第7話 小野川の母
にしても、小野川の青春ってのは一体何に費やされたんだろう。
世間的に言って俺みたいに中途半端な野球部でちんたらやってたのをいい青春とは言わねえだろうけど、浅野みたいにゲームばっかり(口では歴史研究っつってるけどな!)やってるよりはずっと格上のはずだ、少なくとも小野川にとってはな。
ましてやそれを社会人になっても引きずるってのはある意味往生際の悪い潔くねえ話だ。まあ浅野の場合、社会人通り越して結婚の道具にするまで引きずっちまったけどな。ここまで来ればもう一種の芸術だぜ。
小野川はたぶん俺に一定の評価を与えるだろうが、浅野は絶対に認めない。
そういう認識が俺にはあった。十八年間まともに会話なんぞしてねえのにな。で、今度の事件でその認識がいよいよ確定的になったと俺は勝手に思ってる。
「見つかったのー」
「見つかってりゃ言うよ、歩きスマホは厳禁だぜ」
この辺りで何が見つかるか、浅野ならとっくの昔に把握してるはずだ。まああるいは、とっくの昔に捕まえてるもんしか見つからねえってオチかもしれねえけど、まあそれはそれでいいや。
「おしっこ!」
「しょうがねえな、そこの公園の便所でして来い」
とりあえず、チビたちが公園の便所に行ってる間に立ち止まってスマホを眺めてみた。でも、何もいねえ。別の方向の公園にはレアキャラ大量発生とかって噂があってよ、そこはずいぶんと賑わってたらしいけどこっちは相変わらず静かなもんだ。
「見つかった」
「なーんにも、あ!」
と思ったら、途端に出て来やがった。ここぞとばかりに捕まえてやろうと思ったけど、どうやりゃいいか忘れちまってたせいで逃げられちまった。
「お父さーん」
「な、なーに。父さんの記憶が正しきゃそれほど珍しいもんじゃねえからさ、な」
あーあ、チビたちの目線が冷てえの何の。後で調べてみたらその通りそれほど珍しくなかったが、でもそれはそれでそんなのも捕まえられないのかと言われちまう。
あー、ホントに無駄な知識ってのは一つもないね。多分、小野川に言わせりゃ無駄な知識なんだろうけど、たった今俺がその無駄な知識がなかったせいで親父の威厳を落とす有様を見てそう言えるのならば尊敬するね。
「ねえお父さん、お父さんにも独身時代ってのあったんでしょ」
「まーな」
「お料理してたの」
「まーな」
やがて入った回転寿司屋。ってか回転寿司じゃねえなはっきし言って、なんでそばとかプリンとか回ってるんだよ。
数年前に工場仲間と一緒に来た時にはんなもんはなかったのに、ったくこういう店ってのもどんどん変わってくもんだね。
「あなた、まーなまーなって言ってるけど料理なんかぜんぜんできなかったじゃないの」
「一応やってたぞ」
「適当に切って適当に煮込んで適当に味付けて、そんなのばっかりだったわね」
「それでもバランスだけは取れてたつもりなんだけどな」
今の勤め先に入り込んで四年間、俺の住所は会社の独身寮だった。ぶっちゃけボロかったけど家賃は安いし朝夕の飯はくれるし、実にありがたい環境だったね。
そこで貯めた金を使って安くて工場に近いマンションを借り上げ、本当の自炊生活を始めたのは二十二歳の時。そこからたったの一年で結婚しちまったから、まともに飯を作るのを覚える暇もなかった。
一応体が資本って事でバランスだけは考えてたつもりだが、すると今度は量が足らねえの何の。安くて腹にたまるスナック菓子もずいぶんと喰ってた、その割にデブにならなかったのは若いからだろうな、もうそんな事はできねえだろう。
「とにかくだ、お前らにはまだわさびは無理だろ。って訳でいくらの軍艦巻きとタマゴとそれからカッパ巻きとあとデザートでしまいだな」
「他にもひとつぐらい食べたい」
「じゃせっかくだしな、すいません、サビ抜きのマグロ二皿下さい」
とにかくだ、一家の長としてきっちり役目を果たさなきゃならねえ。俺はチビたちの注文を済ませた後、適当に皿に手を伸ばしては喰いを繰り返した。
寿司はうまかった、およそひと月ぶりの寿司はな。
「偉い人になると、こんな庶民的な店じゃなくてもっと高い所で食べるのかな」
「だろうな。無論毎度毎度って訳じゃねえだろうけど、いざとなったらこの一枚で何千円の所で喰うんだろうな」
しかし、どうしても俺の頭の中から小野川の影は消えなかった。
小野川はこういう店で寿司を喰ってたんだろうか。そりゃエリート官僚様と言えど毎日高いもんばっか喰ってる訳でもねえだろうしさ、こういう回転寿司屋とか牛丼屋とか入ってたのかもしれねえ。
でもどうにも似合わねえ。あいつの事だからどんなにジャンキーなもんを喰った所で、別の食事でがっつり野菜ばっかり喰って帳尻を合わせようとした気がする。
俺が自炊してた時のバランスってのは、穀物とタンパク質と野菜の量だけで中身はまったく気にしてねえ上っ面のバランスだ。
小野川は多分、本気の本気でそういうとこまで考えてた気がする。あいつならやりそうだった。
「お前たち、友達は何人いるんだ」
「八人」
「かったー、わたし十にん」
友達っつーのが、どのレベルから友達って言えるのかは知らねえ。でも俺はこの点ではチビたちに負けてる。俺の考える友達っつーのは、浅野と中学時代、高校時代の同級生が一人ずつ、それから職場で仲良くしてるのが同期の二人。まあその五人が俺の友達と言えそうな気がする人間だ。こいつらの友達のうち、俺の年になるまで残ってる奴がいったい何人いるだろうか。
「何かその友達から面白い話でも聞いた事あんのか?もしよかったら教えてくんねえかなあ」
「あなた、こういう場ではちょっと」
「じゃ家に帰ったら聞かせてくれねえかな」
「うん」
いったいどんな話をしてるんだろうか、キャラクターの好みとか、食べ物や洋服の好き嫌いとか、あるいは好きな子とか、それぞれの家庭の事情とか。難しいかもしれねえけど、それなりには面白い。
俺のふところ具合じゃできねえ事もあるけど、それでもできる範囲の事はかなえてやりてえと思う。
「それにしてもおいしいね!」
「ママほどじゃないけど」
「こらこら」
チビたちは飲食店の従業員を目の前に塔子の料理をもてはやしてる。
実際、塔子の作る飯はうまい。もしこれがおふくろさんのおかげさまだとしたらありがてえ事だけど、もし小野川の作る飯がうまかったとしたら、そんでその理由が塔子と似たようなもんだったら俺は悲しい。
何せ、小野川のおふくろさんは塔子のおふくろさんと違って、もう二十年以上前に死んでるんだから。
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