ユズのせい


 ~ 十二月三十一日(火) ~

   ユズの花言葉 幸福



「なんとか……、終わりましたね……」

「今年のほっちゃんは、手ごわかったわよね……」

「初日の土、昨日の水と続いて、今日は火を操ってくるとは……」


 四属性の内、三つの魔法を使いこなすなんて。

 あとは風を操ることが出来れば。


 ……おけ屋がぼろもうけなのです。


「三が日過ぎたら、焦げ付いた壁と床を見てもらわないと……」


 大晦日の午後と言えば。

 年越しそばとおせちとお雑煮の準備に取り掛かるのが。


 世のお母さんの常というものなのでしょうけれど。


 さすがに連日働きづめで。

 料理については全部穂咲に丸投げして。


 まだ午後の三時前だというのに。

 こたつに突っ伏してしまったおばさんなのです。


「お疲れさまでした。ユズ茶でもどうぞ」

「ありがと。…………最初からこうしておけばよかったわね」

「ええ。穂咲に年末年始の料理を全部押しつけて、掃除に手を出させなければよかったのです」


 もっとも、そうした場合。

 台所の掃除が出来ませんけど。


 そちらは時期をずらして。

 掃除すれば済む話ですし。


 何もないところに火を熾した魔法使いを外へ追いやるため。

 おばさんがお財布から取り出した一万円札。


 俺は、今頃嬉々としてスーパーで買い物しているであろう穂咲が。

 せっかくきれいになった台所を。

 すぐに滅茶苦茶にしてしまうであろうことを考えて。


 一人ため息をつきながら。

 布巾を二枚、洗濯機から直接持ってきました。


「道久君は座らないの?」

「シンクの下の棚、掃除し忘れてるの思い出しました」

「いいわよそんなの、来年で」

「穂咲がおせち作るのに必要そうな道具も出しておけますし。一石二鳥なのです」


 俺がキッチンへ入ると。

 居間からくすくすと笑い声が聞こえてきて。


 その後。

 子守歌のような歌が。


 ぽつぽつと、とぎれとぎれに。

 俺の耳に届くのですが。


「それ、どなたの歌でしたっけ? 聞いたことが有るような気がします」

「おばさんの歌よ?」

「いえ、トンチクイズじゃなく」


 調味料の入った棚を引っ張り出して。

 キッチンのテーブルに置きながらおばさんの方を向くと。


 この人、答えも教えてくれずに。

 俺をこたつから見上げてくすくすと笑っているのです。


「…………先ほどから、なんです?」

「道久君、おじさんみたいよ?」

「え? ……どこが?」

「おじさんも年越しギリギリまで、あそこの掃除忘れてたーって言いながらどたどた走り回ってた」

「おばさんはそれを見て、来年でいいじゃないと笑っていたのですか?」

「ううん?」


 まあ、そりゃそうか。

 旦那さんが掃除しているのですから。

 お手伝い位しますよね。


「おばさんはそれを見て、来年でいいじゃないって怒ってたの」

「そっち!?」

「だって、大みそかくらいのんびり過ごしたかったわよ」


 そうか。

 俺がおじさんみたいだという言葉の裏には。


 自分の視線も、当時と同じ。

 こたつに座って、そうして見ていたという意味も含まれているのですね?


「……でも、怒ったら可哀そうなのです」

「そうよね、一生懸命にしているのを。……酷いことしちゃった」


 そう呟いたおばさんが。

 また、ほんの一節。

 何かの歌を口ずさんでいるのですけれど。


 棚の下へ頭を突っ込みながら。

 よくよく耳をすましてみれば。


「ラブソングのようですね」

「そうよ。幸せの歌」

「で? なんて歌手の歌でしたっけ?」

「だから、おばさんの歌だってば」


 意地悪なのです。


「しかし穂咲のやつ、随分かかってますけど。料理する時間あるのでしょうかね」

「確かに。……あんまり大金渡したから、調子に乗って買い過ぎて動けなくなってたりして」


 さもありなん。


 …………ん?


