第一章 ピクトグラム

第2話 見られたら終わり

 私はエッセイまんがを描いています。エッセイまんがというのは、創作日記マンガとか、旅行記マンガ、育児マンガ、著名人である夫さんの観察マンガ、ご家族の看病マンガなど、マンガ家の身近な出来事を題材に描かれるマンガの事です。


 ストーリーまんがをスタイリッシュなタッチで描かれる先生方でもエッセイまんがでは「へのへのもへじ」というか、「非常口マーク」などに描かれている人型の記号のようにピクトグラム化した、力の抜けたキャラクターで日常を切り取って描かれていることが多いです。


 私はエッセイまんがというジャンルに救われました。世の中にエッセイまんがの需要がなかったら私はどうやって生きて来ただろうかと思います。こんな風に書くと「へのへのもへじしか描けないのなら、マンガなんて描いてないで、平凡に働けばいいでしょう」と指摘されるかも知れませんが、私は平凡に働けないのです。


 なぜなら私は『顔を見られたら終わり』なので。


 美人でもないし愛想も可愛げもないのに、なぜか顔を突き合わせていると粘着質でストーカー気質の人を引き寄せてしまいます。というより相手の内面深くに潜んでいた何かを引っ張り出してしまうとでも言うのでしょうか。


 高校の頃のバイトが長く続けられなかった事にはじまって、結構いい所に就職できたのに数ヶ月で退社しなければならなかった事まで、粘着人間のためだったんです。


 私はぜんぜん美人じゃないし、愛想も可愛げもない、それどころかどっちかというと口さがない高慢な女で、なんでこんなに次々と粘着されるのか解りません。


 私の態度に問題があって出会う人ごとにフェロモンを振り撒いて誤解させているなら、私がそんな態度を取らなければいいのでしょう。でも、どんなに気を付けていても相手は恋愛妄想のようなものにハマってしまうのです。


 顔を付き合わせる事が問題だと悟って会社を辞めた私は引きこもり生活をはじめました。とにかく誰とも会わずに生きて来ました。買い物はどんな物でもほとんどネット通販。ネットで買えない生卵は、フード付きパーカーと大判マスクとサングラスで武装してスーパーへ行って無言で買ってサッサと帰って来ます。


 それでも、何かの手違いで誰かに顔を見られ粘着され住んでいる所までバレてしまったら、引っ越しせざるを得なくなります。そんな時に素早く行動できるようにと、持ち物はどんどん少なくなって、今では立派なミニマリストです。


 マンガやイラストは子供の頃から描いていました。マンガでもイラストでも、タブレットとタッチペンだけあれば描けるので、仕事道具を増やさずに済みます。


 学生の頃に作った薄い本のご縁でお仕事をする事もあった出版社さんとは、その後もメールのやり取りだけで打ち合わせをしてエッセイまんがを描いています。おかげで引きこもりながら今日まで食いつないで来られたのですから本当に感謝しています。


 私のエッセイまんがの内容は、まあ、この自己紹介文から察してください。家族や親戚、幼なじみから、不幸な出会いを引き寄せて来た見知らぬ御方の事まで、なんでもネタにして来ました。


 そして、今のネタ元がこの飲食店に棲み着いてる人々です。食べ物だって全部ネット通販で済ませられるのに、フードにマスクにサングラス姿で観察しに来たくなるほど面白い人達が出入りしてるのです。


 あそこのテーブルを囲む中で一番顔と態度のデカい男性が、私のメインターゲットなのですが、ヤバイです、ネタ造りに熱中するあまり、まったく意識なくガン見してました。目がバッチリ合っちゃってます。どうしたらいいのでしょう。


 こんな時に愛想笑いをしたらダメだし、関心ないですって冷たく視線を外しても無駄なのですよね。こっちがどんなリアクションしたところで、相手が脳内補完して全て好意的に解釈してしまうらしいのですから。私が「そんな意味じゃないです」って言い張っても無駄なのです。


 そんな考えが光の速度で私の脳内を巡っている間に、ペンギン君が私のテーブルの近くに来てました。いつも黒ずくめなのでペンギン君と呼んでいます。


「おねえさん、いつもこの店に居るよね!」


 そうです、ペンギン君は気さくなキャラなのです。


「ええ、まぁ」


 そう言いながら自分のテーブルを見れば、子供のラクガキ並のメモ紙が散乱していて、とても普通の人の夕食風景じゃありません。


「おねえさん何してるヒト~?

 とってもコセイテキ」


 私が座っていいと言ってないのに向かいの席に座って、メモ紙をつまみ上げて見ていたので、慌てて取り返して他のメモ紙と一緒にバッグに押し込みました。


「あ、あのね、これ秘密の資料だから」


 ピクトさんと幼稚な文字でグチャグチャなラクガキがコイツの観察記録だと悟られたら一大事だと思いました。


「ふーん、おねえさん創作系のヒトなんだ」


 なんと申しますか、隠遁生活を続けて来て、ヤバくなったらサッと引っ越しして逃げて、ある意味で成功体験を重ねて来ているので、クソ度胸が着いているのですね。それに、ペンギン君はずっと観察してて友達多くて明るいキャラだって解ってたし、こっそり観察スタイルから、知り合い目線で観察スタイルに切り替えるのも悪くないしと考えて、取り敢えず仲良くなることにしたのでした。


 タブレットと旅行カバン1つ持って、私はいつでも逃げられるのですものね。


 *****


 ここはどこなんだろうと、それは思った。モヤモヤとした何かに包まれている感覚だった。目を凝らしても何も見えて来ない。本当に暗闇の中にいて見えないのか、それとも自分の目に問題があるのか区別の付かない暗さだった。目の前に何かある、そんな圧迫感を感じて手を出そうとしたが、自分の腕が動く感覚もしなかった。


 耳のなかで血管が脈打つ音が響いていた。他の音は何一つなかった。脈打つ血管の音が自分の鼓膜を破るのではないかと思うほどだった。


「... ツ モ ... セ ニ ... ヨ ネ ...」


 頭の奥深くに沈んでいた何かがゴボリと動いたように、それは感じた。


「 ... シ テ ル ヒ ト ... ト テ モ コ セ イ ... 」


 ゴボリゴボリと音を立てながら、それを取り巻いていたモヤが消え、何かが見えて来た。


「オネエサン ソウサクケイ ノヒト?」


 全身の血が逆流するような感覚に襲われ、その流れに乗って漂いはじめると、男の姿と女の姿が見えた。それは男と女の間をグルグルと回り続けた。


 ひょっとして自分はあの蒼白い光を放つ鉱物の坂を落ちて行っているのかと、それは思った。背中の肉が削がれる痛みを思い出して、その口から嗚咽が漏れそうになった。無我夢中で腕を延ばして掴んだのは男の首だった。それは両腕を男の首に絡み付かせた。その体はクネクネと男の体に巻きついて動かなくなった。


 その唇がゆっくり動いて何かを言った。


「最後のひとり」

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