わんことぼく、二人旅
1
「あっちーな、おい」
校舎を出た途端に容赦なく照りつける真夏の太陽に文句を垂れ、琉依は開襟シャツのボタンを全部外した。素肌を晒してシャツをパタパタとはためかせれば少しは涼しくなるかと思ったのだ。結果、ただだらしない格好になっただけでたいした効果もなく、暑いものは暑い。
「なあ、どっか涼しいとこ行こうぜ」
後ろから続いて出てくる友人たちを振り返る。どこでもいい、クーラーの効いたところに行きたい。
「いきなり露出してんな、琉依。おまえイケメンなのに超残念だよな」
「なんで。ちゃんと下は自制してんだろ?」
「脱いだら一緒に遊びに行かねえぞ」
本当は今すぐ全裸になりたい。いや、パンイチで妥協してもいい。けれど遊んでもらえなくなるのも困るのでぐっとこらえているのだ。まっすぐ家に帰ったってやることもないし、昼間からエアコンを付けると電気代がいくらあっても足りないと母親に怒られる。それに。
(どうせレオは今日も帰り遅いんだろうし…)
生まれる前からずっと、何をするにも一緒だった双子の弟玲央は、高校入試の直前になって勝手に違う学校を選んで違う道へ進んでしまったのだ。琉依と違って生真面目な玲央はたしかにいつも琉依より成績が良かった。琉依の学力にあわせるよりも、自分の学力に見合った学校へ行くのは当然の流れなのかもしれない。
(だからって、夜まで勉強するような超進学校に行かなくてもいいのに)
帰宅はいつも暗くなってからで、ろくに話をする暇もない。
ずっと一緒だと思っていたのに、隣に玲央がいない生活は体の半分をどこかに置き忘れたみたいで寂しくて寂しくて。たくさんたくさん友達を作ったけれど、満たされる事はない。他人で埋められる穴ではないのだ。
「おい、ルイ」
肩を叩かれて我に返る。ついうっかり沈んでしまった。思い出せば辛くなるので玲央のことは考えないようにしているのに。
「わり、ぼーっとしてた」
頭の中から玲央のことを追い出し、大きく息を吐き出して気持ちを入れ替えると友人たちに謝罪を述べたが、肩を叩かれたのはそういう意味ではなかったらしい。
彼らの目は一様に校門の方を向いており、そして一斉に振り返って琉依の顔をしげしげと見つめた。
「ルイが分裂した!」
「するかっ」
琉依にとってはあまり珍しくもない、しかしとても久しぶりなその反応に、何が起こっているのかすぐに理解した。校門のところに琉依とほとんど同じ顔をした玲央が立っているのだ。これまでは服装も同じようなものばかりだったが、今はまるで違う制服を身にまとっている。
「レオ?どした?」
今しがた玲央がいなくて寂しい、なんてことを思っていただけに、喜びと照れくさい気持ちとが入り交じる。動揺を隠しながら玲央に向かって軽く手を挙げると、玲央はすごい形相で歩み寄ってくる。
「なんて格好をしてるんだ、おまえは」
眉間に深いしわを刻んだ玲央はおもむろに琉依のシャツを掴み、ひとつひとつボタンをかけていった。だらしがないと怒る玲央の方はお上品な制服のシャツのボタンを一番上まできっちりと留めてネクタイまで着けている。単純に制服の違いとは言い難い差である。
「あ、これ双子の弟のレオね。もー、堅物なんだから」
されるがままに身を任せながら、興味津々にこちらを見つめる友人たちに玲央を紹介した。
「顔おんなじだけど超別人じゃん。しかもその制服、頭の中身も全然ちげーのな」
指をさされて爆笑されている。これもだいたいいつものことだ。見た目が同じだから比べられる。しかし見た目が同じだからこそあえて違う方向に育ったのかもしれない。琉依が持たないものは玲央が持っていてくれる。だからそれでいいのだ。
「レオ、学校は?」
「今日はテストだけだったから早く終わった」
「で、わざわざ俺を迎えに?帰って勉強するんじゃねえの?」
「一日ぐらいしなくたって平気だし。たまにはいいだろ。行きたいとこ、あるんだ」
照れたように目を逸らすレオの顔を見れば、何を考えているかなんてすぐわかる。
「ごめん、俺やっぱ今日パスね。レオと帰るわ」
