山をひとつ越えて下りると裾野を迂回する細い道に出る。その場所の左手のやぶを強引に突っ切ると獣道があり、あとはひたすらその獣道を上がっていくのだと、仁志に教えられた通りに進んでいくと、生い茂る木々に隠されるように小さな小屋があった。打ち捨てられたようなオンボロ小屋のドアを開けて中をのぞいてみる。

「ここかな?」

 反対側にももうひとつ、ただの壁にカモフラージュされたドアがある。そこを抜けるのだと教えられた。

 少し緊張しながら琉依はそのドアを開けた。

「うわ、なんかこれ、どこでもドアみたいだ」

 その向こうにはこれまでの草木の生い茂る風景とは別次元のように開けた空間が広がっていた。

「結構な規模の村なんじゃないか?」

 続いてドアを抜けてきた玲央も驚いたような声を出す。ぱっと見た限り、建物の数や広さなど昨日立ち寄った仁志の村と遜色ない規模だった。仁志の村が小さすぎるのかもしれないが、獣人が隠れ住んでいると聞いて想像してたものよりもはるかに大きい。一体どれぐらいの獣人がいるのだろう。


 誰に話を聞けばいいものか、琉依は人の姿を探してきょろきょろと辺りを見回す。村の姿としては平屋建ての木造住宅に自給自足程度の田畑が広がるありふれた田舎だ。獣人と言っても今の玲央と同じように姿形が違うだけで暮らしぶりは人間と変わらないようだ。

「あ、あっちに人影あるぞ」

 何の考えも無しに、琉依は人影に駆け寄っていく。

「ちょ、待って、ルイ!」

 玲央の制止なんて気にもせず、視界に入ったその人に声をかける。本当だ、玲央と同じようにふさふさの獣の耳が生えている。同じ色のふさふさの尻尾もある。ぴくぴくと動くそれを感動的に見ていると、いつの間にか回りにたくさんの村人が集まってきていた。


「なんだおまえは。どこから来た」

 厳しい視線がたくさん突き刺さる。

「あれ、なんか、不穏な空気…?」

 どこからどう見たって歓迎されていない。招かれざる客というやつだ。

「よそ者が何の用だ」

「ガキじゃないか、迷子か?」

「いや、こんなところまで迷い込む事はないだろう。何を企んでいる?」

 琉依を囲む人の輪は徐々に小さくなり、次第に追いつめられていく。

「や、ちょっと待って、あの、俺の話を聞いて」

 次第に目撃者は消せ、みたいな雰囲気になっていくのを感じ、恐怖で全身が粟立つ。仁志が怖がっていたわけをようやく理解した。


「待ってください。ちょっと、すいません」

 人垣をかき分けて、玲央がやってくる。

「一人で突っ走るな、バカ」

 もう一人いたぞとざわざわする中、玲央にしては珍しく大きな声を出して怒鳴ると、恐怖で身動きが取れなくなっている琉依の胸ぐらを掴む。そのまま琉依の体を持ち上げるぐらいの勢いで引っ張り、身を屈め激しく口づけた。

「…んっ…」

 こんなにたくさんの敵意のある目に見つめられながらキスをするなんてありえない。琉依ならまだしも、玲央の性格を考えたら気が触れてしまったかと思うほどだ。一体何なのかと声を上げたかったが玲央の唇がそれを許さない。

 執拗に深い口づけに息も絶え絶えになってきた頃、二人を囲む人々がざわつく気配を感じた。

 と同時に玲央の唇からも解放され、何がどうなったのかと急いで頭を整理する。


「おまえ、獣人か…?この村以外にも獣人がいるのか?」

「だけど最初はなかったぞ。どういうことだ」

「あっちのガキは普通の人間だろう?」

 ざわざわと村人の間に戸惑いが走る。

 見れば、玲央はそこにいる人たちと同じように耳と尻尾がとび出していた。

「仁志が言ってたろ、彼らでさえ村に入れてもらえないって。危険があるかもしれないとか少しは考えてくれ」

 周りを警戒しながら玲央が俺の耳元で小さく囁く。

「彼らに迷惑はかけられないし、穏便にいこうと思ったのに…」

「ごめん、つい興奮しちゃって」

 しゅんとなる琉依の頭を軽く撫でた玲央は、琉依をかばうように腕の中に抱き込む。

「この体の事で、同じあなたたちに少し聞きたい事があっただけです。用が済んだらすぐ出て行きますし、秘密も漏らしません。なので、あの、その物騒なものをしまっていただけますか」

 玲央は凛とした声で丁寧に告げる。武器になりそうな棒やら刃物やらを握りしめて敵意をむき出しにした村人たちの中に動揺が走るのがわかった。


「まあ待てよ、俺が話す」

 人垣の後ろの方から一人の男が前に出てきた。綺麗な金色の毛の耳と大きな尻尾を持った男は、若いけれど立場のあるもののようだった。彼の制止とともに詰め寄る人々が引き下がっていく。

「こいつらの事は俺が預かる。それでいいだろう?どうするかは話を聞いてから決めるさ。文句があるなら親父にでも言っといてくれ。ほら、散った散った」

 彼は琉依と玲央、ふたつの手を引いて歩き出す。彼の動きにあわせて人垣が引いて道が開いた。

 その影響力の強さに閉鎖的な村の怖さを再び感じる。けれどどうやら助かったようだった。




 連れて行かれたひときわ立派な家は彼の家らしい。カムイと名乗った彼は村長の息子なのだそうだ。年の頃は琉依たちよりも少し上、成人しているかいないかぐらいのところで間違いないだろう。それでも村人を動かせてしまうほどの権力があるのだ。


