第三章:郷愁は紅蓮の彼方に/06
――――キャロル・マックスウェル。
セラの妹だ。またの名を神姫カナリア・ドラグーン。セラにとって歳の離れた妹だった彼女は、姉と同じくヴァルキュリア因子をその身に宿した……神姫の力をその身に宿した少女だった。
セミショート丈に切り揃えた髪の色は、セラと同じ焔のように真っ赤な赤色で。ぱっちりとした瞳の色も姉とそっくりな金色。背丈は一六二センチと、セラよりもずっと低く……性格も凄く控えめ。お淑やかで、物腰柔らか。キャロルはそんな、とても優しい女の子だった。
セラとキャロル、二人の姉妹仲はとても良かった。セラは妹のキャロルを溺愛し、キャロルもまた頼れる姉によく懐いていて。二人とも……それはそれは、仲の良い姉妹だったという。
そんな二人はやがて神姫の力に目覚めると、当時結成されたばかりだった特務機関P.C.C.Sにスカウトされる。嘗ては英国貴族シャーロット・オルブライト、神姫コバルト・フォーチュン……セラにとって掛け替えのない戦友である少女とともに、セラとキャロルは数少ない神姫として日々バンディットと戦っていた。
神姫として戦う日々は相応に過酷ではあったものの、何だかんだと楽しかった。司令官の石神や、ニヒルな皮肉屋の有紀。気品に満ち溢れながらも、誰よりも優しく気高い心の持ち主だったシャーロット。そして何よりも……セラの傍にはキャロルが居た。
だからこそ、三人でP.C.C.Sの神姫として戦っていた日々は、セラの中で今でも楽しかった思い出として色濃く残っている。
時にはシャーロットと喧嘩したり、石神の方針と真っ正面からぶつかったり、バンディットと戦う中で予想外のピンチに見舞われたりと……色んなことがあったけれど、でも全てがセラにとって、とても楽しく……そして、何処までも尊い記憶になっていた。
――――だが、そんな楽しい日々に突然、終わりの
数年前のことだ。確かその日も、こんな風に空がダークブルーに染まる、日没の頃合いだった。
その日もいつものようにセラとキャロル、そしてシャーロットの三人体制でバンディットの迎撃に打って出ていた。
強敵だった。しかし三人は苦戦しながらもそのバンディットを倒し、今日も無事に敵を撃破できた……と、そう安堵していた時のことだ。
「よし、これで一丁上がりね」
「今日の敵は普段より幾分か手応えがありましたわね。セラ、貴女が引き付けてくれていたお陰で、上手く斬り込めましたわ」
「アンタが居てくれて助かったわ、シャーロット。あんなにすばしっこい相手、正直アタシとキャロルだけじゃあ厳しかったかも」
「貴女とのコンビネーション、特訓しておいて正解でしたわね」
「そうね。アタシがガーディアンフォームで防いで、その隙に横からシャーロットが懐に飛び込んで一気に仕留める……司令のアイディアだったかしら。実際こうしてやってみると、中々良い感じにハマるじゃない」
「ふふっ、そうですわね。これからも期待していますことよ、セラ」
「アタシもシャーロットのこと、頼りにさせてもらうから。そのつもりでいてよね?」
「当然ですわ。ノブレス・オブリージュ……今まで通り、斬り込み役はわたくしに任せて頂きますわよ」
「はいはい、分かってるわよ……」
撃破した直後、セラとシャーロットの二人は変身を解除し、そんな言葉を交わし合っていた。
シャーロットは凛とした佇まいで立ち、その目の前でセラはうーんと伸びをしていて。キャロルはそんな二人を、同じく変身を解除しながら、少し離れたところから見つめていた。二人とも、いつも通りだな……と、薄く微笑みながらキャロルは見守っていた。
「あれ……?」
そんな風に、二人を遠巻きに見つめていた時だ。
キャロルは何か、奇妙な違和感を感じていた。何かが足りていないような、まだ一欠片が足りないような……そんな、違和感を。
「…………!!」
違和感を感じた方に、キャロルが何となく振り向いてみると。すると、キャロルはすぐにその違和感の理由を理解した。
――――バンディットが、まだ生きている。
燃え盛る爆炎の中から、傷だらけのバンディットが這いつくばって出てきていたのだ。
シャーロットの一撃で既に死に
そうして這って出てきたバンディットは、息がある内に一矢報いようと右腕を伸ばし……その狙いを、セラへと定めていたのだ。
(お姉ちゃんが、危ない……!!)