散々自分から誘ってしまったのだけれど、琉依はあっさりと友人を切り捨てて手を振った。悪いが優先順位で言ったら玲央の方が圧倒的に上位だ。琉依にとってなによりも優先すべき事なのだ。
「なんだよ、弟クンも一緒に行けばいいじゃん」
「だってほら、こいつ俺と違って超堅物じゃん。そういうとこで遊ばねーの」
「マジで?」
「マジマジ。じゃーな」
すいませんと律儀に謝っている玲央の手を引っ張って、そそくさと校門を出る。せっかく玲央が来てくれたのだ、不足しまくっていた二人の時間を楽しみたい。
「で、今日は何食べたいの?」
ぐいぐいと引っ張っている方が引っ張られている方に行き先を訊ねるというのもおかしな話だがそんなことはどうでもいい。
「ケーキか?チョコか?それともパフェか?」
超が付くほど堅物で生真面目で、賢いけれど不器用に生きている玲央は、その男前な生き様に反して大のスイーツ好きだったりする。ものすごい好きなのだけれど、この性格だから一人でそんな店に行く事ができないらしい。だからこうしていつも琉依を巻き添えにするのだ。顔は同じなのだから見た目の違和感は同じ、いや、むしろ同じ顔ふたつ並べていくのだから違和感倍増なのだが、琉依がいる事で玲央の心の中の問題は解決するらしい。琉依自身は別段これといって甘いものに興味も執着もないのだが、嫌いなわけでもないので付き合う事に異論はない。普段他に玲央から頼られる事があまりないだけに、結構これが心地良かったりするのだ。
「いや、ちがうな、今日はシュークリームだろ。ほら正解~。じゃあ行き先は駅前のpetite maisonだな」
玲央は何も答えていないけれど、琉依は答えを導きだす。なんとなくわかってしまうのだ、双子の神秘というやつだろうか。言葉少なに思いが伝わるこのスムーズさは他の人では味わえない。
「残念、不正解。今日はエクレアだ」
引っ張られていた玲央はいつの間にか隣に並んでいて、もう引っ張る必要もなくなった手を離そうと思ったのだが、玲央はその手をぎゅっと握り直して離そうとしなかった。伝わる思いは家族愛のそれではなく。
好きだ、好きだと熱く語る。
「い、一緒じゃねーか、シュークリームもエクレアも」
「一緒じゃないよ」
琉依の心も共鳴する。熱く、熱く、震える。
「行き先は一緒だろ?」
「確かに。じゃあ半分こしよう。シュークリームも捨てがたい」
「ほらみろ、正解じゃねえか」
いつの頃からか、玲央が琉依に対して家族以上の感情を持ち始めたのを琉依はなんとなく感じていた。望むと望まざるとに関わらず、気持ちは伝わってしまうのだからしょうがない。
だけど知らない振りをしていた。玲央が必死でそれを隠したがっている事もわかっていたから。
気持ちを断つために違う道を選択した事も、そうしたことで逆にもっと気持ちが切羽詰まってしまっている事も、全部わかっていて知らない振りをしていた。
だけど。
気持ちは一方通行ではなかった。玲央の思いに気付いた頃から、琉依は自分の思いもそれと同じである事に気付いていた。玲央の感情に同調しているだけかもしれないと思った事もあるけれど、そんな軽いものではない。
きっと、生まれる前からずっと、互いを求めて止まないのだ。
いけない事だと理性ではわかっている。だからこうして互いが互いをごまかしている。
けれどこの思いはきっと一生止む事はない。
だってもともとひとつのものだったのだ。半身を求めるのは当然の願いなのではないだろうか。
ずっと我慢していた思いは、ついにあの日、暴走してしまった。帰宅して、久しぶりの長い二人の時間に、我慢しきれず琉依が思いを告げてしまったのだ。頑に自分を押し殺す玲央をこれ以上見ていられなかった。
後悔はしていない。
けれど、失敗したとは思う。
あの日、母に目撃されてしまった事だけは。
禁忌を犯した二人は、その時初めて自分たちの母親が魔女であったことを知った。
あの夏の日の幸せな気分はもう遠い昔の事のように感じる。普通の高校生をやっていられたのはほんの少しの間だけだった。夢のように儚い思い出。
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