第20話

「じゃあ行ってくる」

「うん……いってらっしゃい」


 今日は命は日中の仕事らしい。命が出掛けるのを玄関から見送る。あれから数日。僕達は穏やかに過ごしていた。ただ命と一緒にいる時間が長くなればなる程、僕の中で膨れ上がる気持ちがあった。ドキドキしてむず痒いような切ないような不思議な気持ち。頭の中は常に命の顔が浮かんで離れなかった。僕は胸の辺りの服をぎゅっと掴んだ。


「僕……本当にどうしちゃったんだろう」


 一人でいるとずっともやもやしてしまうからじっと出来なくて外に少し出掛ける事にした。当てもなく歩いていく。冬の匂いがするひんやりとした風が僕の頭を少しずつ冷ます。ふぅとゆっくり息を吐くと微かに白い靄が上がった。


「珠依と一緒に住んでた時はこんな気持ちにはならなかった……一体なんなんだろうこれ」


 向かいから何か嫌な気配を感じ、咄嗟に物陰に身を隠した。見慣れない武装をした集団がそこで会話をしていた。


「……いたか?」

「いや。 目撃情報によるとこの辺りらしいが」

「動員数を増やすように連絡しろ。 そして見つけ次第、処分するんだ」


 顔がこわばって全身から冷たい汗がじんわりと滲み出す。心臓が痛いくらいに早く鼓動し、呼吸が出来なくなる。あれはきっと僕を探しているんだ。武装集団が去っていくのを確認し、僕はその場でへたり込んでしまった。


「うッ……おえぇ」


 殺されるかもしれない恐怖から吐き気に襲われる。嫌だ。怖い。死にたくない。


「ひっ……ぐ……うあぁ……ああああ」


 叫び出しそうになるのを出来るだけ抑え嗚咽を漏らす。……僕は勘違いしていた。忘れていた。僕は幸せになんかなれやしない。僕が側にいれば命が危ない目にあってしまうかもしれない。命との別れが頭に過った。


「……神様って本当に理不尽だなぁ」


 弱々しく乾いた笑いが出る。僕が何をしたというのだろう。ただ僕は普通に生きていきたいだけだったのに。命とこれから先もずっと一緒に。


「あぁ……そっか。 この気持ちがなんなのか……分かっちゃった……」


 あまりにも遅過ぎた。いっそ気付きたくなかった。僕は命の事を……


「愛してる……」


 数時間後。僕は命の家に戻り、部屋の隅にぬいぐるみを抱えたまま座り込んでいた。放心していたせいでいつの間にかかなりの時間が経っていたようだ。命が帰ってきたのに気付かず肩を揺らされた。


「おい。 イキル……大丈夫か? 体調でも悪いのか?」

「……命、さん……あ……おかえりなさい」


 いつも通りに笑おうとするが上手く顔が動かせない。命は僕の様子を見て顔を顰めた。僕の額を手の平で覆う。


「熱は……ないな。 何かあったか?」

「えっと……何もないよ」


 震える唇を無理矢理開けて答える。嘘をついてしまった。嘘だけはつきたくなかった。だけどさっきの事を話してしまえば命さんはきっと僕を助けようとしてしまう。命に迷惑だけは絶対にかけたくない。


「本当か? そんな風には見えないぞ」

「本当に大丈夫だから……!」


 思わず声を張り上げる。僕ははっとして口を噤んだ。


「ご……ごめん……なさい……」


 命はじっと僕を見つめていたが、僕の腕を引き抱き寄せてきた。


「えっえっ……?! み、命さん?!」

「お前が話したくないなら無理には聞かない。 だけどな、俺はお前の味方だ。 それだけは分かっていてくれ。 お前が俺にしてくれていた事だ。 お前がしてくれたように俺も返したい」


 命の僕を抱き締める腕に力が入る。こんなにも僕を想ってくれているのにそれでも僕は本当の事を言えずにいた。僕は強引に笑顔を作って見せた。


「ありがとう……命さん本当になんでもないんだよ」

「……無理はするなよ」


 一瞬命の表情が曇った気がした。呆れさせてしまったんだろうか。僕の胸はキリキリと締め付けられていた。


 まだ日が登りきっていない薄明かりの中。僕は重い上半身を持ち上げる。徐ろに時計を見やると針は五時辺りをを指していた。命を見ると穏やかな呼吸をしながら眠っている。命を起こさないようにそっとベッドから這い出て服を着替える。そしてちゃぶ台に用意していた手紙をゆっくりと置いた。


「……何してるんだ」


 身体が大きく跳ね上がる。命は僕の動きに気付いたようで起き上がり険しい表情をして僕を見詰めていた。僕は目を泳がせる。


「俺の耳を誤魔化せると思うな。 もしかして……出て行くつもりか?」

「あ……その……僕」

「やっぱり何かあったんだろう? だったら俺に……」


 僕は命の頬を両手で包み込む。命は意表を突かれ、目を丸くした。


「イキル……何を……」

「命さんごめんね……」


 命の耳にそっと顔を引き寄せ小さく『何か』を呟く。すると命は気絶するように眠ってしまう。僕はその身体を支え、優しくベッドに寝かせた。命の寝顔を見詰めながら頬を撫でる。


「じゃあね……命さん」


 そうして僕は振り返らずに扉の外へと出て行った。

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