第六章:風とともに羽ばたいて/02
「なっ……ど、どうして此処に!?」
「どうしてもこうしても、お見舞いに来たんですが」
「お見舞いって……なあオイ、まさか窓から入ってきたのか……?」
「見て分かりませんか?」
「見て分からないかって……ちょっと待て、この部屋十二階だぞ!?」
「この程度の高さなら、わざわざ変身するまでもありませんから」
「……いつの間にそんなびっくり人間になったんだ、君は…………」
――――突然現れた予想外の見舞い客、風谷美雪。
そんな彼女の登場、しかも窓から現れたということは……十二階にあるこの病室まで、生身で飛んできたということだ。
とても人間業とは思えない方法で見舞いにやって来た美雪の、突然の登場。それに戒斗が困惑する傍ら、平気な顔の美雪はぴょんっと窓枠から飛び降りて病室の中へと入ってくる。
そうして入ってきた美雪は、ベッド脇に近づき……ついさっきまでアンジェが腰掛けていた丸椅子に座ると、じいっと覗き込んで戒斗の様子を窺う。
無言のまま戒斗の顔を至近距離から覗き込んで、数秒。独り小さく頷いた美雪は戒斗の傍から顔を遠ざけると、少しだけ安堵したような顔でこんなことを彼に言う。
「思っていたよりも元気そうで良かったです。戒斗さん、意外と頑丈なんですね」
戒斗はそれに「まあな」と頷き返す。
「……アンジェから話は聞いてるよ。ありがとう美雪、君に助けられたな」
「アンジェさんにも申し上げましたが、戒斗さんは私にとって紛れもない恩人ですから。借りを返す……ではありませんが、このぐらいは当然です」
ベッドから上体を起こしながらの戒斗が言うお礼の言葉に、美雪は無愛想な調子で返した後。その後で美雪は「あ、これお見舞いです」と言い、傍らに抱えていた紙袋の中から取り出した包みをスッと戒斗に差し出した。
「……ハンバーガー?」
「お昼ご飯を買うついでに、ちょっとした気持ちで」
「相変わらず、好きなんだな」
突然差し出されたハンバーガーの包みに戸惑いながらも、戒斗は素直にそれを受け取る。
「……戒斗さんとアンジェさんに助けてもらったあの夜、お二人にご馳走になった時。凄く美味しかったこと……忘れていませんよ?」
ボソリと呟く美雪に、戒斗は「そうか」と小さく肩を揺らし。そうすれば隣で自分もハンバーガーを食べ始めた美雪と一緒に、彼女のくれたハンバーガーを食べ始める。
そうして二人で食べていると、美雪はふとした折にこんな問いかけを戒斗に投げかけてきた。
「そういえば、戒斗さんが装着していたあのパワードスーツ……どうなったんですか?」
戒斗はそれに「壊れたよ」と答える。
「修復には何ヶ月もかかるそうだ。俺のせいで、不甲斐ない話だ……本当に」
彼の答えを聞き、美雪は「そうですか」と短く相槌を打ち、
「でしたら、いい機会です。戒斗さんはもうこれ以上、私たちの戦いに関わらない方がいいです」
「…………どうして、そう思う?」
「貴方たちと……そして、私たちが相対している相手。秘密結社ネオ・フロンティアは戒斗さんが想像しているよりも、ずっと強大な敵です。神姫でもない、ただの人間の貴方が関わるには……あまりにも、強大すぎる相手なんです」
「だから、関わるなと?」
訊き返す戒斗の言葉に「はい」と美雪は頷き返す。
「私も、貴方やアンジェさん……それにP.C.C.Sには色々と思うところがあります」
そう言った後、美雪は「ですが」と言って、
「……ですが、同時に戒斗さんは私にとっての恩人でもあるんです。勿論、アンジェさんも。出来ることなら……お二人にはもう、これ以上この戦いに関わってほしくない」
と、何処か痛切にも聞こえる語気で小さく呟いた。
「………………」
戒斗は、それに答えなかった。
そんな彼の反応を見て、美雪は――――彼の、戒斗の心が折れていることを見抜く。
(戒斗さん、やはり……)
最初に顔を見たときから、何となく察してはいたことだ。今日の彼は、以前に比べて雰囲気が暗いというか……言い方を変えれば、覇気がない。
