸いロボットコンビニで映像を分析するAIは、商品の支払いをどの人間に割り当てるのかだけに関心を持っている。


 麗華はプリントした紙からスマートフォンでダイアルしているようだった。


「アロウ? ああ、モシモシ、ええと、モヘジさん? 『START』の麗華よ。あのね、あなたのネーム見てるんだけど、直すところ言うから、その通りに直してくれるかしら。まずね、最初のコマなんだけど」


 麗華の電話を聞きながら、山瀬は手にしたA4用紙を見た。四コマ漫画のネームだった。


「分かったかしら? 最初のコマは、そう直してね、すぐにこの番号に送ってちょうだい。え? 次!? 何言ってるの、最初のコマが直ってからじゃないと、その先なんて分からないわよ、さっさと直して見せてちょうだい、分かった!?」


 麗華は電話を切ると、そのままテーブルで修正されたネームが送られて来るのを待つ心づもりのようだった。


 山瀬はプリンタの方に行くと、先程プリンタに刺さっていたUSBメモリをもう一度差し込んだ。複数のファイルが入っていて麗華がどのファイルをプリントしたのか分からなかったのだが、一番最初のファイル名がmohejiだった。


 プリントすると、1ページ目には作家の連絡先などが書かれていて、作家の名前は茂辺地もへじとあった。へのへのもへじの茂辺地という事のようだ。次のページが麗華が今見ているネームで、麗華がプリンタに残して行ったページに続いていた。山瀬は最初のページから丁寧に読み始めた。


 それは四コマ漫画のネームで、描かれているのは、丸描いて点のような記号化された人物たち、ピクトグラムだった。広告デザイナーがクライアントやクリエイターたちをクールな目線で観察する業界日記で、文字が多いと思ったが、なかなか面白かった。


 背景や服装など、「ここはこうなる」と手書きの文字で説明しているのだが、これを仕上げるとどんな画面になるのだろうと、山瀬はむしろ興味が湧いた。


 ネームを読み耽るうちに麗華のスマホにメールが届いたようだ。麗華は画面を操りながらネームを見ていたが、すぐに画面を切り替えてリダイアルしていた。


「アロウ、今見たわ、最初のコマはこれで良くなったけど、今度は次のコマが繋がらないよね、これ、こんな風に直さないとダメだよねぇ」


 山瀬は手元のUSBメモリとネームを見た。取り敢えず、これを手に入れただけで十分な収穫だったのだが、麗華がこのネームをどのように改変しようとしているのか気になって、この場を立ち去る事が出来なかった。


「あのね、言っておくけどね、あなたに才能があるなんて思わないでよね。アタシはあなたのクズみたいなマンガを何とか形にしてあげようって、わざわざ言ってあげてるんだから。一コマずつ変更の指示をするなですって!? 効率が悪いですって!? 」


 口からギャラクシーを吐き出すような勢いで麗華は言葉を重ねていた。心が傷ついたその瞬間、耐えられない痛みを感じると同時に自分が傷付いた事を認めたくない思いが飛び出して来て、とっさに痛みの元を否定する言葉が飛び出すのだった。その瞬間傷も痛みも忘れ、自分は才能に満ちて無敵だと信じられる様子だった。


 言葉の余韻が去ると、痛みが戻って来る気配がした。言葉で痛みが遠ざかるのはその刹那だけなのだ。だから立て続けに言葉を吐き続ける。反射で飛び出す言葉は過激になり、声には悲愴な響きがあった。それがまた麗華自身を苛立たせた。


 麗華の隠しようのないコンプレックスだと、聞きながら山瀬は考えた。麗華が必死に価値を落とそうとする程、これに面白さと脅威を感じているのだ。実際、このネームは面白いと山瀬は確信していた。しかし、茂辺地のネームが面白いからと言って、どうして麗華が傷付くのか山瀬はわからなかった。


 理由はわからないが、麗華に延々と切り刻まれたネームは既にまったくの別物に変わり果てていた。話の流れは分断され言葉の魅力はすべて削がれてしまった。


「いいこと、アタシの手直しした通りにして仕上げなかったら、あなたなんかこの業界で仕事させないんだからね!」


 そう言えば、麗華を生まれながらの破壊者と誰かが呼んでいたのを山瀬は思い出した。爺様でさえ抑えられないそうだが、それは麗華本人にもコントロール出来ない感情に突き動かされているようだった。


 ひょっとすると、麗華の登場は思ってもいなかった幸運をもたらすかも知れないと山瀬は感じ、この舌禍が起こすであろう嵐をあらかじめ防ぐか否か考えあぐねた。何事もなく収めてしまっては、梨沙が自分の価値を認めないだろうと山瀬は思った。

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