「なるほど、魔法ね。それで耳が出たり入ったりするわけだ」

 一通り、自分たちがどういう身の上で何を求めているのかを話し終えると、カムイは興味深そうに二人の顔を交互に見つめ、おもちゃを見つけた子供のようにフフンと笑った。

「あんたらは違うのか?」

 尻尾をもてあそばれて微妙な表情で黙り込む玲央の代わりに琉依が食いつく。尻尾の感覚がどのようになっているのかなんていうのは琉依にはわからないけれど、あまり気分のいいものではないらしい。それでも命の恩人に噛み付くわけにもいかず、玲央は眉間にしわを寄せたまま黙り込んでいる。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、いや、自身にも尻尾があるのだからおそらく確信犯なのだろう、カムイはネコみたいに楽しげに玲央の尻尾にじゃれて遊ぶ。

 他の村人たちと違って、どうやらカムイは二人の侵入を楽しんでいるようだった。

 魔法の話にも興味を持ったらしく、琉依の小さな頭をぐりぐりと撫でくり回し、玲央の尻尾いじりに至っている。


「俺らはみんな生まれた時からこの姿だし、死ぬまで変わる事はないよ。魔法なんて見た事も聞いた事もねえな」

 どうやら彼らと玲央では根本的に違うらしい。彼らは魔法によってその格好にされているわけではないのだ。

「戻る方法を探しているのなら、残念ながらここには何もないな。そんな方法があるのなら俺が真っ先にやるね。こいつのおかげでこんなちっぽけな村に閉じ込められて生きていかなきゃいけないんだからな。むしろ俺がお前らの母ちゃんに魔法をかけてもらいたいな」

 お前ら母ちゃんに謝れと、ふたつの手でふたつの頭をぐるぐるする。

「つっても無理か。親に逆らう意地は俺もよくわかる。地道に別の魔法使いを捜すんだな」

 つまりはここまで来たけれどはずれだったという事か。

「なんならここで暮らしてもいいけどな。耳がないちびちゃんも許してもらえるように頼んでやってもいいぜ」

 それもいい、と、少し心が揺れた。ここならば玲央は何を気にする事もなく普通に生きていける。一緒に居てもいいというのなら、呪いなど解かずとも幸せに生きていけるかもしれない。琉依はそう思ったのだが、しかし玲央はきっぱりとそれを断った。

「俺だけ良くてもルイがこのままじゃ駄目なので、それは無理です」

「そうか。おまえいいやつだな」

「お騒がせしてすいませんでした。助けていただいてありがとうございました」

 丁寧に頭を下げる玲央を前にして、カムイは自重気味に頬を上げる。

「いや、礼には及ばん。あいつらがおかしいんだ。俺はさ、ああいう閉鎖的なやり方が嫌なんだ。村の掟だとかそんなものくそくらえだ」

 助けられたのにはそんな経緯があったようだ。彼のような人がいて幸運だった。みんながみんな掟とやらを守る人であれば今頃天へ召されていたかもしれない。反骨精神万歳だ。


「いや、待てよ。掟で思い出したが、村に伝わる創世の物語みたいなものにもとは普通の人間だったというくだりがあったような気がするぞ」

 無精に生えたあごひげを指で撫でてカムイは記憶を確かめるように上方に視線を漂わせる。

「物語?それ詳しく教えて」

 おとぎ話のような伝承に真実が紛れている事はよくある話だ。何かヒントになる事が隠れているかもしれない。直接的でなくても何か少しでも手がかりになるかもしれない。息をのんでカムイの答えを待つ。

「うーん、悪い、俺覚えてないわ。この通り村が嫌いなもんで、そういうものとは縁がないと言うか、避けて通ってきたからな」

「おい、こら、ちゃんと勉強しとけ」

「弟と違ってくそ生意気だな、こいつは」

 間髪入れず突っ込む琉依に苦笑しながら、カムイは立ち上がった。

「ついてこい、じいさんにあわせてやる。長老だからな、そういうことはよく知ってる」

「最初からそこ連れてってくれれば良かったじゃん」

「まあ、そう言うな。老体だからな、そうそう刺激を与えられないんだよ」

 カムイはなぜだかちょっと照れくさそうにそう言った。村への反発は強いが家族への愛情は深い人なのかもしれない。

 とてもいい人たちと巡り会えている。こんな体にされて恨む事もたくさんあるけれど、いい事だってある。途方もない旅でも、だから頑張ろうと思える。




 長老は、布団に横たわったままで長い長い昔話を聞かせてくれた。

 始まりは一人の姫様と、その姫と愛し合ったがために呪いをかけられ獣の姿にされた身分違いの青年。そんなよくあるおとぎ話だった。

「初代の呪いを解く方法ならあるぞ。おぬしにも効くかどうかはわからぬが」

 長いおとぎ話のあとに長老はあっさりとそんな事を口にした。

「ええーっ」

 声は琉依と玲央、そしてカムイの3つが綺麗に重なった。

「じいさん、なんで黙ってた」

「わしら子孫には効かんよ、カムイ。解けるのは初代の呪いだけじゃ。わしらのようにもう遺伝子で変わってしまっておるものには効かん」

「マジか…」

 カムイはがっくり肩を落とした。


 長老の話では、神社でご神体代わりに栽培されている植物の実を口にすると一時的に人間の姿に戻るのだという。そのままきっかり24時間もとの姿に戻る事なく過ごす事が出来れば二度と獣の姿に戻る事はないらしい。本当かどうかは半信半疑だ。だって初代は結局獣の姿のままだったから子孫である彼らが獣人の姿であるのだ。初代は呪いを解けなかったのか、あるいは解かなかったのか。


 それでもやってみる価値はある。

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