八.
「今日は、お母さん、お仕事だって」
そう言って杏莉がひとりで面会に来たのは、三が日がおわって一週間ほど後のことだった。
電動ベッドの背中部分を斜めに立てて、そこにもたれかかって、ちまちま縫いものをしている私の横で、着替えを交換したり、なれない手つきで花瓶の水を入れかえたりしてくれる。
そうして、することがひととおり終わってしまうと、彼女は面会者用のパイプ椅子に腰かけて、参考書をひらいた。
高校の入学試験がもうすぐなのだ。
「受験勉強、すすんでる?」
私が訊ねると、彼女は、ひとりで家にいるときのほうが集中できるし、と返してきた。
「そんなら、今日はもう帰って、家で勉強してたら?」
「姉ちゃんがさびしいだろうから、面会時間終わるまでいるの……いなさいってお母さんが」
杏莉は私の足もとあたりの布団の上に参考書をおいて数学の文章題を解きだし、私はその横顔をみながら、裁縫のつづきにとりかかった。
――私はいまでも、「古代の支配者」と呼ばれる存在や、それらにまつわる神話、伝説、予言の類いを信じていない。
そういったものは、人間の過剰な想像力が産み落とした、異形の物語にすぎないのだ。
それに……。
……それに、もし「古代の支配者」が実在するというのだったら、そして、そのような神々が夢を通して語りかけてきているというのだったら、なぜ、杏莉はその夢に感応することができて、私にはできないのだろう。
私たちは血のつながった姉妹なのに。
杏莉には芸術の才能もあるし、将来の希望も、すくなくとも私よりは、はっきりと定まっている。
そのうえさらに、私よりも繊細なのだとしたら、――ただの嫉妬なのはわかっているけれど――くやしい。
だけど、と同時に私はおもう。
もし杏莉がそれほどまでに強い感受性をもちあわせているのならば、そのために彼女が悪いことに巻き込まれたりしないように、私が守ってあげないといけないのだろう。
彼女が見てしまったもの、これから触れるかもしれないものがなにを意味するのかを知っているのは、私だけなのだから――。
「はい。これ、あげる」
面会時間の終了を告げられて、立ち上がって帰りじたくをしていた杏莉に、私は、ちょうどそのとき縫いあがったものを差し出した。
「これ、なんなの?」
受けとりながら、杏莉は首をかしげる。
「お守りのようなものだとおもっておいて。私がつくったんじゃ、ご利益ないかもしれないけど」
「ふーん」
合格お守りなら、初詣に行ったときもらったんだけどな。ていうか、姉ちゃん、まえにもこんなやつ、くれなかったっけ。
そんなことをつぶやきながらも杏莉はコートのポケットから携帯電話をとりだして、何本もぶらさがっているストラップのあいだに、私が渡したもの――そういうふうに使ってもらえるように、長めのさげひもを縫いつけてあった――を結んだ。
実際、小学校の家庭科の授業で習って以来ほとんど進歩していない私の手芸の知識と経験でつくられたその「お守り」が、「それ」の原型にどれほど近いのか、どれほどの意味を持つのか、私にはわからない。
でも、縫いあわせた黒フェルトに綿をつめて成形した本体は、ところどころ外周がガタガタになっていたけれど、円形にはなっていた。
それに、中に縫いとった模様だって――左右対称でないうえに、線も歪んでいたが――見えなくはないはずだ。
五芒星と、その内側にある燃え上がる目に。
「古代の支配者」に由来する脅威から身を守るための、ほぼ唯一の方法として、複数の文献が言及している紋章に。
「じゃね。明日はお父さんも来るって」
そう言い残して杏莉は病室を出ていく。
ドアを開けながら、彼女は私に背中をむけたまま、挨拶をするように右手を上げて、ちいさく振った。
まだその手の中にあった携帯電話の先で、きのこ型のぬいぐるみがついたストラップや、大阪みやげの水色をした不思議生物の根付けといっしょになって、私がつくった「お守り」が揺れた。
彼女の後ろ姿を見送ったあとで、私は裁縫箱から新しい布を取りだす。
次は、首にさげられるのにしよう。その次は通学カバンにつけられるようなのをつくってあげよう。
それから、それから……。
私の妹が、そんなに繊細なわけがない。 ギルマン高家あさひ @asahit
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます