五.

「姉ちゃんは、どうして国立大に行かなかったの」

「は? なんで、そんなこといまさら聞くのよ」

 質問してきた杏莉の口調が鋭いものだったので、つい私もきつい返答をしてしまう。

 大学受験のときに第一志望にしていた国立大学には、受からなかった。

 杏莉は私に背中をむけて、自分の部屋に入っていきながら、こう続けた。

「美大の予備校に行ったらだめだって。お父さんとお母さんが。姉ちゃんが私立に行ってるから、そんなお金はないって」

「それ、私のせいなわけ? 私だって、予備校には一年しか行かせてもらってないんだけど」

 家を出るまえに、妹とそんなやりとりをしてしまったからか、気分はいまいち晴れなかった。

 十二月二十四日の夜。

 私は山の斜面につらなっている枯れた棚田の脇の細い道を、ひとりで登っていた。

 C県。

 この県は、首都圏に隣接しているものの、すこし奥のほうへ行くと里山や、ここにあるような棚田といった、古い景色がのこっている。

 金樟きんくすという名のこの集落も、そんな場所のひとつであるらしい。海からほんのすこし登っただけなのにもう山奥の風情のあるこの集落で、私は石垣で土台をならした上に建っている昔ながらのつくりの農家のあいだを通りぬけ、段々になった田圃の横を歩いて、一軒の家をめざしているところだった。

 夕方まで降っていたという雪が田や道路をうっすらとおおっていたが、いまは晴れた夜空にオリオン座の三つ星がまたたいている。天候のせいなのか、時刻のせいなのか、集落はしん、と静まりかえっていた。

『クリスマス終了のお知らせでーす。じゃなくてw、ふーらはことし十二月二十四日の夜、予定ある?』

『なんもねーよ。知っててきいてるだろー。』

『やさぐれないでw。那智谷なちやさんがお泊まり会するらしいんだけど、来ない?』

 真月からメッセージでそんな誘いをうけたのは一週間ほどまえのことだった。

 那智谷さん、というのは真月の同人友達で、私たちよりもすこし年上の女性だ。

 小柄で、やせていて、色白な彼女自身は「蛸神絵師」ではなかったが、オカルト系の同人誌を発行しているサークルの代表をつとめており、「蛸神」に興味をもっている同士だから、ということで、以前、真月から紹介され、それ以来、私もイベントなどでよく会うようになっていた。

『いつかみたいに、いったら修羅場、とかじゃねーだろな(笑)』

『今年の冬は新刊ださないってゆってたから、大丈夫! ただの飲む会だよー。』

 そのときには、予定はない、と返事をしたものの、結局、土壇場になってアルバイトのシフトを代わることになって、「お泊まり会」には私だけ、夜から合流することになった。

 東京駅の地下ホームから快速に乗り、途中で普通列車に乗り換えて、最寄りと聞いていたあかねという駅に到着したときには、夜も更け、人影のない駅前の車寄せには雪が白く降り積もっていた。

 初老の駅員さんは、金樟へはバスが通っている、と教えてくれたけれども、彼の言い違いか、私の聞き違いか、それとも廃止になったのか、それらしい乗り場を見つけることはできなかった。

 歩けない距離ではない、とも言われていたので、事前に那智谷さんが送ってくれた地図をたよりに、県道にそって雪を踏みしめて歩きだす。

 車もほとんどやってこない林や畑のあいだの曲がりくねった登り坂を三十分ほども行くと、棚田のある斜面がみえてきて、そこが金樟のはずれだった。

 「お泊まり会」は那智谷さんの親戚がもっている家であるから、と聞いたときには別荘地のようなところかと想像したが、意外にも、農村そのもの、といった風景の場所だ。

 もっとも、最近はこういうところでも、過疎対策で別荘を誘致したりしているのかもしれない。

 めざしていた家は、田畑が途切れて雑木林にかわる境界線の近くに建っていた。

 瓦葺きの平屋で、雪明かりのなかにうかぶ柱や壁の黒ずんだ木の色が、築造されてから流れた年月の長さをあらわしているようにおもえる。

 閉ざされた雨戸のすきまから漏れた光が、前庭の雪の上に細い筋をつけていた。

 白熱電球がひとつ、ぶらさがっている下の戸口に立って、やや緊張しながら、呼び鈴を押す。

 知らない家をひとりで訪れるときは、いつでもすこし不安になるものだ。

 しばらくすると、中で足音が鳴り、すりガラスのはまった引き戸のむこうに人影が写る。

 そして、錠を解く音がしたあとに戸が開き、那智谷さんの、みじかい金髪の頭が私の目のまえにあらわれた。

 那智谷さんは、私を、全員があつまっていた囲炉裏のある部屋にみちびいた。

 「お泊まり会」に参加しているのは、私が想像していたよりもすくない人数のようだった。

 煙の匂いに満たされた室内に座っていたのは、彼女のオカルトサークルのメンバーの男性――たしか、旅居たびいさんといって、年齢は、おそらく那智谷さんとおなじくらい、だからたぶん社会人――だけだった。

