第16話

 それから命は僕に留守番を頼み、買い物に出掛けて行った。僕も行きたかったが流石にこの服じゃ出るのは憚られたし、命にも止められてしまった。


「……僕も一緒にお買い物行きたかったなぁ」


 何もない宙に向かってぼそりと呟く。そして自分の言葉を頭の中で繰り返した時、はっとした。あれだけ人目につくのを怖がって街に出歩く事さえ本能的に拒否していたのに今では出掛けたい、と思ってしまっている。命がいればきっと怖くないはず。そんな風に考えていた。少しだけ成長出来たような気がして気持ちが明るく軽くなる。僕だってやれば出来るんだ。普通の生活が送れるんだ。泉のように湧き出るポジティブな声が脳内に気持ち良く響く。


「えへ……へへへっ」


 自然とステップを踏むような足取りになり、くるりくるりと身体を翻す。これからきっといい方向に向かっていく。命と一緒なら僕はなんだって出来る。無意識のうちに小さく鼻歌を歌っていた。


「随分とご機嫌だな」

「わっ?! み……命さん?! お、おかえりなさい……」


 歌に夢中になっていたようで気付けばかなり時間が経っていた。長いように思えたのに実際はあっという間だった。

 命は両手いっぱいに荷物を抱えて部屋に入ってきた。


「あっあっ……僕も持つ!」

「大丈夫だから無理すんなって……っておい」

「わっ!あぶぅ……」


 ひったくるように荷物を受け取ったものの思った以上に大きく重い荷物によろめき尻もちをついてしまった。その上荷物の中身が雪崩のように迫ってきたせいで完全に上半身が埋もれた。


「大丈夫か? 無理するな」


 命は荷物の山の中から僕を引き上げてくれた。


「ありがと……ごめん、頼りにならなくて」

「何言ってるんだ。 ガキは大人しく大人に甘えていればいいんだ」

「ガキ……」


 当たり前とは言え子供扱いされてしまい更に落ち込む。こんなに良くしてもらっていて何も出来ないなんて本当にいいのだろうか。ふいに頭を軽く撫でられる。


「いいか? 子どものうちは甘えるのが仕事なんだ。 だから気にするな。 もう少し大きくなったらちゃんと頼ってやるよ」

「う、うん……」


 単純なもので撫でられた事で嬉しさが優ってしまい一瞬で黙らさせられた。余韻に浸るのを誤魔化すように頭のてっぺんの髪を直す仕草をする。

 命は床にばらまかれた荷物を拾い上げ、一旦ちゃぶ台の上やベッドに運んでいく。僕もそれにならい、少しずつ持っていった。全て運び終えると命さんは軽く伸びをした。


「よし、一通りのものは揃えた。 必要なものが出てくればまた買いに行けばいい」

「命さん……本当にありがとう」

「ああ。 ゆっくりしておけ。 服買ってきたやつに着替え直しておけ」

「うん……また洗面所借りるね」


 僕は新しい服を持って洗面所に行った。新しい服は新品独特の匂いがした。命の服を脱いでしまうのは後ろ髪がひかれたがせっかく買ってきてくれたものを着ないのは忍びなかった。服を着てみるとそれは無地の黒のニット地のタートルネックにジーンズで僕のサイズにぴったりだった。


「……傷隠れてる」


 季節上当たり前だとはいえ、傷の考慮をしてくれているのが嬉しかった。そう思ったのも当の命さんは部屋ではお腹が見えたタンクトップという大胆な格好をしているからだ。先程着せてもらっていたシャツはあまり着ないと言っていたし他所行き用だろうか。


