第15話
僕は命の後ろをそわそわしながら着いて行った。
「もうすぐだ」
「け……結構近いんだね」
「そうだな。 休憩するためにあそこにいただけだからな。 遠いと行き帰りが疲れる」
命がぴたりと足を止める。
「ここだ」
命が顎をしゃくる動作をする。目の前には小さめで古いアパートがあった。命の部屋は2階の一番奥らしい。
「古い部屋だからあまり綺麗でもないし広くもないが」
命が部屋の扉を開け、僕に入るように促す。僕はそっと部屋の中を覗きつ次中へ入っていった。
「お邪魔します……」
部屋の中は必要最低限のものしかなく、生活感がないどこか寂しい雰囲気だった。僕がきょろきょろ辺りを見渡していると命が後ろからすっと横切った。命はそのまま部屋の小さなちゃぶ台の側にあった座布団を軽くはたいた。
「ここに座れ」
「あ……うん」
僕は急いで靴を脱ぎ部屋に入ると言われた通りに正座で座布団に座った。
「緊張しなくていい。 崩していいからな、足」
「ありがと……」
とは言われても僕の心臓は忙しなく鼓動を続け、自然と身体は落ち着きなく動いてしまう。
「何が食いたい? なんでも言ってみろ」
「な、なんでも?」
「なんでもだ。 まぁ、お手柔らかにな」
「えっと……じゃあ」
食べたいものをリクエストするなんていつぶりだろうか。ただ、僕の中で一番食べたいものはずっとあった。
「オ……オムライスが食べたい」
「そんなものでいいのか。 それなら今ある材料で作れるな」
命が少し考え込む仕草をしながら僕をじっと見る。
「な……何?」
「風呂入ってこい。 ちょっと匂うぞ」
一瞬呆気にとられてしまっていたがあまりに恥ずかしくなって言葉に詰まってしまった。
「そ、そんな臭かったかな……?! ご、ごめんなさい……」
「い、いやまぁ……お前の匂いは嫌いでは……な、なんでもない」
何故か命は目を逸らし頭を荒々しく掻き、何かを投げつけて来た。慌てて受け止めよく見ると服らしかった。
「服は洗濯してやる…‥乾くまではそれを着ておけ。 俺の服だから大きいが我慢してくれ」
「え……」
渡された服には柔軟剤のような香りはなかった。無香料のようだ。でも、命だと分かる野性味のある匂いがほんのりと漂ってきた。そういえば家中全て命の匂いに包まれているんだと考えていると途端に身体の奥が火照りむずむずする感覚になった。
「どうした? 顔が赤いな」
「な、なんでもないよ……! シャ……シャワー借りるね!」
顔を隠すように服を抱きしめ急いで脱衣所へ向かう。そしてその場にへたり込み息を整える。
「変だな……やっぱり僕、おかしくなっちゃったのかな」
小さく息を吐くように呟き、頬を両手で軽く叩いた。服を脱ぎそれを丁寧に端に畳んで置き、風呂場へそっと足を踏み入れる。こちらもやはり無駄のない一般的な風呂場だ。シャワーを軽く出し、温度を調節する。すぐに温かくなったのでシャワーを頭からかけた。かき消そうとしても心臓の音はより一層頭に響き渡るばかりだった。
シャワーを済ませ、渡された服をもたつきながらも着てみる。流石にぶかぶかでシャツだけで手はすっぽり隠れ、ワンピースのようになってしまう。下も半ズボンのようだが僕が履くとまるで長ズボンだ。肩からずり落ちるシャツを何度も引き上げながら扉を少しだけ開けて命の様子を伺う。すると、小さく油の弾ける音と香ばしい香りが漂ってきた。
「美味しそうな匂い……」
命が僕に気付き、ちらりと目線をやった。
「もうすぐ出来上がるからな。 ……やっぱり服大きかったか」
「服までありがとう……」
「お前の服は後で洗っておいてやるから洗濯機の前の籠にでも入れておけ。 入れたらさっきの場所にでも座って待っててくれ」
「うん」
僕は言われるがままに籠に服を入れ、背筋を伸ばして正座をしながら命のオムライスを待った。少しして命が僕の目の前に優しく皿を置いた。そこには滑らかな黄色い肌の卵の山にてらてらと光る赤色のケチャップがかかった定番の形のオムライスがあった。
「どうした? 卵はトロトロ派だったか?」
「い、いや……! 凄く……美味しそう! これ僕の好きなタイプのやつ……!」
「そうか……よかった。 食べてみてくれ」
「いただきます」
スプーンで1口すくい、口に入れる。そしてゆっくり噛み締めてみた。
「どうだ……ってどうした? 口に合わなかったか?」
命がぎょっとして僕を見つめる。
「え……あれ」
頬に温かく濡れた感覚が伝う。僕は泣いているのか。涙は止めどなく溢れ出し、視界は途端にぼやけてしまう。
「えへ……な、なんでだろ。 凄く美味しいのにな……」
温かくて懐かしくて温かいオムライスはしょっぱさを帯びていた。夢中でオムライスを食べる僕を見つめる命の表情は今まで見た中で一番柔らかく微笑んでいた気がした。
「……ごちそうさまでした」
食べ終わる頃に気持ちも落ち着き、深呼吸をする。
「僕……オムライスがなんで好きか思い出した。昔……まだお母さんと暮らしてた時に……一度だけ作ってくれた唯一覚えてる手料理なんだ」
「そうか。 ……お前は捨てられたんだろう? 母親を恨んでないのか?」
「辛くなかったといえば嘘になるけど……お母さんの事は今でも大好きだよ」
お母さんは僕を嫌いだった。たくさん暴力を振るわれて暴言も吐かれた。そして僕を恐れて研究所に売った。その時のお母さんの顔は今も覚えてる。それでも僕がお母さんを嫌いになれないのはお母さんが優しかった頃を覚えているからだった。朧気な記憶ばかりな中ずっとこの記憶だけを大切に覚え続けていたからこそ今まで辛かった事も乗り越えられたんだ。
「……分からないな。 俺には」
命が本当に怪訝そうな表情で首を捻っている。
「僕が変なのかもしれないね」
命は僕の食べ終わったお皿を持ち上げ、台所の流しに置いた。そして手際良くそれを洗っていく。
「そういえば……今はどこに住んでいるんだ?」
「え? あー……」
「匂いもそうだったが……もしかして宿無しか?」
「えと……そ、そうです」
なんだか情け無くなって思わず俯く。1人では何も出来ない。これからを生きていく事すらままならない。僕の進む道は先の見えない闇が広がるばかり。それを裸足で手探りで歩くようなものだ。そう思うと改めて耐え難い絶望感に襲われてしまう。
命はそんな僕を見て考え込むような仕草を取ると徐ろに口を開いた。
「……ここに住むか?」
「へっ?」
あまりの事に声が裏返える。ぽかんと口を開けていると命がぷっと吹き出す。
「お前は本当に面白い顔をするな。 どうなんだ? 一緒に住むか、住まないか」
「すっ……住む! 命さんと一緒にいたい……!」
「よし、決まりだな。 お前専用の替えの服と日用品を買ってこないといけないな」
命は愉快そうに少し明るい声になっているような気がした。
「で、でもいいの……? 僕なんか」
「お前だからいいと思った。 それに、お前にもしもの事があったら後味が悪いからな」
再び目がじんわりと熱くなる。震える声で僕は精一杯の気持ちを込めた。
「ありがとう……!」
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