マイナス7(3)
幸い、僕は徒歩通学だった。
慣れた道を歩きながら少し考えてみたが、やはりこれ以外は思いつかない。
だってそうだろう、他に何がある? 警察? 病院?
いやまず『家に帰る』の一択でしょ。
タイムスリップだかリープだか知らないけど、そういうのってなんかこう……まわりの景色がぐるぐる渦を巻いたりとか、サイケデリックな謎の異空間に吸い込まれたりとか、不思議な夢を見て目覚めたら昔使ってた自分のベッドだったとか、そういう予兆なり演出なりがあるものだと思っていた。
でも、事故は突然起こるって言うもんな。今度から気をつけることにしよう。何に気をつければいいのかわからないけど。
それにしても、時間移動ものの主人公たちは、どうしてすぐにそこが過去や未来だと確信できるんだろうか。一見そっくり同じような世界だったとしても、例えば『信号の青と赤が逆転しているパラレルワールド』みたいなのだってありえるワケだよ。信号待ちするのにも注意が必要だ。
ちょっとのあいだ観察してみたところ、交通ルールはどうやら僕が知っているのと違いはないようだし、商店街の店先のポスターが意味不明な文字列だったりもしないし、自販機のジュースの値段が10ペソだったりということもなかった。僕が実際に体験してきた七年前そのままだ。
となると、今度はもうひとつ別の可能性を考えないといけなくなるんだけど……そっちについては怖くなるからまだ今はやめとこう。
そうこうしているうちに、僕は住宅街の一角にある何の変哲もない小ぢんまりとした一戸建ての前に辿り着いた。小学生のころに引っ越してきて、高校卒業までを過ごした馴染みある我が実家。
今でも盆や正月にはもちろん帰ったりもするけれども、今回ばかりは少し緊張する。
全く別の家族が住んでたり、あるいは本物の当時の僕自身と鉢合わせることになったりしたら……。
少し迷った末に、僕はまずインターホンを鳴らしてみることにした。
「はーい……ってアンタ、何やってんのよ」
声と共に出てきた母親の顔に、僕は内心ホッとする。あらためて見ると七年前のお袋はまだ若々しいけど、『実家のような安心感』とはよく言ったものだ。
「ちょっと気分が悪くて、早退してきた」
「とか言って、またサボったんじゃないの?」
実際、多少は具合が良くなさそうに見えたんだろう。いきなり七年前に放り出されて途方にくれてるんだから、そりゃそうだ。お袋はやれやれという表情をしながら、僕を迎え入れてくれた。
玄関に入って靴を脱ぎ、二階に上がって僕の部屋に入る。毎日のように繰り返してきた行動だ。
部屋の中は、やっぱり高校時代の記憶通りの僕の部屋だ。本棚には、独り立ちしたときに処分した本やプラモがまだ並べられていて、その隣の壁には好きだったバンドのポスターが貼ってある。このすぐ後に電撃解散してしまって、今――この時から七年後にはもうほとんど名前も聞かなくなってしまった。
「……さて」
クローゼットのカラーボックスから、これまた見覚えのあるTシャツと短パンを引っ張り出して着替えると、ようやく僕は落ち着いた気分になった。
「ちょっと横になるから、晩ご飯はいらないよ」
いったんドアを開け、階下のお袋に向かってそう叫んでから、僕はベッドに寝転がった。
辛いことや嫌なことがあったとき、どうしようもなく追い詰められたとき、僕はとりあえず寝ることにしている。そうすれば自然と心の中が整理されて、気持ちが切り換えられたり、解決のアイデアが閃いたりする。
夏用の薄手のタオルケットを頭からかぶり、僕は目をつぶった。
* * *
目を覚ました僕は、ゆっくりとベッドの上に身を起こす。カーテンの隙間から早くもキツめの日差しが差し込んできている。今日も暑くなりそうだ。
裸足のままで階段を降り、洗面所で顔を洗い、食卓があるダイニングルームのドアを開ける。
――僕の親父が、テレビのニュースを見ながら味噌汁をすすっていた。
「おう、おはよう
親父は、当たり前のようにそう言って僕の顔を見た。
「……なんだ、朝から幽霊でも見たような顔をして。ゆうべは早くに寝たって聞いたが、まだ具合悪いのか?」
「いや……」
僕は、かすれる声で答える。
「親父こそ、最近ちょっと食が細くなったんじゃない? 今度いっぺん人間ドックとか行ったほうがいいと思うよ。忙しいとか言ってないでさ」
「なんだ、いきなり。学校で何か言われてきたのか?」
苦笑しながら親父は僕の顔を見た。ごくごく普通の、親子の会話。
――ああ。本当に、七年前なんだ。
「まぁ、お前がそんなにでっかくなるんだから、俺も歳を取るよな。考えとくよ」
それ以上、何を話していいかわからなくなって、僕は親父の横で流れているローカル局のニュースの内容をちらりと確認してみた。『あの悲惨なバス事故から今日で一年に――』、見覚えのある近場の交差点が映し出されていたが、それが七年前にもあったことだったかは、ちょっと思い出せない。
軽快な音楽とともに次のコーナーが始まる。『さて、今日金曜日のラッキー占いは……』
今が七年前であることに加えて、これで判明したことがもうひとつ。木曜日の翌日は金曜日。
寝ていたのでハッキリとは言えないが、時間そのものは普通に流れていて、同じ日をループしたり逆行したりしているわけではなさそうだ。
こんなふうに、ひとつひとつ確かめていくしかない。今日の次に明日が来るなら、無駄になったりはしないだろう。
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