第17話
置いておくだけでいいとは言われたが汚れた食器は全て丁寧に洗って水切り籠に入れた。これくらいなら珠依とおばあちゃんの家に居候してた時にもしていたから僕一人でも出来る。
「……寝れるかなぁ」
僕は命のベッドの角に頭を寄り掛け、窓の外をぼーっと眺めていた。一人で寝れない訳ではない。なんなら野宿していた時より暖かで居心地もいい。ただ、これ程に寂しいと思った事はなかった。正直命と一緒に寝られるかもしれないと期待していた。静まり返る部屋に時計の秒針の音が規則的に鳴り響く。その音に身を委ね、瞼を閉じるとずっと見てきた命の色んな表情が浮かんできた。もっともっと色んな彼を見てみたい。そんな風に想いを馳せていると気付けば深い眠りに落ちていた。
夢を見た。小さな男の子が泣いていた。あれは僕だろうか。近付いてよく見るとそれは僕ではなかった。
「命……さん?」
目の前までやってきてもただひたすらに泣き続ける男の子。男の子は何故かボロボロに傷付いていた。僕は男の子の身体をそっと引き寄せ抱きしめた。
「……大丈夫だよ」
「……イキル?」
視界が霧のように消え、意識朦朧とする中瞼を開くと暗がりの中に三つの赤い瞳がじっとこちらを凝視していた。その瞳は微かに潤んでいるように見える。命が獣の姿になっていた。
「悪い……起こしたな。 この姿は……その、なんでもないんだ」
命が僕から離れる。寝かせてくれたのかいつの間にかベッドに横たわっていた。ゆっくりと身体を持ち上げ命の方を見ると命さんは人の姿をとっていた。
「お、おかえり……寝かせてくれたの? ごめん……待ってようと思ってたら寝落ちちゃって」
「いや……」
二人の間に気まずい雰囲気が流れる。寝ている間に僕が何かしでかしてしまったのだろうか。命は裸なのに服を着ようとせずに背中を向けて座り込んでいる。
「あの……どうしたの? 服着ないの?」
「ちょっと、な……」
月の光に照らされた命の背中は微かに震えていた。夢でみた小さな命の姿が重なって見える。僕は夢と同じように近付いていくとその縮こまった背中を優しく抱きしめた。その瞬間、命に腕を勢いよく払われる。
「お前はっ……! どうして……!」
今にも泣き出しそうな切なく歪んだその顔を見た時、僕は悟った。近付いたと勘違いしていた。全然、彼の事を命を理解出来ていないのだと。
「……僕は君とずっと一緒にいたい」
そう言うしかなかった。いくら命が僕を拒否したとしても僕は絶対命を裏切らない。それだけは伝えなければいけないと思った。それも僕のエゴかもしれないけれど。
ひとつ深い深呼吸をして命は立ち上がると適当な服を取り出し、徐ろに着ていった。そしてこちらをちらりと見た。
「少しイライラしていたみたいだな……悪い。 もう寝よう……俺も疲れた」
命は床に布団を敷き出した。また拒否されてしまうかもしれない。ただここで引いてしまえばこの先ずっと命とはすれ違ってしまうような気がした。
「あ……あの! 一緒にここで寝ない……?」
「は……?」
特に深い意味はなかった。一緒にいたら命も寂しくないかもしれないと、そう思っての言葉だった。だけど発言した後にかなり恥ずかしい事を提案してしまった事に気付いた。
「あっその! えと……いきなりごめんっ……! でもあの僕……!」
うまい言い訳が思いつかなくてみっともなく慌ててしまう。そして再び出た言葉は更に僕を辱める結果になるのだった。
「さっき怖い夢見たから一緒に寝て欲しくて!」
咄嗟に出た言い訳があまりにも幼稚過ぎて我ながら馬鹿だなと冷や汗が止まらなくなる。命はぽかんと目を丸くして固まっている。流石に無理があったか……
「ははっ! なんだそれ! ……分かった。 一緒に寝よう」
命の表情が緩んだのが分かった。命が布団を少し持ち上げ、遠慮がちにも僕の側に身体を滑り込ませる。僕は命の為に身体を端に寄せスペースを空けた。命さんはそのまま僕の方を向き身体を倒す。僕もそれに合わせて同じように寝た。命と目があった。何度見ても綺麗だなぁと見蕩れていると命さんの手が僕の頬を撫でた。
「……お前は俺の目を綺麗だと言ってくれていたが、俺はお前の目が綺麗だと思っている」
「ふぇ?!」
頬から伝わる熱を感じながら真っ直ぐ目を見つめられていると心拍数がどんどんと上がっていくのを感じた。
「お前の瞳の色は月みたいだな……穢れを知らない目だ」
「……命さん?」
「だから誰にでも優しく出来るんだろう……少し羨ましいな」
命はどこか遠くを見ているようで僕を見つめているはずなのにそこに僕は映っていないように思えた。僕はぐっと唇を噤み呟く。
「……違うよ。 僕は君の思っているような綺麗な人間じゃない。 誰かを恨んだり妬んだり、そんな時もたくさんたくさんあるんだよ。 死んだ方がいいんじゃないかと思ってた事だってある。 今の僕を動かしているのはただ普通に生きてみたいって欲望なんだよ」
その時命の瞳がしっかり僕を捉えた。
「……そうだな。 お前も酷い人生を歩んできていたんだよな。 お前は強いな」
「そうかな? 僕は君の方が強いと思ったよ。 だって僕は1人だと寂しくて本当に死にそうなんだから」
2人で笑い合った。やっと少し心が近付いた気がした。
「あれ……これ」
「ん? なんだ」
今更気付いた。これ、とてつもなく恥ずかしい状況では……?
「どうした? 顔が赤いが体調悪いか?」
「ひぇぁっ?! だいじょーぶじゃよ?!」
「なんだ? 爺さんか」
「ぼぼぼ僕寝る!! おやすみ!!」
布団をがばっと頭まで被り誤魔化す。命さんの肌が密着しそうな程の距離でドキドキは増していくばかりだった。耳から心臓が飛び出そうだと思いながら必死に目を閉じる。命さんが身じろぎをした。
「……おやすみイキル」
しばらくしてゆっくりした呼吸の音が聞こえてきたので寝たのかなと少しだけ目を開け、布団から顔を出した。
「命さんって睫毛長いなぁ……」
彫刻のような綺麗な顔をまじまじと眺めていると時間を忘れてしまいそうになる。恐る恐る手を伸ばし髪に触れてみる。さらっとしていてそれなりのボリュームがある。癖っ毛だろうか。獣の時と同じ感触だった。
「ふふ、気持ちいい……」
何度か優しく撫でているうちに愛しさが溢れ出した。もっと触れたい。自然と顔が近付いていき、命の額に口付けてしまう。
「あっ……」
何をしているんだ僕は。命が起きていなくて本当に良かった。声を出しそうなのを堪えて無理矢理眠る事に集中した。羊を数えていればきっと眠れる。羊が一匹羊が二匹……この後千匹数えても眠れなかったのは言うまでもなかった。
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