表情も何処か虚ろで、横顔には常に深い影色が付きまとっている。そんな彼の様子を見て……美雪は最初から何となく察していたのだが、しかし今の言葉に彼が何も答えなかったことで、それは美雪の中で確信へと変わっていた。
だが、彼の心が折れていることを見抜きつつも……敢えて、美雪は何も言わなかった。
「ところで美雪、真の……あの黒い神姫の件だが」
そんな内心を見透かされているとも知らぬまま、戒斗は彼女にそんな問いかけを、まるで話を逸らすかのように投げかける。
「グラファイト・フラッシュのことですか」
美雪は小さく相槌を打った後「詳しいことは、まだ何も」と首を横に振って答える。
それに戒斗が「そうか……」と残念そうに肩を落とすと、続けて美雪はこんなことも言ってみせた。
「ただ……師匠が仰っていました。あの神姫は洗脳されていると」
「洗脳?」
美雪は「はい」と頷き肯定し、言葉を続けていく。
「人工神姫に関しては、少し前に私の師匠……伊隅飛鷹、クリムゾン・ラファールが掴んでいました。私もそれを阻止する為の調査に当たっていたのですが……間に合わなかった」
「人工、神姫……?」
「あの神姫は、改造手術を受け……今の彼女は、謂わば改造人間と呼べる存在です」
「改造だって?」
「はい。ヴァルキュリア因子……のことは、多分戒斗さんもご存じですよね。神姫が神姫たる何よりもの資格、その因子を遺伝子レベルで後天的に植え付けられたのが彼女、神姫グラファイト・フラッシュです」
「…………そんな、真が」
「身体の方に関しては……これはあくまで師匠の推論で、確たる証拠はありませんが。恐らくはサイボーグ化していて、もう手遅れです」
「っ……!!」
声にならない声を上げ、悔しげに歯噛みをする戒斗。
そんな彼に向かって美雪は「ですが」と言い、更なる言葉を紡ぎ出していく。
「――――心だけは、取り戻せるかもしれません」
と、ある種の希望を含ませた、そんな一言を。
「本当か!?」
そんな一言を聞き、戒斗は血相を変えて美雪に詰め寄る。
グワッと急に近づいてくる彼の顔を、美雪は無表情のままでスッと押し返しつつ。そうしながら「まだ確証はありません」と注釈じみた言葉を付け加える。
「あくまで師匠の推察でしかありませんが、彼女が右手に付けていたブレス……恐らく、アレが変身補助と洗脳の強化、及び洗脳継続処置の役割を担っている装置だと思われます」
「だったら、それを破壊すれば!」
気持ちばかりが
「何故だ!?」
「まだ確証が得られていませんから。……私だって、今すぐにでも彼女を解放してあげたい。しかし確証が得られるまでは、迂闊な行動は避けるようにと師匠が仰っていました。下手をすれば、彼女の
焦る戒斗を、あくまで冷静な口調で
そんな彼女の語気に、僅かながら自分と似たような思いを……翡翠真を、神姫グラファイト・フラッシュを解放してやりたいという美雪の気持ちを感じれば、戒斗の心はひとまず落ち着きを取り戻す。
だが、それでも納得は出来ない。何が真の心をああも捻じ曲げているのか、それが何なのか分かっているのなら…………。
「……それは、そうだが」
頭では分かっていても、心が認めようとしない。
故に、戒斗の口からはそんな呟きが……尚も引き下がるまいとする、そんな諦めの悪い一言が漏れていた。
「でも、真を助ける方法はそれしか」
尚も焦る気持ちを抑えきれない、真を助けたいという気持ちを抑えきれない戒斗に、美雪は「結論を急ぐ必要はありません」とあくまで冷静さを保ったまま、淡々とした口調で返す。
「少なくとも、まだ彼女は……グラファイト・フラッシュは、生きているのですから」
続くそんな美雪の言葉を聞き、戒斗は「…………そう、だな」と呟きながら……がっくりと
「すまない美雪、取り乱したりなんかして」
納得し、詫びる戒斗。
そんな彼に美雪は「ひとつ、訊いてもいいですか?」と問いを投げかける。
「なんだ?」
「彼女……グラファイト・フラッシュと戒斗さんは、お知り合いなんですか?」
美雪の問いに、戒斗は少しの間を置いた後で「……ああ」と頷き返す。
