交番
それは……
黒髪の子が口籠もり、しかし、視線は正面を向いていた。私もそちらを向くと、もう警察署は目の前にある。だから彼女は口籠ったのだろうか。だが、私は彼女が眉を顰めるところまでしっかりと見ていた。
警察署は丁度交差点の角に位置していて、その切っ先を正面に小さく纏まって建っている。随分と時を過ごした壁は黒ずみと黄ばみに侵食され、右脇に停めてあるパトカーの方がまだ白く、むしろそのピカピカに磨かれたパトカーだけがやたらと目立っていた。駐在警察官は現在三名。初老に入った成人男性が一名と中堅どころの男性と、それからまだ最近配属されたばかりの女性警官だ。彼女たちに代わってまず私が「すみません」と呼ぶと、まず若い女性警官が出てきた。
「はいはいはいはいー」
警察官らしからぬ陽気さと軽さを持った女性警官、江田(えだ) 桐子(きりこ)さんに他ならない。声に似合った可愛らしい笑顔は「華」、とはいえず「花」である。雑草の中の一種だが、いくら踏まれてもへこたれない強さを持つ笑顔。つまり、あっけらかんとした笑顔を振りまいてくる。まるで千客万来とでもいうように。婦警の制服よりエプロンの方が似合うだろう。
一歩歩くごとに後ろに結んだ髪が右に、左に揺れ、また左に触れてこちらに来たと思ったら顔をマジマジと見つめて口を開く。
「何かご用で〜……おや! 間宮さん! 今日は何用で?」
お軽い人ですこと。でも嫌いじゃない。江戸切子さんはそういう人だ。
「今日は私に用事はないんです。この子たちが勇気持って告発に来たんです」
私が体を開けて後ろを見せると、そこに私より少しだけ小さな影が二つできる。みゆきさんと、黒髪の子。あ、名前聞いてなかったな。桐子さんは「ほお?」と言って二人をまた覗き込むように見る。彼女の悪い癖だ。ほら、みゆきさんが首を引っ込めて萎縮する。桐子さんが「ではでは、何用ですか?」と口調優しめに聞くが、結局のところみゆきさんではなく黒髪の子が答えることになる。
彼女は口調強めに、みゆきさんが廃墟で襲われた事実と犯人を現行犯で捕まえていることを桐子さんに伝えた。桐子さんはふんふんと頷きながらきき、一通りの説明が終わった後にこう述べる。
「この場合どうするんですっけ?」
「明らかに刑事事件だろうが! すぐに連絡! 刑事を呼んで待機!」
桐子さんのお惚けに警察署の奥からすぐに怒号が飛んできた。野太くて張りのある、太鼓みのような声。桐子さん、みゆきさん、黒髪の子、そして私も(毎度のことながら)ビクッと肩を震わせた。桐子さんはおまけに「へい!」と背筋を伸ばして返事までする。鬼の三十代、薩摩(さつま) 隼人(はやと)の御声にである。熊程大きい熊の如き体格を署の奥から覗かせ、桐子さんを見下ろす様はさながら捕食者と見紛うばかり。桐子さんが来客者に喜んだ対応をするのは四六時中彼と一緒だからであるとさえ考えてしまう。
熊がさらに一歩進み出て、その爪を振り下ろし、私たちを鮭の如く捕らえる––––
「こちらに記入をお願いします。あ、どうぞ奥の方で」
わけはなく、二人に用紙の挟まったバインダーと鉛筆を差し出した。そして、住処まで戻っていく。二人は出戻りの熊についていき、奥にある長机と引かれたパイプ椅子に座った。私もついていこうとすると、蹲み込んでいた桐子さんに袖を掴まれる。
「なんですか?」
聞くと、桐子さんは屈んだまんま、こちらに顔も向けずにこう言った。
「あの熊。昇進試験に落ちたんですよ」
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