「命さん……着替えたよって……あれ? またご飯作ってるの……? ご飯の時間にはまだ少し時間が早いような……」

「夜仕事なんだ。 作っておくから悪いが食べたい時にレンチンして食べておいてくれ」

「いつ戻ってくるの……?」

「一八時には家出て三時過ぎに帰る感じになるな」


 夜は二人でたくさんお話できると思い込んでいた僕はすっかり気落ちしてしまう。その後の言葉を考えあぐねていると命は次の話をした。


「来て早々悪いな。 眠くなったら俺のベッド使っていいからな。 ちなみに夕飯はハンバーグだ」


 命がこちらを見ながらハンバーグのタネを捏ねていた。


「……僕もお手伝いしていい?」

「いいぞ。 教えてやるからやってみろ」


 少しでも命の役に立ちたくて気合い十分に台所に立つ。いつか命さんに料理をしてあげるんだ。そんな小さな夢が出来た。

 僕は命さんに教えてもらい、不恰好ながらもハンバーグを楕円に形取った。


「そうそう。 真ん中を少しへこませて……それでいい。 じゃあフライパンに乗せていけ。 そっとな。」


 熱されたフライパンに優しくハンバーグを二つ置く。小さく油が跳ねぱちぱちと音が鳴り出した。


「後は俺がやっておく。 ありがとうな」

「うん……!」


 大した事はしていないのだろうが楽しいと感じたのと成長の第一歩を感じたので満足感を得られた。僕は手を洗った後、ハンバーグが出来上がるのを楽しみに座って待っていた。焼き上がるまで命はハンバーグの様子を見ながらも僕に話しかけてきてくれた。きっと僕を退屈させないようにする為だろう。楽しく会話しているうちにハンバーグが焼き上がり、命は皿にてきぱきと盛り付けていく。他にもサラダを別のお皿に彩っていった。


「よし、出来たが……イキルの分は後で好きな時間に食べ……」

「い、いや…‥今食べたい! 一緒に食べよ!」

「そうか? まぁ……もし夜中お腹空いたりしたら炊飯器に残った白米があるから好きに食べろ」


 一緒に食卓を囲める幸せを噛み締めながらハンバーグを頬張る。ハンバーグはじわりと肉汁が溢れ出しふわっと柔らかかった。


「ハンバーグも美味しいねぇ……! 命さんは本当に料理上手なんだね!」

「まぁ……長く生きてると料理も自然と出来るようになってただけだが」


 ハンバーグを口に運ぶ命の綺麗な箸使いに見惚れているとある事に気付く。


「あれ……? 命さんの舌……」

「ん? ああ……気になるか? スプリットタンってやつだ。 ピアスもしてるが」


 命が舌を大きくべっと出した。そこには獣のような尖った歯の間から2つに裂けた舌とシルバーのピアスが覗いていた。


「痛くないの?」

「平気だ。 気持ち悪いか?」

「ううん! かっこいい……!」

「そうか」


 命はハンバーグの最後の一口を口に放り込むと身支度を始めた。


「悪いがお前が食べ終わったら一緒に皿をシンクに入れておいてくれるか? 仕事行ってくる」

「わ、分かった……」


 命が着ていたタンクトップを脱ぎ捨てるとその筋肉質な肌が露わになった。突然の事に慌てて目を伏せようとしたがあるものが目に飛び込んでそれに釘付けになる。服を着ていた時から少しだけ覗いていた事もあって気にはなっていたけれど……


「……こっちも気になるか?」


 命が困ったように肩を竦める。僕は動揺してただ目を泳がせていた。


「ご、ごめんなさい……」

「構わない。 大した事じゃない。 ここに例の宗教の刺青を入れられていたからな……自分で焼き消してやった」

「自分で……」


 肩甲骨から腰の辺りにまで広がる赤茶色ででこぼこした酷い火傷跡に当時の命の憎しみや恨み、悲しみを痛いほど感じる。これ程までの火傷を負ってでも忌まわしい過去と共に消し去りたかったのだと分かった。


「これは……流石に少し痛かったな」


 命が誰にも言うでもないように一際小さく低く呟いた。


「……あ、あのね! もう気付いてただろうけど僕も首に傷があって……これは実験されてた時につけられた傷なんだ。 痛くて苦しくて……これを見る度に僕は息がしづらくなって…‥だからその」


ついて出た言葉に収集がつかなくなり尻すぼみになる。ああ、僕はなんて不器用なんだと自分を責めた。


「……お前の気持ちは分かった。 大丈夫だ。 火傷跡に関しては本当に気にしてない。 もう昔の話だし今はなんの影響もないしな。 それより首の……嫌な話させて悪かったな。 イキルなりに励ましてくれたんだな」


 その時の命の声は優しくも切なくて、心がきゅっと締めつけられる感覚がした。僕には分かる。気にしてないとは言ってはいたが過去のトラウマはそう簡単には消えない。命さんだってきっと誰かに救われたかったはずだ。せめて僕が彼の理解者となって支えてあげられたら……命の助けになりたい。そんな想いを馳せながら僕は仕事へ向かう命の背中を見送った。

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