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目障りなイルミネーションが街を覆うこの時期。私はそのイルミネーションを少しも綺麗だとは思えなかった。
むしろ汚くてうるさくて目に悪い。使い古され異臭を放つ雑巾を顔面に被せられたような気分だった。
いつかのクリスマス、私にも恋人がいた。偏見や嫌みばかり口にする私によく恋人が出来たものだな、その時私はその出会いに抗いもせずそんなことを思っていた。
一緒に歩いたこの道もその時は少しだけ靄がかかったかのように見えて。その割にイルミネーションはやけに発色がよかった。恋は盲目というがまさに私はそんな状態だったのだろう。
――楽しい? 嬉しい? 綺麗?
そう聞いてくる彼の目にはどこか好奇な下心があって。私はその眼差しでこの恋の寿命を知った。何を考えているか分からない気持ち悪い生き物、誰しもが私をそう思っている。からかうつもりで彼は私と恋愛ごっこをしているんだろう。
人間というのは残酷なものだ。いとも簡単に、花の色が移ろう如く心変わりする。いや、そもそも彼は色付いてなんかいなかったかもしれないが。
クリスマスの一週間後に私は彼の楽しそうな笑い皴を見た。勿論、彼の隣に居るのは私ではなかった。彼の隣にいる女の白いコートが、まるで一週間漂白剤に浸したのかと思うほどに白かった。
彼と私が付き合っていた半年間、週に一回会うか会わないか程度だったのになぜかずっと私は彼と一緒に時を過ごした気がしていた。ご飯を食べていても仕事をしていても、いつでも彼は私の心に居座っていた。
彼の存在がどれだけ邪魔だったのか、別れてから実感した。まるで私の心は目隠しされて手に手錠を掛けられていたようで、飼い犬のようにリードに繋がれていた。
私に浮気がバレた瞬間、ほんの一瞬だけ彼は焦燥の表情を浮かべた。けれど本当にほんの一瞬だった。すぐにいつもの顔に戻って私から目を離して漂白剤女に笑顔を向けていた。
もっと焦ろよ、少し鈍った頭で私はそんなことを思った。世間的に浮気した男は浮気がばれた時、一生懸命訂正し一生懸命自分を取り繕い、一生懸命謝罪をするものだろうが、それはどうやら相手を繋ぎ留めたい時だけらしい。彼は少しも私を繋ぎとめようとはしていなかった。
私は要らない女で、もうどうでもいいらしい。いや、もしかしたら元々私のことなんてどうでもよかったのかもしれない。むしろ一瞬だけでも焦ってくれたことが奇跡なんじゃないかと私は思った。それは焦りではなく、得体のしれない私という人間への恐れだったのかもしれないが。
漂白剤女は歯まで漂白剤に付けたかのような色をしていた。それのせいで紅い口紅がやけに浮いて見える。彼の言葉で笑顔になったり驚いたり怒ってみたりとにかくせわしなく漂白剤女の唇は動く。
――嗚呼、私の唇はあんなには動かない。
私はその場から立ち去り、彼の連絡先は削除した。けれど自宅の鍵だけは変えなかった。面倒くさい、そんな名目で変えなかったけれど、私は一回も彼に合鍵を返してとは言わなかった。
それから三年経った。けれど私の中の時は、あの漂白剤女のせわしなさを知った時から止まったままだ。それなのに腹も減るし眠いし性欲もあるし朝は起きてしまうし夜は眠くなる。
布団に入り冷たさを感じると、付き合ったばかりの時に彼に渡した合鍵を思い出す。寝ている間に勝手にその鍵で侵入して襲ってくれないかな、そんなことを思う。気色の悪い、解消されない性欲の成り果てがその思考だ。
考え込んでしまうと眠れない夜もたまにはある。眠くて仕方ないはずなのに、目を瞑っても夢の中には行けない。夢と現実の狭間にいるのが居心地が悪くなり私は枕元にあるスマホに手を伸ばした。
スマホの明るさに一瞬目を閉じたが、私は迷うことなくFacebookを開いて彼の名前を検索する。いつもは名前まで打ち込んで、自分の彼への執着心に呆れてそのままFacebookを閉じてしまう。けれど今夜は違った。クリスマスの華美でビカビカしたイルミネーションのせいで私の頭はいかれてしまったらしい。
検索すると見覚えのある彼の姿がアイコンの、彼の名前のアカウントがあった。私は彼のアカウントを迷うことなくタッチした。いつの間にか日付が変わり、最近の投稿は昨日のクリスマスでの投稿だった。
おしゃれなディナーの写真、向かい側には顔は映ってはいないものの女の姿があった。おしゃれなワインにおしゃれなプレゼント。その写真は私に自分は幸せなのだと言っている様だった。お前と別れたおかげでこんなに幸せになれたとも言われたような気がした。
『あと一週間で付き合って三年になるな。いつもありがとう』
そんな文章が書いてあった。
私はスマホを閉じた。
――嗚呼、見なければよかった。
でも分かっていたはずの結果に、少しだけ安堵した面もあった。もし仮に今彼が不幸であったら私はそれを喜んでしまいそうで、からかいに会いに行ってしまう気がする。
私は目を瞑った。
(殺しに来てくれないかなぁ)
彼と付き合っている時もそんなことを思ったことがある気がする。何故そう思ったのかは覚えていない。殺してくれたら彼の脳内に一生残れる気がしていたのかもしれない。
罪悪感に媚びてまで私は彼の中で生きたいと思ったのだろう。もしかしたら私ごときを殺しても彼は何にも思わないかもしれないが。
でも私のあふれる血液を見ればさすがに漂白剤女の口紅の濃さなんて忘れるだろう。たった数秒の口紅を塗る工程に私の一生が負けることは、さすがにないだろうから。
ねぇ、今幸せ?
凄く幸せよ。恋人も出来て結婚も決まったの。
そうなんだ、僕もだよ。
Facebook読んだから知っているわ。
そうなんだ。君、嘘ついているでしょ?
嘘? なんのこと?
君が幸せなわけがないじゃないか。
何言っているのよ幸せよ。
幸せな人間が元カレのFacebook見るわけがないじゃないか。
ちょっとだけ気になっただけよ。
君は幸せなんかになれないよ。君は僕が心から抜けないんだもの。
そんなことないわ。もう貴方なんてどうでもいい。
僕に依存していたくせに?
僕が死ぬほど大切だったくせに?
あれからずっと紅い口紅をつけているくせに?
僕のことを愛していたくせに?
五月蠅い、五月蠅いわ、毎晩毎晩夢に出てきて毎回同じこと言って。五月蠅いのよ、そんなに私の心に居座る気ならさっさと私のことを殺して身体まで乗っ取ってよ。
私は毎朝、真っ白な天井を見て真っ赤な口紅思い出す。目から流れるのは透明な涙。私という石は、本当はどんな色をしているのだろう。
朝起きて未だに横を向いて彼を探す癖は抜けない。彼の白くて少しざらざらする頬の肌触りを思い出して、もう二度と触れることは出来ない現実を思い出す。
私しか知りたくなかった少し不細工な彼の寝顔は、あの小汚い女の手の内に。漂白剤で真っ白なあの女はどんな男にも染まれるいい女の顔をして、男を真っ赤に色付けて上機嫌で舌なめずりをしている。
私は敗北者、女としての負け組。きっとこれからも彼を想い、彼を慕い、彼の夢を見る。例えそれらが誰にも理解されない、虚無の偶像だとしても。
それでも私は紅い口紅を塗る――。
それでも私は紅い口紅を塗る 狐火 @loglog
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