「こらっ、レオ、待て」

 聞き慣れた声より少し高い、懐かしい声が、だいぶ後方から玲央を呼び止める。振り向けば琉依との差はいつの間にか5メートルほどに開いている。

「ごめん、またやった」

 歩き始めた時には隣に肩を並べていた。体格も同じ二人は普通に歩けば同じ速度で肩を並べ続けるはずなのだ。

 けれど今の琉依の身長は玲央より50センチほど低い。当然歩幅も全く違うわけで、玲央が気をつけてゆっくり歩かないと並んで歩く事は出来ない。そんなふうに気を遣って歩く事なんてなかったから、つい失念してしまうのだ。

「あのさ、この体になってからもう半年は経つのに、いいかげん慣れてくれないかな」

 はあはあと肩で息をして小さな琉依が追いついてくる。


 これは母にかけられた呪いだ。


 兄弟で愛し合う姿を目の当たりにして逆上した母は、魔法で琉依を子供の姿に変えた。魔法って本当にこの世に存在するんだな、なんて感心している場合ではない。その姿のままではこれまで通り学校に通う事も出来ない。世間的にこれまでの琉依と同一人物としてやっていける事など何一つない。受け入れられるはずもない。この世に魔女がいるなんて、信じる人がどこにいるだろうか。


「レオ、ちょっと座れ。後ろ向いて座れ」

 不満いっぱいな顔をした琉依は、立てた親指をクイッと下に向ける。小さくなっても偉そうな態度は変わらず、下から不遜に見上げる様が可愛くて仕方がない。

 言われた通りに背を向けて座ると、その背中に体重がかかり、首に腕が回される。

「おぶっていけと?」

「だって、早足疲れた」

「しょうがないな」

 立ち上がり、足を抱えてひょいっと持ち上げる。こんなに簡単におんぶが出来るようになってしまった。いいかげん慣れろと琉依は言うけれど、やる事なす事全てに置いて違和感が抜けない。器用に生きる琉依はすっかり慣れてしまったようで、こんなふうに子供の武器を使ってみせる余裕まであるのだが、不器用な玲央の方はそうはいかない。

「へへ、小さくたっていい事はあるぞ。こんな事してても誰も咎めない」

 小さな手にぎゅっと力が込められ、琉依が首筋に顔を埋めた。熱い息が敏感な首の肌をくすぐり、柔らかな唇が触れる。

「ちょ…ルイ、それはまずい…」

 玲央が叫ぶと同時に玲央のさらさらの髪を押しのけてふさふさの犬の耳がぴょこんと立ち上がる。髪の黒よりも少し色の薄い銀色の毛が陽の光にキラキラと輝く。

「もー、レオー」

 琉依が慌てて手を伸ばし、小さな両手でそれを隠した。

「興奮してんなよ」

「おまえ、わざとだろ」

 これが弟にかけられた呪い。性的衝動に反応して獣人化する。二人が二度と愛し合う事が出来ぬようかけられた呪いだ。衝動が高まるにつれ徐々に獣化が進む。怖くて試した事はないが、最終的には完全に獣になってしまうのかもしれない。

 いかに禁欲的な生活をしたところで、愛する琉依が隣にいるのだから心の内の衝動までは抑えられるわけもなく、我慢とは関係なしに体は反応してしまう。二時間程度で元の体に戻るのだけれど、この世には存在し得ない状態を人目にさらすわけにはいかない。


 こんな不便な体を抱えてこれまで通りの生活が出来るはずもなく、二人は家を出た。

 二度としないと謝れば母はきっと魔法を解いてくれるのだと思う。そのつもりでこんなおかしな事を愛する息子たちにしたのだろう。

 けれど、共に暮らせば思いは抑えられないし、かといって離れる事など考えられなかった。だから二人で家を出て旅をしている。

 母を悲しませたけれど、譲る事などできなかった。

 こんな馬鹿げた魔法を使う現実があるのだから、それを解く方法だってどこかにあるかもしれない。母以外にももっとすごい魔法を使える人がいるかもしれない。その可能性を求めてあてもなく彷徨っていた。


