わんことぼく、二人旅

月之 雫

序章

灰色の空


 その身に呪いを受ける3年ほど前、まだ彼らが普通の少年だった頃の話。





 教室の窓から秋晴れの空を眺めながら玲央れおは長く息を吐いた。

 学校行事である合唱コンクールを間近に控え、クラスの団結は深まり盛り上がりを見せていたが、玲央はひとり冷めていた。なぜ中学生にもなって合唱なんかを楽しめるのか、玲央にはわからない。クラスの仲間で力を合わせて何かをやり遂げるというところに目的があるのだろうが、クラスの団結なんて正直どうでもよかった。


 だって、ここには琉依るいがいない。


 双子であるため、琉依とは一度も同じクラスになったことがない。一体誰がそんなルールを決めたのか。同じ顔が二人クラスにいれば先生もクラスメイトも面倒くさいかもしれない。だけど玲央はいつだって琉依と一緒にいたいのだ。

 このクラスに琉依がいたならば、どんな行事も張り切って参加するだろう。けれど、琉依がいないなら何をやっても楽しくない。

 とはいえ、真面目な玲央はあえて輪を乱すこともなく、きちんと練習に混ざっているわけであるが、気が乗るわけもなく半分上の空で、ただ義務を果たすためだけに参加していた。


「ちょっと、玲央、ちゃんと歌ってる?」

 男子だけ教室の後ろに並ばされて歌っている途中だった。ぼんやりしてしまった玲央を見ていた女子が咎める。

「ごめん、ぼんやりしてた」

 素直に謝罪し、音楽プレイヤーがかき鳴らす伴奏に合わせて口を開く。


 声が出にくい。この頃、声を出すのが苦痛だ。変声期というやつだろう。自分のものなのにコントロールできない苛立ちと、喉に何か引っかかったような不快感。もともと歌は得意ではなかったが、更に苦手意識に拍車がかかる。


 声になるかならないかの音量で渋々練習に参加していると、開いた窓から秋風に乗って他のクラスの声が聞こえてくる。どこのクラスもやることは一緒だ。休み時間や放課後の少しの時間を上手に使って練習を重ねる。


「あ、ルイの声…」

 たくさんの声が合わさった中からでもその音だけがすっと玲央の耳に滑り込んでくる。伸びやかな少年の声。双子だからといって何もかも同じわけではなく、琉依はまだ変声期を迎えていない。忘れかけていた少し前までの自分の声とほぼ同じそれを玲央はとても心地良く思う。


「ほんとだ、琉依のクラス、外で歌ってやがる。おまえ、よくわかるな。さすが双子」

 隣にいたクラスメイトが窓の外に顔を出して階下を眺める。

「いいよな、1階のクラスは」

 玲央も一歩窓に近寄り、下を見る。


 楽しそうにわいわいと、よくわからない振り付けまでしながら琉依は全開の笑みで歌っている。何をしても琉依はいつも楽しそうだ。どんなことでも最大限に楽しむ。だから琉依の周りにはいつだって人がたくさん集まる。いつだって中心にいる。


 学校ではいつも、玲央はその輪に入れない。隣にいたいのに。一番近くでその笑顔を見ていたいのに。いつだってその隣にいるのは玲央のはずなのに、知らないやつがその場所を奪う。


 学校なんて嫌いだ。


 玲央は唇を噛む。歌の練習の途中であることなどすっかり頭の中から飛んでしまって、玲央はただ琉依だけを目で追った。


 大好きな分身。その愛おしさが常軌を逸していると自覚したのはいつの頃だっただろうか。心が、体が、琉依とひとつになりたいと軋むような悲鳴を上げる。だって元々ひとつだったのだ。ふたつである方が不自然だ。


 1階と2階、この距離がおかしい。気持ち悪い。いっそ、ここから飛び降りてしまおうか。

 階下に広がる青春の空間を全て引き裂いてこの腕に琉依を抱きしめたい。自分以外誰も琉依に近づかないように。


 沸き上がる狂気じみた自分の想いが怖い。


「ねえ、玲央、何してんの!?」

 キレかけた女子が歩み寄ってきて、玲央の視線を追って窓の外を覗く。玲央は慌てて表情を隠した。この想いは誰にも気付かれてはいけない。琉依本人にも。


 絶妙なタイミングで琉依がこちらに気がついた。

「おーい、レオー」

 両手を高く掲げてぶんぶん振りながら、嬉しそうに笑む。途端に荒んでいた胸の内が嘘のように凪いでいく。つられるように玲央の顔も同じ表情を刻む。

「レオも練習してっかー?」

 周りのことなんて気にもせずに大声を張り上げる琉依。

「してるよ」

 久しぶりに大きな声を出した。違和感たっぷりな声だけれど、ちゃんと琉依に届けたくて。


「がんばろうな。まあ、優勝は俺のクラスがいただくけどな」

 びしっと親指を立ててみせる琉依の周りにクラスメイトが群がって同じようにうちが優勝だと盛り上がり始める。


 おもしろくない。


 けれど、今度沸き上がったのは嫉妬よりも闘志。全員打ちのめしてやりたい。


 琉依に背を向け、己のクラスメイトを振り返る。相変わらず彼らに対して特別な感情は持てそうもないけれど。琉依以外に興味の持てるものなど何もないけれど。


「いつも仲良しだね」

 玲央を注意しにきた女子は半ば呆れたように呟いて肩をすくめた後、玲央の背中を叩いて練習を促す。琉依なら仕方がない、誰にもそう思わせてしまう琉依なのだ。愛されキャラだ。


 だからこそ玲央の心は休まる時がない。

 いつ誰に取られるか、そんなことばかり考えてしまう。


(ルイは俺だけのものだ)


 琉依との楽しい思い出なんて、誰の胸にも刻ませたくない。自分以外との楽しい思い出なんて、琉依の中に残したくない。


(だれにもやらない)


 ほんの小さな欠片のひとつでさえ、誰にもやりたくない。

 自分だけの秘密にならないだろうか。

 琉依という存在全て。


(全部俺の中に閉じ込めて)


 倒錯する想いが日に日に濃く重くなっていく。

 良くない想いだと理性ではわかっている。正しくないことは嫌いだ。だけど抑えきれない。


 気持ち悪い声が喉を引っ掻く。

 紡いだ歌は混沌とした胸の内のように不快に掠れる。


 苦しい。痛い。気持ちが悪い。


 それはまるで悲鳴となって体の奥から飛び出してしまったみたいだった。




 合唱コンクールは琉依のクラスが優勝をさらい、本格的な冬を迎えた頃に玲央の声は低く大人の声に落ち着いた。入れ替わるように今度は琉依の喉が変調を来す。


 変わらないものは何もない。

 けれど琉依を想うこの気持ちはきっと消えはしない。

 一生抱えて生きるのだ。

 他のものは何も愛せない。


(だから、俺だけの秘密だ)

 琉依にだって秘密だ。





 二人の想いが繋がるまで3年。

 玲央が抱え続けたこの想いが、やがて二人の身に大きな試練を呼び込むことになる。

 秘密は秘密のままであり続けなければいけなかった。

 想いを遂げた代償は大きい。

 それでも後悔はしない。それ以上の幸せがあるのだから。

 琉依がいればそれでいい。

 どんな状況にあってもそれだけは変わることはない。

 いつだってそれが最優先事項。

 あの日も、今も、これから先もずっと。



<序章・終>

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