第12話 ~mikoto~

 産まれたばかりの俺は人とも獣とも見えるおぞましい見た目をしていたという。そんな化け物じみた俺を周りは『神』だと崇め称えていた。俺の母はとある宗教の信者で教祖に身体を差し出していた。そして妊娠が発覚後、俺には呪術がかけられその結果俺のような化け物が誕生してしまったのだ。ずっと同じ部屋で軟禁状態の中、毎日何人もの信者が俺を訪れよく分からない祈りを捧げていった。父だった教祖は時々様子を見にくるものの父らしい事は何一つしなかった。唯一世話をしてくれていた母も俺を子としてではなく神として扱っていた。しかし、それが普通になっていた俺は疑問を持つ事なく毎日を過ごしていた。


「みてみて! ちゃんとみんなとおんなじになれてる?」


 幼い頃の俺は変身の練習をよくしていた。俺は幼いながらに周りと見た目が違う事をコンプレックスに感じていたのだ。上手く変身出来る度に母に見せびらかす。そんな俺とは対照に母の表情は曇った。


「貴方は神なのですよ。 私達と同じ姿をとるなんてしなくていいのです」


 何度見せてもそんな反応しか返って来ないので俺はそれを見せるのはやめた。それでも母の気を引きたくて色々やってみた。しかし、母の態度は業務的だった。こうした毎日を繰り返し何度目かの誕生日を迎えた時だった。ぞろぞろと何人もの足音が俺のいる部屋に近付いてくるのが分かった。最初に入ってきたのは教祖だった。教祖は貼り付けたような笑みを浮かべ、俺にこう言った。


「神よ。 皆に恩恵をお与え下さい」

「え……?」


 教祖と入れ替わりに何人もの信者がやってきて俺を囲んだ。信者達も教祖の時のような貼り付けた笑顔を向けてきた。ぞくりと嫌な悪寒が走った。


「何するの……? や、やめて!」


 信者達が暴れる俺の身体を抑え込む。それからは言葉にするのも憚られる事をされた。そう、俺は信者達の慰みものにされたのだ。男も女もいた。何人もやってきて俺の身体を好き勝手に触れ、穢していく。数時間は行われただろうか。それが終わる頃には俺の思考は停止していた。

 それからは毎日その地獄のような時間は続いた。何が『恩恵』だ。俺はただの化け物なのに。死んだような生活を続けていくうちに俺は信者達の望む行動を自然と取るようになっていった。そうする事で自らの心を守っていた。


「ありがとうございました。 それでは失礼致します」

「……ああ」


 最後の信者が去っていくのを見届けた後、徐に部屋の隣の扉へ向かった。そこには禊の為の小川があった。小川は薄暗い中微かな光を吸収し、ちらちらと反射していた。小川の水を手で掬い、身体を撫でるように洗う。


「今日は冷えるな」


 水の冷たさに一瞬だけ身震いをした。ふと周りを見渡す。全方位を木の壁に隔てられており、外の様子は満足に見れない。しかし、よく見ると小さな隙間がある。そこから覗くと鬱蒼と生える木々が見える。その情報からここは森の中にあるのだと分かった。今思えば出ようと思えば出られたのかもしれない。それほどの力をあの時の俺はもう持っていた。だが、そんな事を思い付かなかったのは俺自身洗脳されていたからだろう。あの夜が訪れるまでは……


 ある時、今までにない数の足音に夢から引き摺り出された。それがこちらに向かっているのはすぐに分かった。


「なんだ……?」


 嫌な胸騒ぎがして身構え、扉を睨み付ける。扉は勢いよく開けられ武装した信者達が雪崩れ込んできた。


「何事だ。 呼びかけもなく入ってくるとは」


 俺の恫喝には物ともせずに無表情で見つめてくる信者達。普段とは明らかに態度が違う。信者達がさっと道を作るとそこから教祖がゆっくりと現れた。そして信者達の集まりの一番前までやってくると足を止めた。その顔は今まで見た事も無い程に醜く歪んでいた。


