第12話 この世界のイベントはハイレベルだった
元の世界をバグらせて、新たな世界に移転した私を知っている者がいる。
この女、一体何者なのだ――――!
ゴクリ――――張り詰めた緊張感に、息を飲む。
睨み付けるようにきつい視線を女へ向けると、突如その女はニッコリと微笑んだ。
「その衣装、乙女ゲームの『愛され令嬢は今宵も王子たちと舞踏会』に出てくる悪役令嬢マクリールお嬢様と同じよね?」
「え……」
どうやらこの者は、私がどこからやって来たのか知っているようだ。
途端、叩かれたような衝撃が胸の奥に襲ってきた。強張った顔で爺やの方に視線を移すと、爺やも困惑した表情になっている。
このままでは正体をバラされて、元の世界に戻されてしまう。
折角、必死の覚悟であの『愛され令嬢は今宵も王子たちと舞踏会』世界から飛び出して来たというのに――――ファーストステージもクリア出来ぬまま、終わらせたくないわ!
私は何とか隙を作って逃げ出そうと思ったが、両腕を娘とテンチョウに掴まれていて身動きが取れない。
あぁ――――新しい世界のヒロインとしての人生は、たった数時間、『特盛牛丼』を食べただけで終わってしまうのぉぉぉ!
「そんなの……許さない」
「へ?」
「いやそれより、代金を!」
娘とテンチョウが何か言って来ているが、今の私の耳には届かない。私は爺やにアイコンタクトを送ると、爺やはゆっくりと内ポケットに手を忍ばせていく。娘が私たちの話に意識が向いている内に、爺やが突破口を開く筈――――。
「コスプレかな?」
緊張感が高まっている時に、女は不思議な呪文を唱えた。
「コスプレ!!」
「あぁ~なる程、これコスプレなんだね~」
すると娘とテンチョウが、女と同じ呪文を次々と唱えだした。
な、何なの!? 『コスプレ』って、何の呪文? 私たちを元の世界に戻してしまうの!!
『コスプレ』の呪文に私の腕を掴む力が少し緩んだ隙に、急いで爺やの元へ走り出す。
「爺や!」
「お嬢様ぁぁぁ!」
互いに無意識、腕を伸ばす。このまま飛ばされてしまって、爺やと離れ離れになってしまうと思うと怖かった――――。
爺やの手を握る寸前で、女は大きな声で叫んだ。
「ちょっと! 床滑りやすいから、危ないよ!」
「えっ?」
「何ですと?」
それは一瞬だった――――氷の上を歩いたみたいに摩擦が消えて足が勢い良く滑ってしまい、次の瞬間には私の身体は宙を舞っていた。
「お嬢様ぁぁぁ――――!」
「きゃぁぁ!」
「うわぁぁぁ!」
皆の叫び声が聞こえてくる。宙を浮いている感覚がゆっくりとして、妙に頭が冴えていた。
あぁ、このまま私は元の世界か、また違う世界に飛ばされてしまうのね――――。
少ししかいられなかったけど、牛丼は美味しかったわ。また新しい世界でも食べれるかしら? もし元の世界に戻ったとしても、屋敷のメニューに牛丼を加えさせることにしよう。あ、レシピ? 牛丼の作り方、知らないわ。元より私、お料理なんて出来ないじゃない!
「あぁぁ、さようなら、牛どぉぉぉん――――!」
「いや、さよならしなくても大丈夫だから」
「……何ですって?」
呼びかけられた声に反応して目を開くと、私の身体は宙を浮いていなかった。それどころか、目の前には私の腕を掴んだ女が苦笑いしている。
「そんな靴で調理場走ったら、危ないって。危機一髪で腕を掴めたから良かったけどさ」
女はそう言って腕を引っ張り、斜めになっていた私の体勢を元に戻してくれた。
どうやらこの者は、私を異空間へ飛ばすことを止めたようだ。その理由は分からないが、一先ずは危機を回避出来たのである。
新しい世界は、本当に色々と難しいわ――――。
「お嬢様ぁぁぁ! ご無事で何よりでございました!」
「爺や……そなたも、無事で良かったわ」
号泣しながら崩れ落ちた爺やに、私も安堵の声で語り掛ける。
「爺やと離れ離れになったら、どうしようかと思ったわ……」
「マクリールお嬢様ぁぁぁ!」
素晴らしい主従関係感動の場面の途中なのに、女が邪魔してきた。
「良く分からないけど、取り敢えずスタッフルームに入りなよ。調理場でそんなフリフリ着ていたら危ないし汚れるよ」
「……えぇ、分かったわ」
ライバルだと思った女は、案外気が利くようだ。でもこれくらいで信用したりしないわよ。油断させ私をこの世界から排除する魂胆かもしれないもの!
私と爺やは女が案内した小さな部屋に入った。小屋の中だけあって、ここも凄く狭い。一応テーブルもあるが、座れるスペースも然程なく、私のドレスも納まりきらなそうだ。
「ちょっと狭いけど我慢してね」
女は窮屈そうにしている私に苦笑いしていたが、今の言葉は『まだこんな狭い所も抜け出せないでいるのか』と、暗にほのめかしたのではなかろうか?
やはりこの
まだまだこの世界は未知数だ。でも私はヒロインの座を譲るつもりは、毛頭なくってよ!!
私は決意を胸に、女に強気で答えた。
「えぇ、宜しくってよ」
「ははは! てか、キャラ作りなの? イベント帰りなら、もう普通の口調でも良くない? さっきから二人ともキャラになりきっていて凄いとは思うんだけどさ」
「イベント?」
何であろう? この世界のイベントはまだ、始まっていない。始まっても今のレベルでは参加は出来ぬであろう。そうなると――――。
「そなたは、イベントに参加したことあるのかしら?」
この女がもうイベントに参加しているのか、気になってしまった。もし参加しているならば、レベルの差が付いてしまう。それはヒロインとして許しがたい。
「私? 時たま参加してるよ。妹がそういうの好きで付き添って行くんだけど、お嬢様みたいなコスプレイヤー沢山いるよね。皆ハイレベルで感心するわ」
「私みたいなのが……沢山……」
何ですってぇぇぇ――――!! この世界にはもう、私レベルの令嬢が沢山存在しているの!? それも皆ハイレベルって――――どういうことなの?
私がこの世界のヒロインの筈なのに、まだファーストステージもクリア出来ていないのに――――なんて世界なのここは!
「爺や……」
「お嬢様! お気を確かに! 真のヒロインになるためには、ライバルが居るのは必然でございますから! それでも必ずお嬢様が、素晴らしい殿方とハッピーエンドになること間違いございませぬぞ! 爺やは信じております!」
落ち込む私を爺やが必死で励ましてくれるが、今時点『ニホンエン金貨』も持っていない状況に不安がどんどん膨れ上がる。
あぁ私は本当に、この新しい世界をクリアして、真の愛され令嬢になれるのであろうか――――?
そんな不安の真っ只中、更に追い打ちを掛けるようにテンチョウが現れた。
「あの~お取込み中失礼しますが……お代の方は、お支払い頂けますか?」
「え? 店長、この人たちバイト希望じゃなくて?」
「恩田さん、違うんだよ。この人たちお客さんなんだけど、日本円持っていなくてね。支払いが出来なくて困っているんだ」
「まぁ確かに、こんな格好でバイト面接には来ないか……てか、日本円を持っていないの?」
『オンダ』と言われた女とテンチョウが神妙な表情で、私たちの話をしている。二人の様子に、嫌な予感が胸を過っていく。
このままでは私たちは、身売りされてしまうのではないか? そして奴隷のように働かされるに違いない。そうなったらハッピーエンドどころか、悪役令嬢にも戻れないじゃないの!
この不穏な空気に爺やも察したようだ。私たちは互いに顔を見合わせ、アイコンタクトで意志を疎通させる。
「爺や……」
「はっ、お嬢様」
私と爺やは、この小屋から何としても脱出をすることにしたのであった――――。
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