「真……翡翠真と俺は、中学時代からの付き合いで……言ってしまえば腐れ縁って奴だ。他には悪友って言い方もあるかもな。俺にとってアイツは……なんて言うのかな、やっぱり親友って喩え方が一番しっくりくるような、そんな関係だったんだ」
「…………そうですか」
ポツリポツリと呟く戒斗に、美雪は短く呟いた後、
「でしたら、気にしないでください。戒斗さんのお気持ちもわかりますから。私には、それこそ痛いほどに…………」
と、遠い目をしながら……窓の外を眺めながら、小さくそう呟いていた。
そんな彼女の横顔を、ベッドの上から見つめつつ。戒斗は彼女のことを……風谷美雪が、家族を喪っていたことを思い出していた。
――――私には、それこそ痛いほどに。
美雪が漏らしたその言葉の真意は、敢えて語るまでもないだろう。
彼女に、この喪失感と無力感が分からないはずがないのだ。目の前で家族全員を失った彼女は、それこそ痛みを伴うほどに理解している…………。
それを分かっているからこそ、戒斗は遠い目をして窓の外を見つめる彼女に対し、どんな言葉を返して良いか分からないまま。ただ、沈黙という答えだけを美雪に返していた。
「……ん」
――――――沈黙。
二人の間から会話が消え去ってすぐ、そうした時に二人分の足音が……この病室に近づいてくる、二人分の足音が聞こえてきた。
聡く気配を察知した美雪に続き、足音に気付いた戒斗も耳を澄ませてみる。
近づいてくる足音とともに、微かに聞こえてくる声は……アンジェと遥のものだ。
どうやら二人とも、売店から戻ってきたらしい。二人の楽しそうな話し声が、ささやかな足音とともにこの病室へと近づいてきていた。
「……私はお邪魔でしょうし、この辺りで失礼します。元気そうで一安心しました。お大事に、戒斗さん」
「あっ、おい!?」
美雪はそんな二人の気配を察知すると、最後に戒斗に向かって、ほんの僅かな微笑みとともにそう言うと……また病室の窓枠に足を掛け。すると彼女は、ひょいっとそこから飛び降りて……姿を消してしまった。
「あれ? カイト、もしかして誰か来てたの?」
そうして美雪が窓から病室を出ていってすぐ、ガラリと引き戸を開けて戻ってきたアンジェが……美雪の残り香、とでもいうのだろうか。彼女の残した僅かな気配の残滓を感じ取ると、きょとんとして戒斗にそう問うてくる。
戒斗はそんなアンジェに「ああ」と苦笑い気味に頷き返せば、
「たった今まで、美雪が此処に居たんだ」
と、何とも言えない表情で答えた。
「でも、私たちとはすれ違いませんでしたよ?」
戒斗が答えると、アンジェと一緒に戻ってきた遥がきょとんとした顔で首を傾げる。
それに戒斗は「そりゃそうだよ」と、やはり苦笑いを浮かべつつ……美雪がどんな風にやって来て、そしてどんな風に帰っていったか。その奇妙奇天烈にも程がある方法を、二人に短くこう説明する。
「なんてったって美雪の奴、窓から入って窓から出ていったからな」
「……何というか、美雪さんらしいですね」
「驚かない遥も大概だけどな……」
「あははは……まあ、美雪ちゃんも神姫だもんね」
遥と一緒に何とも言えない顔を浮かべつつ、苦笑いを交えながらアンジェはそう言った後。チラリと窓の外を横目に見つめつつ……遠い目をして、こんなことを呟いていた。風のように現れ、そして去って行った彼女のことを思いながら……何処か、嬉しそうな顔で。
「でも……そっか、美雪ちゃん来てくれたんだ…………カイトのお見舞いに」
そんなアンジェと、そして遥を見つめつつ。戒斗は半分まで食べたハンバーガーの包みを片手に、ふとアンジェと同じように窓の外を見やる。
「……来るときも一瞬、帰るときも一瞬。本当に風みたいな女の子だな、君は…………」
風谷美雪の去って行った病室の中、開いた窓から柔な風の吹き込む病室の中……戒斗は微かに表情を綻ばせながら、そう呟いていた。
(第六章『風とともに羽ばたいて』了)
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