第3話 その次の一日
小野川勝っていう将来を嘱望された若手官僚の凶行。それに対してああだこうだやいのやいのとみんながやかましく騒ぎ立てている。
一体何が悪かったと言うのか。昼休みになると仲間たちの話題もそれ一点になった。
まあ俺もエリート官僚様という立場には羨望とか言う感情を持ってるが、だからと言ってそれでどうこうするつもりもない。それより腹が減って仕方がない、昼飯の豚の生姜焼き定食をかき込む方が先だ。まだ中間点にもなってない昼休みとは言え今日は仕事に集中していたせいか飯がうまい。
「お前どうしたんだよそんな暗い顔してよ」
「いやねえ、四人死んで四十人近くケガしたって話でしょ、どうもそういうのってさ」
「ああまあな、でもその小野川って言う奴ってお前と同い年なのにカミさんいねえんだろ?なんてか、仕事一筋でさ」
「俺は仕事サボってませんよ!」
「わりいわりい、にしても人生わかんねえもんだよな」
俺は世に言うとこのリア充で、あいつはいわゆるぼっち。でもそれだけが幸せか否かの判定基準じゃあるまいし、偏差値の話でも同じ理屈が振りかざせる。
まだ三十歳ならいくらでも結婚なんざ可能なはずだし、あの顔あの収入なら振り向く女は山といたはずだ。
実はこの工場で働く仲間たちの中にも、けっこうリア充と呼ぶべき連中は多い。さすがに二十三でした俺は早い方だが、二十代のうちに結婚した奴は俺の右手の指の数より多い。
一人だけ三十四にして独身の人もいるが、そのお方はあえてしない宣言をしているししようと思えばすぐできそうなほどにかっこよかった。ああいう三十四歳になってみてえなと思うだけなら勝手だろう。仕事と趣味を取って結婚捨てたんだよと公言してるあの副工場長様のような人間を、小野川の奴が見たらどう思うだろうか。
今日も工場の中には、やかましいほどの金属音が響く。外務省や浅野の会社では絶対にありえないような音。工業高校に居た時からなんとなく慣れてはいたけど、こう続くと職業病って奴になるかもしれない。俺はまあ今んとこ無縁だが、工場長様とかは月二回ぐらい耳鼻科通いを続けてるらしい。
「ったく厚生省のお役人様にゃ、こんな現場があるだなんて想像もできねえだろうな」
「仕事だよ仕事」
いつもならああそうだよなと言い返すとこだが、今日はそういう気の利いた事は言えない。仕事がガチで忙しいんならそっちにかまける事もできるけど、今日はそれほど派手な日でもない。
でもまあ、一時に比べれば景気はよくなったと思う。俺がここに勤め始めた時にはまともな仕事も回って来なくて万年研修生のような状態で、嫁さんももらえねえんじゃないかと思った事もあった。
そして嫁さんがかなり早く見つかってもなお、暇を持て余す事も多かった。それでもちょうど息子ができた辺りから景気が微妙に上がり始め、気が付きゃすっかり社畜様よ。
でも社畜でも何でも、ちゃんと金をくれるならば付いて行く。牧場の牛だってよ、喰われるまでは全力で世話してくれるんだろ?世の中そんなもんじゃねえ?
「よし今日はここまでだ」
「ありがとうございました!」
やがて、定時が来る。今日、残業はない。あくまで今日はないだけだが、それでもこうしてのびのび帰れるのはありがたい。
「でどうするんだよ」
「早くカミさんの所に帰んなきゃな」
「のろけやがってよ」
結婚生活半年の奴に言われたかねーっつーの、結婚七年目にもなってなんでわざわざのろけなきゃなんねえんだよ!俺は単にカミさんとチビたちが心配なだけだよ!
「お帰りなさい、今日は早いのね」
「まあな、お前らが無事かどうか心配でな」
俺らしくもねえ、つまんねえ繰り言だ。でもまあ、ガチのマジで本音だったからしゃあねえだろう。
「お父さんお帰り!」
「おお、いい子にしてたか?」
「当然だよ!」
ったくよ、こうして可愛い我が子たちに囲まれて過ごすってのもいいもんだな。まあしょせん平日でそんな時間はあまりねえが、ゼロとあまりねえってのはぜんぜん違う。
「そんで今日は何だっけ」
「トンカツ。でもごめんなさい、ソースがなくって」
「いいんだよ、最近またマヨネーズもいいもんだと思っててな」
トンカツにマヨネーズをかけて食ってたのは二十年前の話だった、中学に上がった時にんなガキみてえなもんが喰えるかってキッパリソースに変えちまったけど、子どもができてソースはまだ早えって事になり、最近再び子供らに合わせてマヨネーズをつけて食ってるって次第よ。あーあ、どうしてカツサンドとかソースばっかりなんだろうな。まあやっぱり、需要がねえからなんだろうけど。
「パパ、あんまりたくさんかけ過ぎると体にわるいよ」
「いいんだよ、パパの仕事ってのは肉体勝負なんだからな!」
ったく、いっちょまえにどこで覚えたのやらそんな知識を。まだ俺は三十歳、世間的に言って若者で通る年だ。もっと栄養のあるもんを喰ってもバチは当たらねえだろ!
「でも今日のあなたは朝からちょっとおかしいわよ。って言うか早食いはやめて」
「あー、そう見えるのかねやっぱ、ああいけねえなつい」
がっついているのはマジでうめえからだと言いたいけど、やっぱしそういう不安ってのは出ちまうもんなのかね。こうして飯にがっついている間は、あの事件を忘れられる。今日は結局、あのニュースに一日中支配されたって訳だ。
「いいかお前たち、車を運転してる人が完璧だと思い込んじゃダメだぞ。ニュースとかでもやってるだろ、アクセルとブレーキを踏み間違えてとかさ。俺はバイクの免許しか持ってねえし、お前らが生まれてからはいっぺんも乗ってねえ。つまりだ、今俺はうまくバイクを乗りこなせる自信なんぞまったくねえ。そんな奴が乗ってるかもしんねえって」
「話が長いよー」
「とにかくだ、ガードレールがあったとしてもなるべく車道から離れて歩けって事だ。わかったな」
寝る間際にまで、そういう話をせずにいられなかった。ったく、我ながら勝手な父親だぜ。ホントなら幼稚園の話でも聞いてやるべきだったのによ。
「でもねえ、幼稚園でも先生にずいぶん注意されたらしいのよ、車には気を付けないといけないって」
「やっぱり、先生たちにとっても衝撃的なニュースだったんだろうな」
って思ったら、幼稚園でも先生たちがその事について必死こいてたらしい。本当にショックのでかい事件だったって事がよーくわかる話だ。たぶん、今日一日じゃ終わりそうもねえ。やらしい位テレビも新聞もこのニュースをやるだろう、俺が同じ立場でもこんな絶好の素材を取り上げねえ訳には行かねえしな。
「ねえ、あの犯人とあなたと浅野さんってどういう関係だったの」
「幼馴染だよ。そんで同じ小学校に通ってたんだよ」
公立学校って奴は、今考えると実に面白い。俺の母校である市立の工業高校のような、はっきりと似たような奴が集まるような場所じゃねえ。
一応俺の母校も共学だが、工業高校って場所の御恒例に漏れず圧倒的に男が多い。女ってだけで希少価値であり、そのせいか少ない女はずいぶんとモテた。まあ、塔子と出会ったのは俺が社会人になってからだけどな。
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