 真月は、とみまわすと、彼女は部屋の壁ぎわに座布団を敷きつめた上で丸くなり、ダウンジャケットをかぶって、のんきな寝息をたてていた。

 昼間から皆で飲んでいたそうで、酒に強くない彼女は、もう酔いつぶれてしまったようだ。

 私は、もうあまり残っていないけど、と言いながら、那智谷さんと旅居さんがすすめてくれる料理を食べ、日本酒も飲んだ。

 囲炉裏の火で炙られた魚や肉は、どれもおいしく感じられた。

 十時をまわったころ、旅居さんが、囲炉裏ばたに座ったままの状態で、うつらうつらしはじめた。

 もう何時間も飲みつづけているはずなので、無理もないだろう。

 そのあともお酒を満たしたコップを片手に那智谷さんの話にあいづちを打っていると、時間はあっというまにすぎていった。

 家の中のどこかで、時計が深夜零時を告げた。

 すると那智谷さんが、おもむろに立ち上がった。

「あのね、この近くに神社があるんです。これから、お参りに行きませんか」

「これから、ですか?」

「地元の人たちは、冬至の日の夜に参拝するんだそうです」

「でも、今年の冬至は昨日か一昨日でしたよね」

「『クリスマス』のことを『ユール』とも呼びますね。それは、もともとはキリスト教以前のヨーロッパで冬至を祝う日のことだったといいます。だから、今日でもいいんじゃないかしら」

 そう言って那智谷さんは、ちょっと笑う。

「もしかして、今日のお泊まり会をここでやることにしたのって、そのお参りをするためだったりもするんですか?」

「私はそのつもりでした。冬至の祭をする神社、ちょっと気になるでしょう」

「あ、たしかに……」

 那智谷さんは隣の部屋の暗がりに消えていき、足もとまで届く、丈の長い灰色の外套を着込んで、すぐに戻ってきた。

「で、いっしょに来ますか?」

「いきます」

「そう言うとおもいました。あなたからは、おなじ匂いを感じるから」

「真月と旅居さんは、どうしましょうか」

「……かなり山道を歩くし、酔っぱらいはついてこられないんじゃないかしら。寝かせたままで大丈夫ですよ」 

 そう言いのこすと那智谷さんは障子を引いて廊下に出ていく。

 私は自分のジャンパーを羽織り、酔いつぶれて寝ているふたりはそのままにして、彼女のあとを追った。

 家の裏手から外に出た那智谷さんは、あらかじめ用意してあったのだろう大きな懐中電灯で道を照らして歩き出した。

 私は、もし万一途中ではぐれたら使って、と渡されたペンライトをジャンパーのポケットにしまいながら、それにつづいた。

 那智谷さんは雑木林にそってしばらく行ってから、その中にわけ入る道に曲がっていった。

 暗い林に挟まれた、ゆるい登りになった細道を十分ほど歩くと、前方に赤いちいさな鳥居があらわれた。

 那智谷さんは無言のまま鳥居をくぐっていく。

 私もそれにしたがった。

 参道に入ると、足もとが石畳になった。

 先のほうに目をやると、道をまたぐように、おなじくらいの大きさの朱塗りの鳥居が、いくつもいくつも立ちならんでいた。

 それから私たちは、無限につながっているかのような鳥居の行列の中をくぐり抜けていった。

 周囲の墨で塗りこめられたような闇を背景に、那智谷さんが手にした懐中電灯の、ちょっとたよりない明かりに浮かびあがる鳥居。

 長いことそれをみながら歩いていると、赤と黒の縞模様の壁にかこまれた、せまく四角い回廊にとらわれているような錯覚に襲われる。

 そして参道が左右に曲がるのにしたがって壁は左へ右へとうねり、自分がどの方角へむかっているのか、入口からどれくらい来たのかさえ、わからなくなってくるような気がした。

 たえまない赤と黒の連続に私がもうすこしでめまいを起こしそうになったとき、岩が重なりあってすこし高くなった所の上に建てられている、ちいさな祠のようなものが見えてきた。

 けれども那智谷さんは祠には目もくれず、その右のほうにある下り坂へと折れていく。

「あそこにはお参りしないんですか」

「こっちでいいんですよ」

 下り坂の先で、道は山肌に口をあけた洞窟に吸いこまれている。

 私たちはその入り口をめざし、まっさらな雪に新しい足跡をつけて、坂を下っていった。

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