第6話 箸にも棒にもかからなかった

 やっと祝杯をした私と爺やだったが、初めてのビールの味に五体に衝撃が走る。

「な、なんなのこの苦い飲み物は。薬草か何かで作っているの? 所詮庶民の飲み物ね。フルーティーなワインとは偉い違いだわ」

「お嬢様、仕方ありますまい。まだファーストステージでございます。レベルも上がればきっと、年代物のワインも飲めるようになります故」

「そ、そうね。ヒロインは下積みが大事だわよね」

「はい! そうでございまするお嬢様!」

 前の国なら、いつも美味しいものを当たり前のように飲食していたけれども、ヒロインになるって食事からレベルを上げねばならないのね。早く美食が出来るように、頑張らないとだわ。

 まだ苦み残る口を指の背で拭いながら、動揺する気持ちを奮い立たせる。

 そんな私の様子を気遣った爺やが、テーブルに並べられた数々の前菜を勧めてきた。

「お嬢様、お口直しにこの前菜でも食してみましょう。見た目はいまいちですが、案外珍味かもしれませぬぞ」

「えぇ、この世界の食べ物に慣れなくてはいけないものね」

「如何にも! チーズと玉子はこの国にもあるので良かったでございますな。問題はこの赤く染まった葉物と若干臭い豆でございますが」

「うむ。では先ず無難にチーズから頂こうかしら?」

「はっ! オードブルにはチーズは定番でございますし、素晴らしいチョイスかと。しかしこのチーズ、随分と細かくカットされてますな」

「食べやすくしているのかしら?」

 口には入れやすいサイズだけど、手では掴みにくい。フォークで刺せる大きさでもない。

「あら、爺や。フォークとナイフがないわね?」

「はっ! 私もそれが気になっておりました。見る所によると、この箱の中にスプーンはありましたが、後は長い棒が沢山入っているだけでございました」

「この棒で刺すのかしら? 随分と荒々しい食べ方をするのね?」

 試しに棒を一本取ってみたけど、細かく刻まれたチーズすら刺さらないし、チーズが欠けてしまう――――。

「くっ……こんな所で、まさかのトラップ!?」

「お嬢様! スプーンならいけますぞ!」

「分かってるわ! でもこの棒にきっと意味があるのよ! 使いこなさなければ、ファーストステージがクリア出来ないかもしれないじゃないの!」

「た、確かに! 直ぐに使い方を調べます故、暫しお待ちを!」

「爺や、任せたわよ!」

「ははぁっ!」

 爺やが目にも止まらぬ早業で、百科事典のページを捲っていく。その爺やの姿を私は両手に棒を握ってジッと見守った。

 そこへ娘が大きな器を二つ運んでくる。

「大変お待たせしました~! 特盛、つゆだくだく二丁とサラダです!」

 まだ前菜も食べきっていないところへ、メインディッシュがやって来た。それもかなり大きい。

「デカっ!」

 ドンドン、と置かれた器の中には肉と煮込まれた野菜らしきもの山盛りになっている上に、その下にあるライスがスープに浸かっていた。

 普段食べていた屋敷の料理に比べたら見た目は全然美しくはないが、私たちを誘った甘美な香りはしっかりと漂ってくる。

 途端、口の中に唾液が一気に湧き上ってきた――――。

「こ、これが『ギュウドン』……」

「ほほう~」

 余りの迫力に、爺やも辞典を捲る手が一瞬止まる。

 『ギュウドン』に釘付けになっていると、娘が私の持っている棒に気が付いた。

「お客様、つゆだくだくなので、お箸よりスプーンの方が食べやすいかもしれませんよ」

「え、これは『オハシ』というものなの?」

「はい。日本じゃ当たり前ですが、外国の方には使いにくいですよね」

「そ、そうね……」

 『オハシ』というワードに爺やの目が鋭く光り、再び辞典を捲り始める。その間に、私も娘に色々質問をしてみることにしよう。

「因みにこの臭い豆は、何だったかしら?」

「ははは! 『納豆』です。お好みでタレや辛子を入れてから、良く掻き混ぜて下さい。混ぜるのはお箸を使った方が混ぜやすいです。それから玉子と混ぜても美味しいです。サイドメニューは牛丼にトッピングして、食べるのがお勧めです。辛いのがお好みでしたら、そこの七味唐辛子も振りかけてみてください」

「あらそう……。試してみるわ」

「はい。ごゆっくりどうぞ~」

 娘は説明を終えると、一段と明るい笑顔を残して奥へ去って行った。


 新しい世界の食事の作法は、中々難易度が高いものばかりだわね。正直、娘の説明も良く理解ができなかったのだけど、つい見栄を張ってしまったわ。

 それにしてもこの前菜をトッピングするとは、斬新な食べ方ね。先ずは、このまま食べてみたいわね。でもその前に――――。

「爺や、『オハシ』の使い方は分かったかしら?」

「ははぁ~。ございましたぞ! この棒は二本でセットで使用するようです。そしてこう、棒の先で食べ物を挟み取って、口まで運び入れるみたいですぞ」

 爺やが辞典を見ながら『オハシ』を手に握り、肉を掴んで見せようとしたが――――ボトッ! ――――虚しく肉は、落ちていった。

「あっ」

「まぁ……」

 これには大抵のことを器用にこなす百戦錬磨の爺やのプライドが傷が付いたのか、みるみる顔が赤くなる。こうなってくると、爺やは手が付けられなくなってしまう。暴走する前に他のことに意識を向かわせなくてはだわ!

「爺や! この『ナットウ』をその『オハシ』で混ぜて頂戴! 今すぐよ!」

「え、ははぁ! 畏まりました!」

 我ながら見事な機転に感動すら覚える。爺やは一瞬戸惑いながらも、私の命令通り『ナットウ』を混ぜ始めた。それはそれは、凄い勢いで混ぜた――――。

「なんと! お嬢様! この豆、どんどん糸が出来てきますぞ!」

「本当だわ! これは本当に食べ物なの? 実はこれ、新しいドレスをこしらえるアイテムじゃなくて?」

 糸を増やせば増やす程、ドレスの材料になるアイテムなのだわ! どこに隠しアイテムが出現するか、油断が出来ない世界だわね!

「なる程! こんな所にそのようなアイテムが潜んでいるとは! 如何致しましょうお嬢様?」

「爺や、このままもっと混ぜなさい。きっとその内、ドレスが出てくるかもしれないわ!」

「はっ! 畏まりました――――! いつもより多く回してみせましょう!」

「頼んだわよ。爺や!!」


 特盛、つゆだくだくの道のりは、遠く険しく、更にまだ続くのであった――――。

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