「ルイ、頼むから遊び感覚で耳を出させるな」

「知らないよ、レオが勝手に出すんじゃん」

「そうだけど…」

「大丈夫、こうやって耳隠してたら全然普通だ」

「そういう問題じゃない」

「だって、どうすればレオが欲情すんのかわかっておもしろいんだもん」

「おもしろくない」

「耳が出なくたって、前はわかってたんだよ、そんなの。レオの気持ちなんて全部伝わってたのに」

 呪いは見た目だけの話ではなく、心にまで及んでいるようだった。双子の神秘と呼ばれるもののメカニズムなんて知らないが、繋がっていた二人の心が遮断された感覚がする。これまで簡単に通じていた心が通じなくなる恐怖は相当なダメージを精神に負わせる。ことあるごとに確認したがる琉依の気持ちはわからなくもない。

「あんのクソババ、ひでえことしやがる」

「俺らがそれだけ母さんを傷つけたってことだ」

「だとしてもやる事がえげつない」

「さすがルイの親だよね」

「どういう意味だ、こら!」

 ぽかりと琉依の小さな拳が玲央の頭を叩く。

 それはただの冗談だが、本当に我が親ながら酷い事をすると思う。

 だがどんな酷い目にあったって、琉依と引き離されるよりはマシだ。母に土下座など、絶対にしない。


「手を離すな。耳が出る」

「いっそ犬の着ぐるみでも着といたら。変なコスプレお兄さんで通るんじゃない?」

「やだよ」

「さすが母親だよな。俺らの嫌がる事をちゃんとわかってやがる。俺だったらそんな耳出たって気にしないっつーかいくらでもごまかせる気がすんだけど」

 堅物でイレギュラーを嫌う玲央にはそんな芸当はとても無理だ。ただただひた隠しにするしかない。


 琉依の方は子供の姿の自分ともうまく付き合っているようにも見えるが、本当は琉依のコンプレックスをついた実に的確な嫌がらせなのだ。幼い頃から落ち着いている玲央と比べられてお前は幼いと言われ続けた琉依は、他人から子供っぽく見られる事をとても嫌っていた。中身はともかく見た目だけは大人っぽく飾るようにしていた琉依にとってはきつい仕打ちだろう。

「絶対自分の力で呪いを解いてあのババアぎゃふんと言わせてやる!」

「いや、ぎゃふんと言わせちゃダメなんじゃないかな、ルイ。それきっとまた別の魔法をかけられるよ」


 あてもなく旅を続けてずいぶん山深くまで来てしまったけれど、今のところめぼしい情報は何も見つかっていない。田舎の方が伝承的に何かありそうな気がして人里離れた小さな集落を渡り歩くばかりだ。


 いっその事この姿のままでも、と思う事もある。けれど実のところこうして二人で旅を続ける事自体が楽しくなっていたりもする。金がなくなればバイトをし、貯まればまた次の場所へ、そんな日々が案外玲央には幸せだったりするのだ。隣にいつでも琉依がいて、琉依のために働いて、それはとても幸福感と充実感に満ちあふれていた。いけない思いを隠すように違う道を選んで耐え忍んでいた日々に比べたら、呪いなんて屁でもないとさえ思えてくる。


「ずいぶん山道になってきたな。俺、歩くわ」

 背中の琉依が玲央を気遣って降りようとする。

「平気。耳隠しといてもらわないと困るし」

「さっきから人っ子一人通らねえよ。ほら、降ろせ。ずいぶん休憩できたからいい」

 じたばた暴れるので仕方なく降ろし、代わりに手をつないだ。

「なんだよ…」

 自分から子供の特権は積極的に利用するものの、人から子供扱いを受けるのは相変わらず嫌いらしい。不服そうな目が玲央に向けられる。

「だって、また歩くの早いって怒るから。手をつないでいればルイが遅れてたら気付くし」

「ったく、しょうがねえなあ」

 いやいや承諾したみたいな態度を取りながらも琉依はご満悦に兄の顔をする。玲央が不器用に甘える姿を見るのが琉依は好きらしい。そんなとき、普段無邪気な表情が多い琉依の顔が一瞬とても大人びて頼りがいのある懐の大きな男の顔になるのが玲央は好きなのだ。