「ああ! そういう意味か!」

「どうしたのよ慌てて」

「三十分も前に、救援要請メッセージが届いていたのです!」

「それを今まで忘れてたの?」

「これが助けてくれって意味だってことに今気づいたのです!」


 俺が、おばさんに見せた携帯画面。

 それを見て、お腹を抱えて笑っていますけど。


 穂咲の言葉は。

 和訳するの、ほんとに大変なのです。



< あたしは大きくなったら、月に住むの。



 教師でも走るのですから。

 生徒だって走ります。


 俺は、せわしなく歩く皆さんと、年の瀬の挨拶もそこそこに。


 大慌てでスーパーへと向かったのでした。



 ……

 …………

 ………………



「ふいー! なんとか年内に終わったの!」

「順番が」

「え?」

「お腹、ペコペコなのです」


 戻ってきてからおおよそ七時間。

 滅多に買えない食材を。

 大喜びで調理したこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 作りに作った。

 雑煮用のつゆとおせち料理。


 そして最後に作った品が。

 年越しそばなんて。


「これ。夕飯時に出して欲しかったのです」

「お腹が減ってちょうどいいの。五杯もあるから」

「……そうですね。三杯余分に平らげる必要ありそうですからね」


 年越しまで、あと三十分。

 そんなタイミングでようやくおそばが完成したのですけど。


 居間でいびきをかいている三人は。

 晩御飯代わりの年越しそばを待っている間に。


 つまみとビールで既にお腹いっぱいのようですし。


「状況を見て作りなさいな」

「ちゃんと見通してるの」


 そうは言いますが。

 目の前に四杯のおそばを並べられたら。

 腹が立つのです。


「見通してたら、二杯だけ作ればよかったでしょうに」

「バカを言っちゃいけないの。見通してたから五杯作ったの」

「え? どういう意味さ」


 いぶかしむ。

 そんな表情をしていたであろう俺の顔が。


 こいつの返事で。

 さらにしかめっ面。


「年越しそば大食い大会を年またぎで見たかったの」

「…………何かがおかしい」

「おかしかないの。この手のバラエティーは、年またぎが普通なの」

「おれをエンターテイナー扱しなさんな。そおもそも年越しそばは、年を越す前に食べ終わらないといけないのです」


 地方や家によって。

 ルールは違うと思うのですが。


 俺の中では。

 年内の厄を切るのがそばなので。

 持ち越したらダメだと思うのです。


「そこも見通してたの」

「え?」


 戸惑う俺の目の前に。

 十一時半と表示された腕時計を、ことりと置いた穂咲さん。


「レディー、ゴーなの」


 ……ああ、そうですか。

 大食いに。

 早食いの要素も追加すると。


 確かに盛り上がりますよねってバカもん。


 俺は、頭を抱えながらも。

 そばに手を伸ばしたその時。



 ゴーン…………



「おお。除夜の鐘が聞こえてきたのです」

「さっきから聞こえてるの」

「君は耳、いいですね」

「うん。数も勘定してたの」

「へえ。今ので何回目なのです?」

「百八回目」


 …………は?


「百八回目なの。さあ、早く食べるの、年越しそば」


 残念ながら。

 これは、年越しちまったそばになりました。


 除夜の鐘は。

 最後の一回だけ。


 年を越してから突くのですよ、お嬢さん。


「ねえ道久君。除夜の鐘って、何回突くんだっけ? 年越しまで鳴ってるの?」

「……今年だけ、十一時半になったらおしまいらしいのです」

「えー? なんだか残念なの」


 そうですね。

 でも、本当のことを言ったらもっと残念がるでしょう。


 だから、今年の俺と穂咲は。

 時計の時刻に合わせて。


 みんなより、三十分遅れで。

 のんびりと年を越したのでした。





 …………皆様、良いお年をお迎えくださいませ(作者)。





「変なこと言ってるの。もう、年越したの」

「ああ、それなら大丈夫」



 俺は、作者の困り顔を何とかしてあげるために。

 腕時計の針を、もう三十分戻しておきました。



「なんだかお得なの」

「ええ。まだまだ大晦日を楽しみましょう」


 じゃないと。

 おそばを年内に食べきれませんからね。

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