大きな犬を拾いました

 私……二十七歳の会社員である花枝はなえかすみは最近、大きな犬を拾った。


 その犬は、私が仕事から帰って来ると必ず尻尾を振って近寄って来る人懐っこい犬だ。ただ……その犬が普通とは違うのは…………


「せーんぱーい!お帰りなさーい!」

 ガチャッと玄関を開けた私の元に駆け寄って来たのは……桜井さくらい湊斗みなと。二十三歳。人間な所だ。



「……ただいま」

「うん!お疲れ様でしたー!」

 満面の笑みを浮かべた湊斗にギュッと正面から抱き締められた。

 その頭には垂れる犬耳と、背後にはふさふさと大きく揺れる尻尾が見えそうである。

 お互いの身長差のせいで、私の顔は湊斗の胸の辺りに押し付けられる形になっている。その首元からふんわりと香る石けんの良い匂いと、心地良い温もりは本日の業務でささくれ立った私の心を穏やかなものへと変えてくれる……。


「ご飯できてるよー? 食べる? それとも先にお風呂入る?」

「んー、先にお風呂に入りたいかな」

「了解!ちゃんとバスタブにお湯張ってあるから、ゆっくり温まってね?」

 ポンポンと私の頭を軽く叩き、ニッと笑った湊斗がキッチンの方に向かって先に歩いて行く。

 ……離れてしまった温もりがつい寂しいと思ってしまった私は、その気恥ずかしさにギュッと唇を噛み締めた。




 ……私が湊斗に出会ったのは、半月前の雨の日の夜のこと。

 仕事帰りに、道路脇の街灯の下で傘も差さずにボーッと立っている湊斗を見つけた。


「あの子は……」


 泣きそうな……辛そうな……諦めた様な表情を浮かべている湊斗がどうしても気になった私は、いつもなら絶対に話し掛けたりしないのに……気付けば声を掛けていた。


「あ、あの……」

「……何? ナンパ?」

 ジロリと冷たい目で睨まれた。

 心臓がギュッと掴まれた様な感覚がしたが、私は勇気を振り絞って話し続けた。


「雨の中で傘も差さずに……どうしたのかな……って、気になったの」

 傘の柄を持つ私の手が小刻みに震えているが、決して寒さからではない。

 湊斗からの刺すような視線を受けている私の身体が逃げたがっているからだ。


「ええと……私の記憶が間違っていなかったら……桜井君だよね?」

 上目遣いにおずおずと言うと……細く冷たい色をしていた瞳の中に戸惑いの色が混じった。


 だが、それも一瞬の事で……

「あなたは……花枝はなえ先輩ですか……!」

 すぐにその瞳は大きく見開かれた。


「うん。久し振りだね」

 呆然とした視線を向けて来る湊斗に、私は微笑みを返した。


 ……やっぱり桜井君だった。

 湊斗が自分を覚えてくれていたことに心の底から安堵した。


 あんな風に冷たい瞳をした湊斗なんて見たことがなかったから、少し怖かった。

 身長も伸びて……骨格も体格も昔とは全然違っているのに、昔の面影がちゃんと残っていた。


「風邪……引くよ?」

 昔は私よりも背の低かった湊斗は、今ではヒールを履いている私よりも頭一つ以上の差があったので、私は背伸びをしながら湊斗を自分の傘の中に入れた。


 湊斗とは小中高一貫学校で一緒だった後輩だ。

 ……と、言っても、四歳離れている湊斗との接点は、同じ図書委員会での仕事だけだった。初めて会ったのは私が中学二年で、湊斗はまだ小学五年生の頃。


 この学校は図書室だけが小中高生が一緒に使える共通の場であった。

 縦割り委員。学年が上の先輩が年下の後輩に委員会の業務を教えるのだが……明るくて人懐っこい湊斗は、上級生達からとても可愛がられていた記憶がある。


 本が好きな湊斗とはずっと図書委員会で同じだった。

 他人と話すのが苦手な私に、何故か懐いてくれていた可愛い後輩。

 湊斗とは、私が高校を卒業して以来の出会いである。


 それなのに、何という偶然か……はたまた運命の悪戯か……。


「このままだと風邪を引くし……取り敢えず……私の部屋に来る?」

 これまた気付いた時には……ずぶ濡れ状態の湊斗を自分の部屋に招く流れになっていた。



 その時の……瞳を真ん丸にして驚いている湊斗の顔は今も覚えている。


 我ながら……大胆な事をしたと思っている……。

 年下だが、異性を部屋に招くとは……。

 あの時を思い出すと穴を掘って入りたくなるほどに恥ずかしいのだが……

 傷付いてる様子の湊斗をあのまま『じゃあね』とは置いていけなかったのだ。


「せーんーぱーい?」

「わっ!」

 突然、目の前に現れた湊斗の顔面アップに、私は驚きながら身体を引かせた。


 お風呂から上がった私は、美味しそうなご飯の並ぶ食卓を目の前にボーッとしていたらしい。


 あの日から湊斗は私の部屋に居ついている。

 最初は戸惑ったが……何だかんだで受け入れてしまった。

 私は相当疲れていて、人恋しくなっていたのだと思う。


 気分的には大きな犬を拾った気分だが…………

 ご飯を作ってくれたり、私の身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれる大きな犬を見ていると、飼われているのは自分ではないかという錯覚さえする。


「ボーッとしてないで食べないと! 冷めちゃいますよ? ご飯」

「あ、うん……ごめん」

「もー! でも、先輩はそんな所も可愛いんですけどねー」

 プウッと頬を膨らませた湊斗は、その後にニッコリと笑った。


「……っ!?」

 湊斗は自分の顔の良さを自覚しているのだろうか……。

 それとも……からかわれているだけ?


 私は真っ赤になった顔を隠す様に、俯きながらお茶碗の中に入っていたご飯を箸で運んだ。


 湊斗はこうしてたまに私の反応をからかうような行動や発言をする。

 それがまた心臓に悪い……。


「ふふっ。髪……乾かしてあげますね」

 湊斗は瞳を細めながらそう言うと、私の頭に乗ったままだったタオルをスルリと外し、優しい手つきで髪の毛の水分をタオルにうつす様にトントンと叩き始めた。


 私がご飯を食べ終える頃には、今度は楽しそうに鼻歌を口ずさみながらドライヤーで乾かし始めている。


 こんなにお世話をしてくれて、一緒に住んではいるが……

 私達は恋人同士ではない。



 あの日、偶然拾ったずぶ濡れだった犬に、今日も私は甘やかされている。




****


甘い話が書きたくなりました(*´∇`*)

だけど……まだ序章(汗)

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