セラは未だに気付いた様子がない。シャーロットもだ。二人とも戦いはもう終わったと思っている。
今から叫んだところで、間に合わないだろう。セラが気付いて反撃するよりも早く、姉は
「お姉ちゃんっ!!」
そう思った瞬間、キャロルの身体は勝手に動いていた。
バッと地を蹴って飛び出すと、セラとバンディットの射線上に割って入るように飛び込んでいく。
「か、は――――――」
そうして飛び出した瞬間、キャロルは胸に鋭い激痛を覚えていた。
バンディットの射出した太い針が、胸に突き刺さったのだ。音速を超えた速度で射出された針は、銃弾のようにキャロルの胸に達すると……貫通することはなかったものの、しかし彼女の身体を深く射貫いてしまう。
「キャロル…………!?」
バタンと地面に墜落するキャロル。そんな彼女を、セラは何が起こったか分からないといった風に呆然とした顔で見つめる。
「お姉ちゃんは、やらせない…………!!」
胸が痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
今にも泣き出しそうで、今にも吐き出しそうで。今にも意識が途切れそうな中、それでもキャロルは起き上がった。
「重装転身、ドラグーン……!!」
アスファルトの地面に倒れた格好から立ち上がりながら、両手の甲にドラグーン・ガントレットを出現させ……神姫カナリア・ドラグーンに変身。震える手で虚空から自分の武器を……神姫カナリア・ドラグーンの武具、大型クロスボウ型の『ドラグーン・ボウ』を召喚。その銃把を右手で掴み取ると、キャロルは霞む瞳で無理矢理に狙いを定める。
「お姉ちゃんは……私が守るんだぁぁぁ――――っ!!」
すると、キャロルは右手を通してドラグーン・ボウに最大級の力を込め……強烈な雷撃を纏わせた一撃を、死にかけのバンディットへと撃ち放った。
――――『ドラグーン・ショット』。
神姫カナリア・ドラグーン、彼女が有する唯一無二の必殺技だ。
キャロル・マックスウェルの
だが――――それと引き換えに、キャロルの
「キャロルっ!!」
ドラグーン・ショットを撃ち放った後、バンディットを今度こそ撃破した後。ドラグーン・ボウを取り落としながら再び倒れるキャロルの身体を、セラが真っ青な顔をして抱き留める。
「っ……!?」
抱き留めた彼女の身体、真っ白い肌から伝わってくる体温は……あまりにも冷たくて。唇の端から血の雫を滴らせるキャロルを、胸に空いた大穴からおびただしい量の血液を垂れ流す妹を……そして、妹の流した血で真っ赤に染まった自分の手のひらを目の当たりにして、セラは青白い顔で眼を見開く。
「そんな、キャロル……アタシを庇って、そんな……っ!!」
「いけません……すぐに司令に連絡を! 急げば、急げばまだ間に合うかも知れません……!!」
涙を溜めた金色の瞳で、腕の中に横たわる妹を見つめるセラと、同じく真っ青な顔でそう言うシャーロット。
だが、二人とも分かっていた。どう見たって、キャロルは既に手遅れなことを。どう足掻いたところで……死の運命からは、逃れられないことを。
それでも、認めたくなかった。それでも、足掻きたかった。
故にシャーロットは自分のスマートフォンを取り出すと、今まで見たこともないような剣幕で……普段のお淑やかな彼女からは想像も出来ないぐらいに荒げた声で怒鳴りつけていて。そしてセラは、大粒の涙を流しながら……ただ、妹の身体を抱き締めていた。
キャロルの身体は、加速度的に冷たくなっていく。まるで
「お姉ちゃん、無事で……良かった…………」
姉の腕に抱き締められながら、キャロルはそっとセラの頬に手を伸ばす。冷たくなった手で、震える手で……そっと、大粒の涙を滴らせるセラの頬に触れてみる。
「なんで、なんでよ……!! キャロル、ずっと一緒にって……約束、したじゃない…………!!」
「守りたかった、から。お姉ちゃんを、大好きなお姉ちゃんを……守りたかったから」
「ごめん、ごめんねキャロル……! アタシが、アタシが油断してたから……だから、だからっ……!!」
「気に、しないで。私は、私がしたいと思って、こうしたから。だから……大丈夫だよ」
「キャロル……っ!!」
「生きてね、お姉ちゃん。これからも、ずっと……私も、一緒だから」
「行かないで、行かないでよキャロル……っ!! アタシは、アタシはまだ、キャロルに何もしてあげられてない……!! お姉ちゃんらしいことなんて、何も…………っ!!」
泣きながら言うセラに、キャロルはううん、と小さく首を横に振る。
