第18話

「今日はどこか出掛けるか」


 朝食の目玉焼きを焼きながら命がふと口にした。


「え?! ほんと?!」

「ああ……昨日は出掛けたがっていたみたいだからな」

「やった……ありがとう!」


 命とお出掛け……初めての経験に胸を躍らせていると目の前に目玉焼きとウィンナーが乗っている皿が置かれる。


「そんなに嬉しいのか。 顔がにやついてるが」

「当たり前だよ……! だって命さんとお出掛けなんて初めてだしそもそもこういう事自体あまりしてなかったから……いただきます」

「お前にとっては初めての事ばかりだな」

「うん!」


 程よくかかった塩と胡椒の味が半熟のとろりとしたまろやかな黄身に絡んでよく合う。ウィンナーも皮がパリッとして熱い肉汁が溢れてきて美味しい。


「お前は本当に美味しそうに食うな」

「え? だって美味しいもん……!」

「大したもんじゃないぞそんなん」

「命さんのご飯は全部が幸せ……!」

「小っ恥ずかしい事を言いやがる」


 鼻で笑いつつも照れ臭そうに顔を背ける命。僕はお出掛けと美味しいご飯の二重の幸せを噛み締めていた。お出掛けってどんな所に行くのだろうか。今までお出掛けというと珠依と海岸や近くの林の中をお散歩した事くらいしかなかった。珠依の無邪気な笑顔をふと思い出す。


「……元気にしてるかなぁ」

「どうした?」


 思った事が口を突いて出てしまい命が怪訝な表情で見詰めてきた。


「あっ……えと……前にお世話になってたとこの子の事を思い出して……」

「珠依って奴の事か?」

「うん……どうしてるかなって」


 懐かしくなるのと同時に別れが別れだった所為で珠依の現在が気になって仕方ない。彼女は今も笑顔でいてくれているだろうか。僕の事を気にしてはいないだろうか。彼女は優しいからきっと僕の事で泣いていたりするかもしれない。余程情けない顔をしていたのだろう。命が僕の頬を両手でむにっと掴んできた。


「なんて顔してるんだ。 そんな顔してると珠依って奴も心配するぞ。 それにお前は不思議な引力を持っているんだ。 会いたいという気持ちがあるならまたいつか会えるさ」

「う、うん……!」


 命は最後に僕の鼻を軽く摘んでから手を離した。

 

「さて、食べ終わったら出掛けるぞ」


 それから僕達は早々に朝ごはんを食べ終わると準備をして出掛ける事にした。


「どこに行くの?」

「そうだな……特に考えてないが……お前が行きたい場所に行けばいい」

「僕の行きたい場所……」


 僕は命の少し後ろを歩きながらきょろきょろと見回した。するとゲームセンターが目に入った。立ち止まってじっと見詰めていると命さんも立ち止まり、僕の目線の先を見た。


「ゲームセンターか」

「実は行った事なくて……」

「なら行ってみるか」

「うん!」


 僕達はゲームセンターに入って色々遊んだ。メダルゲームにホッケーにUFOキャッチャー……そしてプリクラもした。最初はガヤガヤしていて少し辛かったけれど、それよりも好奇心と楽しい気持ちが強かった。命に取ってもらった可愛い犬のぬいぐるみを抱えてもう片方の手にプリクラを持ちながら店を出た。


「プリクラ……凄いね! 文字とか絵とかもかけるなんて!」

「ふ……俺もプリクラなんて初めてだったな」

「ぬいぐるみもプリクラも宝物にするね……! あ、命さん変な顔……」

「仕方ないだろ。 笑顔とか苦手なんだ」

「これ笑顔のつもりなんだ……」


 笑うのはいけないと思いつつも堪え切れずに抑えた手の隙間から息が漏れる。命はそんな僕を見て拗ねたように眉間に皺を寄せた。


「ご、ごめん……」

「まぁ……楽しめたなら良かったな。 次行くか」


 命は再び先を歩き出した。それに着いていく為に慌てて駆け出そうとした。


「あっ」

「おっと……全く危なっかしいな」


 躓いて体勢を崩した瞬間、命に上手く抱き留められる。命の匂いと温もり、そして服の上からでも分かる筋肉質な大きな身体に優しく包まれているこの状況に心臓は素早く鼓動していた。どうして命に触れられるとこんなにも胸が高鳴るのだろう。初めての気持ちにずっと振り回されている。しかも胸の高鳴りはどんどん強くなっていく。これは一体何?