「可愛いな、ルイ」

 思わず思いが口から外にこぼれ落ちた。

「は?何、急に」

「俺が思ってる事わかった方が安心するんでしょ?」

「いや、そうだけど、面と向かって言われると…。お前、恥ずかしいやつだな」

 自分からはガンガンしかけてくるくせに、攻められると案外弱いのだ。照れてそっぽを向く琉依が可愛くて可愛くて、尻尾まで出てしまいそうだった。


 辺り一帯全く人の気配がないと思ってそんな甘い雰囲気を遠慮なく出しまくっていたのだが。

「お、珍しい。外の人じゃねえの?」

 背後から急に人の声がして、飛び上がらんばかりに驚いた。琉依はうひゃっと変な声を上げて、繋いだ手が痛いほど握りしめられる。

「おお、悪いな、ぼく。驚かせちまった。お化けでも出そうなところだもんな。俺はお化けでも妖怪でもないから安心しな。この先の村に住んでるんだ。学校が遠くてよお、参るぜ、まったく」

 振り向けばそこにいたのは学生服を着た若い男だった。おそらく二人と同じぐらいの年頃だろう。

「観光か?うちの村なんもねーぞ?」

「ちょっと探し物をしながら旅をしてるんだ」

「ふーん。親子?にしては若いか。兄弟か?」

 人懐っこく話しかけてくる彼に戸惑いながらも、行き先は同じの一本道なだけに無視して歩くわけにもいかず、肩を並べて進む。まだまだ道のりは長そうだ。


 名を仁志ひとしというらしいこの男、閉鎖的な村の子といった印象は全くなく、軽いノリで場を盛り上げるタイプだった。琉依の友人に多いタイプだと思った予想通りに、あっという間に琉依と意気投合してしまった。

 この琉依の順応力を玲央はいつも羨ましく思う。自分は一歩引いたところでなんとなく外れない程度に存在するだけで、疎外感を感じてしまう。そんな態度を人は冷静で大人っぽいと評するけれど、ただ対応力に乏しいだけだ。むしろ子供なのだと思う。

 こういう一期一会な旅を続けていると如実に不器用な自分の不甲斐なさ感じる。情報を聞き出すにしても何にしても、コミニュケーション力の高さが物を言うのだ。琉依にはずいぶんと助けられている。


「ここで出会ったのも何かの縁だ、俺んち泊まっていけばいいよ。村に旅館なんてねえからな。しょっぼいだろー?」

 ウハハと豪快に笑いながら仁志は二人の背中をバシンと叩く。旧知の仲のような馴れ馴れしさだ。

「俺さ、学校以外に同じ年頃の知り合いいねえんだわ。村で一番年が近いやつとは5歳も離れてるからな。だから嬉しくて。なあ、お兄ちゃん俺と一緒ぐらいだろ?」

 がしっと玲央の肩を組み顔を近づける仁志に琉依はむっとした顔を見せると、力一杯仁志の手を引っ張って玲央と引き離す。

「アニキは俺だぞ、こら!」

「何言ってんの?」

「つか、双子。二人とももうじき17才。学校行ってりゃ高2になったところだ」

「は?だってあんたどう見てもガキじゃん。いっくら童顔でチビだってそりゃあねえっしょ?」

 面白い冗談だと笑い飛ばした仁志にものすごく不服そうな顔をしていたけれど、琉依はそれ以上何も言わなかった。信じてもらえなくても仕方がない。実際、どう頑張って見ても小学生ぐらいにしか見えないのだから。そう見えるように呪いをかけられたのだから。

「ま、兄でも弟でもいいけどよ、高2だったら同級生じゃん。やった。うち来いよ。おれ兄弟もいねえし、母ちゃん喜ぶから」

「…ありがとう」

 断る理由はない。ありがたい申し出を受ける事にした。

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