黄泉比良坂

@stitch365

プロローグ

第1話 ほのかにひかる

 ほのかに光を放つ鉱物の結晶が、足の下でシャリリンシャリリンと澄んだ音を立てながら擦れ合うたびに一瞬明るさが増して、やがて静かに元に戻って行った。


 一体それはいつから、このほのかな光を放つ鉱物の上を歩き続けていたのだろうか。夢の中の風景のように美しく印象的だが、一本の草も木も生えず虫の気配さえなかった。自分がどうやってここまで来たのか、この先どこに行くのか考えもしなかった。ただ交互に足を前に運んでいるだけだった。


 自分が何者なのか考える事もなかった。おそらく思考もほとんどしていないのだろう。体を左右に傾けながら足だけが反射のように前に出て歩いて行くのだが、そのような働きが起こるのがむしろ不思議なほどだった。


 行くほどに土地は勾配を増して行き、ついに手を付かないでいられなくなった。登山用の杖があったら良いのだろうが、そこには杖どころか木の枝もない。四つ這いになりながら、それは顔を上げた。鉱物の放つ光を受け蒼白く見えるその顔は虚ろな目で先を見た。坂はどこまでも続いていた。


 衣から出た手に触れる大小の鉱物は冷たく硬く、放つ光も温かくなかった。手も凍りついたようで、鉱物に触れるたびにシャリリンと音をたてた。鉱物の光を受け、シュルシュルと衣の擦れる音と、鉱物に凍りついたような手足の当たる音をシャリリンとたてながら、それは次第に急勾配になる坂を登って行った。


 衣の裾から見えるその足に履き物はなかった。血の気の無い肌のように見えるのは、鉱物の放つ蒼白い光のためなのか分からなかった。爪先が鉱物を捉えて蹴り上げる時にカチャリと音をたててる。鉱物が放つ明度をあげて照らし出す爪先は冷たく硬そうに見えた。


 キュイーーーン


 凍った空気を切り裂くような音が聞こえて、それは顔を上げた。


 カーーーン

 カーーーン


 音と共に火花のような光が落ちて来るのが見える。相変わらず虚無な表情のままでいるが、その横をズザザザーーーと、人の形をした見知らぬ者が滑り落ちて行った。


 滑落の軌跡の、次第に弱まって行く鉱物の光に照らされながら、その薄暗い目の奥には、逆に輝きの増す気配があった。


 ゴツゴツした鉱物に背中をこそげられながら、鉱物の放つ美しい光に包まれて、真っ逆さまに滑り落ちて行く。


 落ちて行くのは見知らぬ者なのだが、その痛みと恐怖を生々しく感じるのか、身動きが取れなかった。滑落者の起こす光が遠い闇の彼方に見えなくなるまで、いや、暗闇しか見えなくなっても、しばらくそのままで居るしか出来なかった。


 やがて、痛みと恐怖の感覚は薄らいで行き、その目は再び虚無の影に戻り、手足をぬらりぬらりと動かして、這うようにゆっくりと登りはじめた。


 登り詰めたその先に何があるのか分かっているのではなかった。しかし、ここで光る鉱物にへばりついていても安らぎはない。手足を無様に動かして少しはマシな体勢になれないものかと動き続けるのは、緩やかな永遠の刑罰のようだった。上へ登り詰めたなら、何か良い変化があるような気がするのだった。


 ぬらりぬらりと手足を動かし続けて、伸ばしたその手が今までと違う何かを感じた。見ると上から差し込む光を受けているのだった。この強い光の届く所では、鉱物の放つ蒼白く弱い光は、もはや見えなかった。


 それは振り返りはしなかった。しかし、背後の様子はあからさまに思い浮かんだ。薄暗い中にほのかにともる鉱物の光。そして、真っ直ぐな蒼い光の軌跡を残して行く滑落者。衣が裂け、皮膚も筋肉や筋もこそげ取られ、白い骨が露出して行く痛みを、寒気と共に感じた。


 それは上からの光の中へ手を伸ばした。手足をがむしゃらに動かして、体を上へと運んで行った。薄暗がりに慣れた目は、穴の外の明るさを見ていることが出来なかった。全身に強い光を浴びながら穴の外へと両手を伸ばして、そこがどこまでも平らな事を確かめながら、体を穴の外へ引き出し横たえた。


 もはやそれには顔を上げる気力もなかった。

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