「イキル?」

「あっ……ご、ごめんっ!」

「もしかして体調悪いか?」

「だ、大丈夫……! 行こ!」


 誤魔化すように先を歩こうとすると手を掴まれる。


「……へ?!」

「待て。 また躓くかもしれないからな。 手を貸せ」

「手を貸せって……手を繋ぐって事?」

「そうだが?」

「わ……わ……」

「行くぞ」


 口をぱくぱくさせていると命は気にせず僕の手を引いて歩き出した。僕は表情を見られないように俯きながら黙って着いて行く事にした。命の手は大きくて温かかった。

 この後僕達はショッピングをしたりお昼にカフェに行ったりした。どこに行っても命となら楽しかった。


「えへへぇ次どこ行くの……? わくわくするなぁ……」

「そうだな……ってお前、顔色悪いぞ」

「……え? ほんと? あれ……はは、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったのかも」


 今まで人混みが苦手でずっと避けていたから緊張してしまっていたのだろう。目が霞み、頭もぼーっとして痛くなってきた。


「もう帰るか」

「え……や、やだよ……もっと命さんと遊びたい」

「大丈夫だ。 心配しなくてもこれから時間はたっぷりあるだろう」


 その言葉に何故だか胸がちくりと傷んだ。根拠のない不安が僕の身体を蝕むように押し寄せてくる。だけど命をこれ以上心配させたくなくて俯いたまま小さく頷いた。


「それじゃあ帰……」

「あれー?! 『クロ』じゃん!」


 知らない声にびくりと身体を跳ねさせ声の方に顔を向ける。そこには命くらいの男性がいた。男性はにやつきながら命の肩に豪快に腕を回す。


「最近どうしてたんだよ! 連絡しても返事ないしよー!」

「……馴れ馴れしい」

「釣れない事言うなって! 俺達の仲だろ?」


 男性は命の顔にぐいと顔を近付ける。僕はぽかんとしてそれを眺めていた。それに気付いた男性は不機嫌そうに僕を睨み付けた。


「あぁ? なんだこいつ。 ガキの見せもんじゃねぇぞ!」

「え、えっと……あの僕」


 怒鳴りつけられ硬直していると命は男性を無理矢理引き剥がした。


「やめろ。 こいつは俺の連れだ」

「連れぇ?」


 男性が僕を怪訝にじろじろと眺め回す。僕はその視線に目を合わせないように俯き身体を縮こませた。まただ。またあの目……


「お前子守りまでやるようになったのかぁ? それともこんなガキも趣味だったのか? この変態が」

「煩いぞ。 黙れ」

「こんなガキじゃなくてまた俺と遊ぼうぜ? なぁ?」


 男性はねっとりと含みを持たせた声色を発した。命は舌打ちし、男性を睨み付けた。


「だから……」

「よく聞けガキ。 こいつは俺とどういう関係だと思う?」

「え……?」

「おい! やめ……」


 命の静止を遮るように男性は強引に命さんの身体を引き寄せ唇を重ねた。その瞬間、僕の思考は停止する。この際一秒も経たずに命さんの拳が男性の腹にめり込む。


「がはッ」

「いい加減にしろ。 もう俺に関わってくるな。 もし次に関わってきたら五体満足でいられると思うなよ」


 命は地面に唾を吐きつけ、まるで刃物を突き付けるかのような鋭い視線を男性に向けると低く静かに言い放った。それから呆然とする僕の手を掴み、足早にその場から離れる。横目で男性を見やると男性は腹を抑えながら悶え蹲っていた。


「あ、あの……命さん?」


 ちらりと命を見上げると苦虫を噛み潰したかのような表情をしていた。


「命さん……えと、さっきの人は」

「……あいつはなんでもない。 暇潰しで遊んでただけだ」

「暇潰しでその……あんな事を?」


 命の息を呑む音が聞こえた気がした。その後小さく溜め息をついた。


「……お前には関係ない事だ」


 ズキリと締め付けられるように胸が痛んだ。命はやっぱりまだ僕に対して壁を作っている。さっきとは違い、繋いだ手が酷く冷たく感じた。あれがどういう事か僕にはいまいち理解は出来ない。だけど、この胸には重く黒い感情が渦巻き始めていた。

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