最終話
僕は出来る限り人目につかないように歩いた。あれから研究所の人間らしき人は見かけていない。
「珠依は大丈夫かな」
歩いて歩いて……気付くと僕はあの珠依と暮らした地に戻ってきていた。
「ここは変わってないな……まぁまだ離れてそんなに経ってはいないけれど……凄く昔の事のように感じる」
静かに波の音が聞こえる。海はどんよりとした灰色に染まっていた。僕は浜辺に下り、辺りを見渡す。
「……珠依と会ったのはこの辺、だったかな……」
僕は、期待していたのかもしれない。ここに来ればまた珠依に会えるんじゃないかって。そんな事、有り得るはずがないのに。
僕は深くため息を吐き、その場を離れようと後ろを向いた。
「誰かいる……?」
「……珠、依……?!」
そこには珠依の姿があった。僕は驚きのあまりしばらく声が出せずにいた。珠依は砂に足をとられよろめきそうになりながらも近付いてきた。
「えっ……イキルお兄ちゃん? イキルお兄ちゃんだよね……? 良かったぁ……また会えた……」
「珠依……ど、どうして? だって君は……」
「えへへ、一人でここまで戻って来ちゃった」
「ひ、一人で……?! 危ないじゃないか……何かあったら……!」
「だって、イキルお兄ちゃんに会いたかったんだもの」
珠依が無邪気に笑う。そんな珠依を見て僕は思わず安堵する。ああ……いつもの珠依だ。僕のよく知っている……
「……僕がここにいるってどうして分かったの?」
「なんとなく……かな。 この辺りはイキルお兄ちゃんと初めて会った場所だから……でもほんとに会えるなんて思わなかった!」
珠依は僕に近寄るとぎゅっと僕の手を握る。冷たい手。頬もよく見ると赤く染まっている。きっとずっと僕を探していたんだ。その事が凄く嬉しかった。
「冷たい……寒かったでしょ……?」
「ううん! このくらいまだ平気だもん!」
珠依の両手を包み込むようにして握ってやる。
「イキルお兄ちゃんの手……あったかい」
しばらく僕と珠依はそのまま黙って手を握り合った。珠依といればどんな時も笑っていられた。あたたかくなれた。この先、何が起こったとしてもこの子の事を思い出せばきっと……
僕と珠依は歩きながらあれから色んな事を話し合った。お互いの空白の時間を埋めるように。
「へぇ……! その命さんって人、イキルお兄ちゃんの特別なんだね」
「うん、でも……きっともう会えないんだ」
「どうして……?」
「僕は……嘘をついてしまったから」
「嘘……?」
僕は苦しくなって口を噤んでしまった。
「……大丈夫よ」
「え……?」
「だって、イキルお兄ちゃんが嘘をつく時は誰かを守る時だもの。 その嘘も命さんの為を想ってついたんでしょ? イキルお兄ちゃんは優しい嘘しかつけない。」
「優しい嘘……」
「そんな嘘をつく人を嫌いになんかなれないよ」
穏やかな笑顔を向ける珠依の顔を見て、僕の胸は僅かに軽くなったような気がした。珠依は本当に凄い。珠依の言葉はこんなに胸にすとんと落ちるのだから。
「僕……」
その時だった。
「No.000!! 見つけたぞ!!」
「ッ?!」
研究所の武装した人達が僕に一斉に銃口を向ける。
「イ……イキルお兄ちゃん……!」
珠依が怯えたように僕の背中に縋り付く。
「……珠依! 早くそいつから離れなさい!」
「そいつは危険な化け物なんだ! 何をされるか分からない!」
以前に見た珠依の母親と父親らしき見知らぬ男性が武装した人達の後ろに立っていた。あの目……知っている目……化け物を見る目だ。
「ねぇ……イキルお兄ちゃん……どうなってるの……怖いよ」
「……ごめんね、珠依」
僕はそっと珠依に向かうと目線を合わせるようにして屈んだ。そして、震える唇を開いた。
『珠依……僕の事は忘れて。 家族の所に行くんだ』
珠依は一瞬びくりと身体を震わせるとふらふらと両親の元へ向かっていく。僕は……『声で人を操る』事が出来た。命にもこの力を使った。この力の所為で僕はずっと化け物だと恐れられていた。だから本当は使いたくなかった。珠依は即座に保護されるはずだ。これで……珠依は傷付く事もなく、幸せに暮らせるんだ。
激しい銃声がいくつも鳴り響く。僕の身体は強い衝撃によってぐらりと倒れる。全てがゆっくりに見える。まるで僕だけが違う世界にいってしまったかのように。背中がコンクリートの地面に打ち付けられたと同時に鋭く重い痛みがやってきた。息が出来ない。視界が、ぼやける。突然降り始めた冷たい雨が僕の身体の熱を奪っていく。濡れた地面にじわりと紅が流れる。
僕は死ぬのか……だけど、僕は幸せだった。もう、十分だ。ごめんね珠依……命……君達は幸せになって……
嫌だ、痛い……苦しいよ……!こんなの、こんなの嫌だ!もっと愛されたかった……!命と一緒にいたかったのに……!どうして、どうして僕ばかりがこんな目に合う……許せない、許せない許せない許せない
僕の中で二つの何かが強くなっていくのを感じながら僕の意識は深い闇に飲み込まれていった──
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