第四章:崩壊の序曲は前触れもなく/03

「――――」

 遥たち三人から少しだけ離れた場所、同じ商店街のアーケードの上。行き交う人々は誰も気が付いていなかったが、しかしそこには確かにあったのだ。眼下の群衆をじっと見下ろしている、不気味な異形の姿が。

 それは四肢を有する人型であったが、しかし明らかに人間ではない。土色の体色、背中から生える蜘蛛の足めいた八本の突起物と……そして、やはり蜘蛛のような見てくれをした、複眼と大きな顎を有する顔面。そんな見た目から察せられる通り、その異形は人間に分類されるものではなく。バンディットという名の怪物……いいや、怪人だった。

 ――――スパイダー・バンディット。

 国連が秘密裏に組織したある特務機関にて、そう呼称されている怪人。それが今、アーケードの上から商店街を行き交う人々をじっと見下ろしていたのだ。

「シュルルル…………」

 眼下で行き交う群衆を見下ろしながら、言葉になっていない不気味な唸り声を上げ。異形の顔で不敵に笑むと、スパイダーは唐突にアーケードの上から飛び降りた。

 ダンッ、っと派手な音を立ててスパイダーが商店街のド真ん中に着地する。

「な、なんだあれ……?」

「ねえ、ちょっと……もしかして、最近ニュースでやってる」

「嫌、殺される……!!」

「逃げろ、逃げろ! 早く逃げるんだよぉっ!!」

 スパイダーが飛び降りた直後こそ、人々は何の前触れも無く目の前に現れた異形に対し……困惑し、混乱し、そして思考を硬直させていたが。しかし誰かが発した叫び声を皮切りに、居合わせた皆は一斉に恐怖の悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすような勢いで我先にと逃げ出していく。

 だが――――こんな人智を越えた化け物を前にして、常人の足で逃げ切れるはずもなかった。

「フシュルルル……」

 不気味に唸りながら、スパイダーは地面に片膝を突く着地姿勢からゆっくりと立ち上がると。するとぐちゅりと気味の悪い音を立てて両手に巨大な鉤爪を生やして、逃げ惑う人々をそれで引っ掻き始めたではないか。

 ダンッと音が立つぐらいの踏み込みで地を蹴ったスパイダーに飛びかかられた、ビジネススーツを着たある四〇代の男が背中を鉤爪で引っ掻かれ、そのまま断末魔の雄叫びとともに倒れ伏す。

 すると、スパイダーは続けざまに第二第三の標的へと飛びかかり。ある主婦は真正面から鉤爪を腹に突き刺されて息絶え、そして七〇代ぐらいの老人は鉤爪で側頭部を殴られ、そのまま頭部を消し飛ばされてしまう。

「シュルルル……」

 だが、そんな暴虐の限りを尽くしても、まだスパイダーの勢いは止まらない。

 今度は後ろに振り返ると、巨大な顎を有した口から白い蜘蛛の糸を吐き出して、背を向けて逃げていた大学生の青年をその糸で縛り上げてしまう。

「わっ、なんだこれ!? 離せ、離せよ! 離せったら!!」

 腕ごと胴体をぐるりと糸に巻かれ、簀巻すまき拘束されたその青年は……逃げだそうと必死にもがくが。しかし異形の怪人が吐いた蜘蛛の糸を、ただの人間でしかない彼が引きちぎることなど出来るワケもなく。青年はそのまま引っ張られ、ジリジリとスパイダーの元へと引き寄せられていってしまう。

「やめ、やめろ! やめて、やめてくれ!!」

「シューッ……」

「やめろ――ああっ!?」

 引き寄せられた青年は、真正面からスパイダーの異形の顔を直視し……泣きながら命乞いの言葉を繰り返すが。しかしスパイダーは一切の慈悲も見せず、その大きな顎で青年の喉元へと食らい付いた。

「ア――――」

 首に齧り付かれたが最後、後はそのまま捕食されるだけだ。

 意識が消える直前、青年が最後に見たのは自分の肉を喰らう異形の顔。そして最期に思ったことは――――。

(どうして、俺がこんな)

 ――――突然降りかかってきた圧倒的な理不尽に対する、そんな疑念だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る