「此奴は今まで私達を騙していた! 神などではなかったのだ! 捕らえて火炙りにしろ! この世の災いの象徴を消すのだ!」


 信者達が一斉に俺に飛びかかってくる。俺の身体を縄のようなもので縛ろうとしてくる。抵抗しているうちにこれまでの記憶が走馬灯のように駆け巡った。俺が何をしたというのだ。勝手に担ぎ上げ、身体を好き放題され、挙げ句の果てに『災い』だと?冗談じゃない。こんな所で終わってたまるか。抑えきれないほどの激しい怒りが俺の思考を支配する。


「な、なんだあれは?!」

「ひッ……! ば、化け物ッ……!」


 俺の身体は角と翼の生えた大きな黒い狼のような姿に変身していた。地を響かせる程の唸り声を上げながら近付く信者達をどんどんとなぎ倒していった。その鋭い牙と太い爪でまるで枝を折るかのように人を吹き飛ばしていく。血と肉片がそこかしこに舞い、壁や床に張り付いていく。阿鼻叫喚の地獄がそこにあった。こうなると誰も俺を止められなかった。奴らは見落としていた。俺の力は既に人の手では抑制する事は出来ない程に増していたのだ。そして数分もしないうちに誰一人としてその場に立っている者はいなかった。


「化け物めッ……お前さえいなければ……」


 腰を抜かした教祖が逃げだそうと赤子のように這いつくばっている。それを逃すまいと前脚で押さえ付けた。風船を破裂させる寸前のような情けない声を漏らす様は傑作だった。


「……わ、私はお前の父なんだぞ! 父を殺すというのか?!」

「何を言っている? 教祖様が今更命乞いか? 先に裏切ったのは貴様だろう? 粗方、信者達の信仰心が俺に移る事を懸念したか?」


 図星だったようで苦虫を噛み潰したような表情で俺を睨み付ける教祖。


 「死んで念願の神とやらになるんだな」


 俺は教祖の次の言葉を聞く事はなく、その頭に牙を食い込ませた。


深い闇の続く森を駆け抜ける。次第に匂いは強さを増していく。……近い。目の前の影を捉えた瞬間に俺はスピードを上げ飛び掛かった。


「ぎゃあ!!」


 そこに母だった者がいた。彼女の目には恐ろしい化け物の姿が映し出されていた。


「た、たすけ……」


 ガタガタと震え、蚊の鳴くような声を絞り出す女。暫くその様子を見詰めていたが、俺はふと乗せた前脚の力を緩めた。こいつも結局は団体の人間だった。俺を子だとは一度も思わなかっただろう。それどころか愛情の欠片すらなかったはずだ。しかし、今まで世話をしてくれていたのには変わりない。腐っても俺にとっては母親なのだ。


「……見逃してやる。 お前以外全員殺した。 あんな宗教二度と入るんじゃないぞ。 分かったら俺の前から消えろ」


 女に背を向ける。これで良かったのだ。……そう思ったのが間違いだった。尻の辺りに激痛を感じ、目をやると女がナイフのようなもので俺を刺していたのが分かった。女は尚も恐怖に慄いている。俺は即座に尾で女を弾き飛ばした。


「あんたみたいな化け物ッ……生まれて来なければ良かったのよぉ!!」


 女が吐き捨てるように叫ぶ。その言葉を聞くのと同時に前脚を振り上げ女の頭と胴体を離してやった。女の頭がごろごろと数m転がっていった。その目は見開かれ涙に塗れていた。


「……馬鹿だな」


 俺は人型になり、刺さったナイフを勢いよく抜き捨てた。そして女の姿を一瞥すると俺はその場を去ったのだった。


 それから俺は呪いの如く背中に刻まれていた紋様を自らの手で焼き潰し、目立たぬよう身を隠しながら生きてきた。俺の正体を知った者がいればすぐに食い殺し、証拠を隠滅した。そんな日々を繰り返すうちに本当の自由なんてものはこの先もないのだと、無意識に自覚するようになるのだった。

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