「お姉ちゃんは、ずっと私のお姉ちゃんだったよ? 私の大好きな、たった一人の……お姉ちゃんだった」
「ごめん、ごめんね……!!」
「私が居なくなっても、お姉ちゃんは大丈夫だから。お姉ちゃんは、お姉ちゃんの胸にある光を信じて。私の光を、お姉ちゃんが継いで」
「っ……!!」
「大丈夫だよ、ずっと一緒だから……」
そう呟きながら、キャロルの視界は段々と霞んでいき……やがて、姉の顔も見えなくなってしまった。
でも、見えなくても分かる。今こうして自分を抱き締めてくれている姉が、悲しそうな顔で涙を流し続けていることは。
大好きな姉にそんな顔をさせてしまっていることが、キャロルはほんの少しだけ申し訳なかった。
それでも、姉を守ることが出来た。引っ込み思案で、いつも姉の後ろに隠れてばっかりだった自分が……こうして、大好きな姉を守ることが出来た。
それだけで、キャロルは満足だった。
此処で自分が消えていくのは、もう分かっている。もう暫くもしない内に、自分が死に往く運命にあることは……キャロル自身、分かっていた。
だが、想いは消えない。キャロルが胸に抱いていた光は、姉が……セラが受け継いでくれる。
だから、自分と姉とはずっと一緒なんだ。ずっとずっと、一緒に居られる。
この先、セラがどんな日々を歩んでいくのか……それは、ちょっと心配だけれど。でも大丈夫だとキャロルは信じていた。だってセラフィナ・マックスウェルはキャロルにとって自慢の姉で、そして誰よりも大好きな……世界でたった一人の、最高の姉なのだから。
「お姉ちゃん……」
「なに、キャロル……?」
「私……お姉ちゃんの妹で、本当に良かった――――」
呟いたキャロルの身体から、力が抜けていく。
セラの頬に触れていた小さな手のひらが、指先が……ぱたん、と落ちていった。
「…………キャロル?」
呼び掛けてみても、キャロルが答えることはもう、ない。
冷たくなった小さな身体は、ほんの少しだけ軽くなっていた。キャロル・マックスウェルの魂が消えていった身体は、抜け殻のように眠る身体は……ほんの二一グラムだけ、軽くなっていた。
「そんな……嫌よ、置いてかないでよ…………!!」
もう、最愛の妹が答えてくれることはない。
笑いかけてくれることも、彼女の好物だったパンケーキを一緒に焼くことも。不安だと言ってベッドに入ってきた彼女を、仕方ないなといって抱き締めてやることも。小さな手で触れてくれることも、太陽のように眩しい笑顔を見せてくれることも――――もう、二度とない。
「キャロル……キャロルっ、キャロルっ…………!!」
それを理解してしまったからこそ、セラは金色の瞳からこぼれ落ちる涙を止められなかった。
「嫌だ、嫌だよ……キャロル、キャロル……うわあああああ――――――っ!!」
大粒の涙をこぼしながら、冷たくなった妹の身体を抱き締めながら。セラの叫ぶ絶望の雄叫びが、日没の空に木霊する。
ダークブルーの空に響き渡るその叫び声は、いつまでも消えることなく。まるでセラの深い悲しみを訴えかけるように、延々と響き続けていた。
―――――この日を境に、セラフィナ・マックスウェルは復讐に燃えることになる。
妹を亡くし、心に深い傷を負った彼女は……妹の
それと同時に、いつしか彼女はこんなことも思うようになっていた。もう自分とシャーロット以外、自分たち以外の神姫は必要無いと。
理由は、ただひとつ。もう二度と、誰にもこんな悲しみを味合わせたくないから。あんなに悲しい出来事を、もう二度と繰り返したくないから。
そんな思いを胸に―――――セラは、今日という日まで生きてきたのだ。
でも、正直言って辛かった。こんな風に過ごす日々は……もう、限界だったのだ。
だからこそ、ウィスタリア・セイレーンに……遥に厳しい言葉を言われたとき、どうして良いか分からなくなった。
そして、お互いに神姫であると知らぬまま、遥に相談し……そして、セラは彼女から答えを得たのだ。意固地になる必要はないと、ただ否定するだけじゃなく……もっと周りの声に耳を傾けて、そして理解しなきゃいけないと。
だって、自分はキャロルの姉なのだから。ずっとずっと、キャロルにとっての自慢の姉で居たいから…………。
だから、意地を張るのはもうやめにしようと思った。そして生きていこうと思った。自分の信じた、自分だけの道を。キャロルの死を背負ったまま、それでも生きていこうと思ったのだ。大好きだった妹から託された、そんな胸の光を信じて――――。
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