第七章:インターミッション/02

 同じ頃、純喫茶『ノワール・エンフォーサー』では。

 そこで遥はいつものように喫茶店を手伝いながら、カウンターの奥に立ちながら。彼女は手を止めないままに、独り考え事をしていた。

 遥が考えることは、ただひとつだけだ。昨日の夜、風谷美雪が言っていたこと。彼女が自分のことを、何故か来栖美弥と呼んだこと。彼女の師匠だという人物……伊隅飛鷹が、自分のことを認めていたということ。

(伊隅、飛鷹……)

 ――――伊隅飛鷹。

 この名前には、遥も不思議と聞き覚えがある気がしていた。

 耳にすると自然と胸が温かくなる名前というか、同時に妙に切なくなる名前でもあり……そんな複雑な気持ちを遥に抱かせる、不思議な名前だった。

(そして、来栖美弥……)

 ――――来栖美弥。

 この名前、美雪のあの口振りから察するに……自分のことを言っているのだろう、ということは遥にも分かっている。

 だとすれば、これが自分の本当の名前なのか。来栖美弥というのが……記憶を失ってしまう前、空っぽになる前の自分が抱いていた、真なる名前なのか。

(でも、どうして美雪さんが知っていた?)

 ならば何故、風谷美雪がこの名を知っていたのか。

 答えは簡単だ。彼女の言う『師匠』――――伊隅飛鷹が、昔の自分のことを。間宮遥になる前の、記憶を失う前の自分を知っているからだ。

 恐らく、飛鷹という人物と自分とは知り合いだったのだろう。それも、ただの知り合いってだけじゃないのは確実だ。美雪は自分のことを、師匠の……伊隅飛鷹の戦友だと確かに言っていた。

(でも……私には、分からない)

 ――――分からない。

 どれだけ考えても、分かりやしないのだ。

 未だ過去の記憶にはもや・・が掛かったままだし、来栖美弥という名前や、伊隅飛鷹が何者かについて考えると……その度に、遥は酷い頭痛を覚えてしまう。

 本当に、ひどく痛んで仕方ない。まるで思い出すべきではないと、自分の奥に眠る何かが強く訴えかけてきているかのように……遥はこのことを深く考えようとする度に、異様なまでの痛みを覚えてしまうのだ。

 だからこそ、遥は未だ何も分からぬままだった。未だ記憶を取り戻せぬまま……間宮遥は、今も此処に居る。

(…………例え記憶が戻らなくても、それでも私のすべきことに変わりはない)

 そう、記憶が無くたってやることには変わりないのだ。

 記憶とは所詮、過去の話でしかない。今の自分が一番目を向けるべきなのは、今この時だけ。もう誰の涙も見たくない、皆に笑顔でいて欲しい。大好きなヒトたちの素敵な笑顔を守るために戦う――――それだけが、今を生きる自分に出来る、ただひとつのことなのだから。

 故に、遥は敢えて昨日のことについては考えないと今、決心した。

 いつか、然るべき時が来れば……過去の記憶は自然に思い出せるのだと、そう自分に言い聞かせるようにして。





(第七章『インターミッション』了)

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