第8話 葬式の恐怖

「先生ってのは家庭科をやらない限り家事は下手になるわね」


 これは塔子のおふくろさんが俺に言った言葉だ。六十を過ぎてなお高校の数学教師として勤めていらっしゃるお義母様は、その言葉に違わず家事、取り分け料理の下手なお方だった。

 掃除洗濯はまだともかく、男子厨房に入るべからずなんて言葉がまだ生きていた時代のお方なのにだ。

 ずいぶんとお義母さんに叱られもしただろうと思いきや、嫁入りした時にゃとっくに義父さんのおふくろさん、つまり俺の義理の婆さんは亡くなっていたそうで。

 ったく、その点では気楽だったかもしれねえけどいろいろ大変だね。そんな状況で三人も子どもを作ったもんだから、三人とも否応なく自分で何とかするしかなくなっちまったって訳だ。でも、そんな風に家事が下手くそだったとしてもいるといないのではぜんぜん違う。




 小野川のおふくろさんが死んだ時、小野川はまだ八歳だった。ちなみに小野川のおふくろさんが亡くなった時の年は、三十三歳。

 ったく、今の俺と三つしか違わねえのかよ。改めて驚くね全く。




 にしても、小野川の親父さんと来たらもうなんつーか…………。あの事件の後テレビの取材を受けてたけれど、ホンマもんのジジイになっちまってたね。

 授業参観日ですらいっぺんも見かけた事のない人だったけど、それでも何べんか見た中で感じた印象としては真面目で気弱だけど人のよさそうなお方って言い方がピッタリくるお人だった。


 それがあんなになっちまうとは、時の流れと今度の事件の恐ろしさを感じたね本当。今年四月に定年退職、ようやく悠々自適の生活を送る事ができるはずだったのにたった一人の息子があんな事やらかしてくれたんだからな。

 もちろんテレビだから顔は映らなかったし声も加工されてたけど、手足を見るだけで枯れ果ててるのがわかっちまった。

 そんで後ろにちらちら映ってた、若い姉ちゃんにしか見えない小野川のおふくろさんの笑顔ったらもう痛々しくってしょうがなかったね。

 何が痛々しいって、なんつーかめちゃくちゃ晴れやかな顔をしてたっつー事なんだよ。世間的にゃ母親は天から笑顔で我が子の健やかなる成長を見守ってたのにってどうしてこうなったんだってなるだろうけど、俺の見方はちと違った。










 その時小学二年生だった俺には葬式ってもんがどんなんだかよくわからなかった。ただ多くの人たちが泣いたり怒ったりしてる変な舞台でしかなかった。

 それも、嫌になるぐらい静かにそういう感情をぶつけあってる感じ。

 言いたい事があるんならはっきり言えばいいのにと思ったけど、オヤジたちから静かにしていなさいと言われてたからできる限り我慢してた。

 だから、ションベンがしたくなって便所でひとりっきりになれた時は本当にホッとした。




 その後も何べんか葬式には出たけど、あんな嫌な葬式は今まで一度だってないね。

「人が死んだだから、悲しいのは当たり前なの」

「こうなる前にもっと何かできたんじゃないのかって、みんな思ってるんだ」

 オヤジとおふくろからはこう言われたけど、それでも納得いかなかった。その葬式で見た小野川のおふくろさんの遺影は、正直怖かった。

 そして死体の入った棺桶に花を入れる時に小野川のおふくろさんの死体の顔を見て、もっと怖くなった。







 三十三歳、人生八十年とか百年とか言われている時代にあまりにも早すぎる死。

 それだってのに、ちっとも悔しそうに見えねえ。

 葬儀屋が手を尽くしてきれいそうな死に顔にしたつもりだろうけど、それが逆に怖さをあおっていた。


 逃げるように足元に花を入れて祭壇の方に目を向けると、そこには三十三歳の女がなーんにも悔しい事なんかなさそうな顔でにこにこしてた。

 まあにこにこするべき場面でにこにこしてただけであり、そういうのを切り取って葬儀に使ったってのが常識的な話なんだけど、その時はただひたすらに怖くて仕方がなかった。





 何せ、俺とした事が次の朝布団にどでかい地図を描きやがったんだからな、小二にもなって。

 オヤジにはからかわれ、おふくろには怒られるでもなぐさめられるでもなく首をかしげられ続けた。ああ災難だったぜ、実に災難だ。

 あの時の写真と、死体の顔と、そして最近やってたニュースに映り込んだ写真。同一人物だから当たり前かもしれねえけど、全くと言っていいほど変わらねえ。

 三つとも同じように満面の笑みを浮かべ、同じように不思議な圧力を持ってた。何だろう、なんて言うかバケモノじみてるって言うか、小野川にはめちゃくちゃ失礼だけどそんな感じだった。


 その葬式の時は夏休みの終盤だった、つまり葬式からまもなくして二学期が始まるってタイミングだ。あるいはおふくろさんの死をきっかけに転校するんじゃないかって無責任な噂まで起こったぐらいで、その点大丈夫なのかなってちっと思ってた。

 結局六年生まで小野川はきちんと学校に通い、その後名門の私立中学校を受験して見事合格した。その結果があれかと思うと、また一段とあの遺影が恐ろしく見えて来るぜ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る