二.
……それは。
話は一年ほどまえにさかのぼる。
岩礁の上に乱立する塔やモノリス。
ところどころに口を開けている、地の底につながっているかのような穴。
深緑色のなめらかな素材で造形されたそれらには直線で構成された部分が一切なく、それどころか、きちんとした円弧を描いているところも、線と線が直角に交わっているところも、面と面が並行にむかいあっているところもまったくなくて、じっと見ていると、めまいを起こしそうになる。
……大学の講義がおわって家に帰り、まずはじめに目に入ったのが、居間のコタツの上に鎮座しているその物体だった。
縦、横、高さは、すべて二十センチくらいだろうか。
それほど大きくはないが、岩の表面や塔の壁面の模様から、モノリスに刻まれた謎の象形文字まで、非常に細かく細工がなされている。
まわりに広げられた新聞紙の上には、そのために使ったらしい粘土べらや彫刻刀、削った割りばし、つまようじなどが乱雑にちらばっていた。
おそらく、
私より五歳年下の杏莉は、幼稚園のころから粘土いじりが好きだった。
好きこそものの上手なれ、というわけか、どんどん上達してもいて、絵も工作もヘタクソで図工の時間が大嫌いだった私としては、ちょっと、いや、かなりうらやましい。
以前は、つくるものといってもゾウさんとかキリンさんのような他愛のないものばかりだったけれども、中学にあがったころからおかしなかたちのものに凝るようになり、最近は深海魚だとか鼻行類だとか、奇妙な生物をかたどった作品を制作しては悦に入っている。
ただ、今日のこれは、いままで彼女がつくったものと比べても、異彩をはなっているように感じられた。
「あ、姉ちゃん、おかえり。いま片づけようとおもってたとこなんだけど」
背後からの声にふりかえると、杏莉が、道具箱――と彼女が呼んでいるクッキーの缶――を手に、居間に入ってくるところだった。
「これ、なに?」
作品を指さしながら訊ねると、彼女は、
「別に。遊びでつくってて、すぐにつぶしちゃうつもりだったし」
と口ごもり、異形の都市を粘土板ごと抱えると、二階の自室に行ってしまった。
――そのあと夕食を食べながら家族全員でみたテレビのニュースでは、首都圏に比較的近いところにある火山と南方の島にある火山で、活動が盛んになっていると言っていた。
○
翌日、アルバイトから帰ってくると、コタツの上にはまた新たな作品が誕生していた。
まず私の注意を引いたのは、中央に小山のように盛り上がった胴体だった。
その表面は無数のちいさな瘤におおわれていた。
瘤の中のいくつかには色とりどりのビー玉が埋め込まれていて、それらは、その生物――と言っていいのかどうかわからないが――の目であるようにおもえた。
胴体からは、ぐにゃぐにゃとねじくれたもの――脚なのか、触手なのか――が八本、ほぼ放射状に生えている。
それぞれ先にむかうほどに細くなり、ところどころに不格好な節があって、先端は鋭く尖った鉤爪のようになっていた。
ちょうど階段をおりてくる軽い足音が聞こえてきたので、
「杏莉先生、昨日のといい、今日のといい、奇抜な作品ですな。新機軸ですか」
と声をかけると、彼女はあわてたように居間にやってきて、
「これも、遊びでつくってただけだし」
と、ふたたび言い訳めいたことを口にしながら、新聞紙ごと粘土の像を回収して階段をかけあがっていった。
――その夜は、夜中を過ぎたころに数回、やや強めの地震があって、私は揺れがくるたびに飛び起きてベッドサイドに積み上げている本の山を押さえなければならなかった。
○
次の日帰宅したときには、コタツの上にはミカンと飲みかけの湯のみとテレビのリモコンが転がっているだけで、杏莉の作品はみあたらなかった。
「杏莉は?」
台所にいた母に訊ねると、部屋で寝ているはずだという。
学校で熱を出して昼過ぎに早退してきたそうだ。
それほど高い熱はなかったけれど、しんどそうだったから、風邪薬飲ませて寝かせといた、と母は言った。
二階に行って彼女の寝室のドアをそっと開けてみると、妹はたしかにベッドに入っていて、規則的な寝息が聞こえてくる。
結局杏莉は夕食のときにも起きてこず、母が炊いたおかゆを自室で食べたようだった。
――その晩、深夜まで本を読んでいた私は、隣の部屋からなにか物音がするのに気がついた。
自室を出て「あんり」と書かれた木のプレートがさがっているドアのまえまで行ってみると、中から光が漏れている。
すぐ先の部屋で寝ている両親を起こさないように、静かに扉を押して覗きこむと、杏莉が寝間着のまま、勉強机にむかっていた。
「寝てないとだめじゃない」
声をかけても、彼女は集中しているのか、無視を決めこんでいるのか、こちらに気づいたそぶりはない。
そこで背中のすぐ後ろまで近づいていき、肩ごしに手もとに目をやると、彼女は一心に、平らに延ばした粘土に彫刻らしきものをほどこしているのだった。
「杏莉」
言いながら肩をたたくと、彼女はびくっと体を震わせて振りむいた。私のほうを見上げている彼女の顔は発熱のせいなのか紅潮していて、額には汗がにじみ、瞳には涙がうるうると溜まっている。
「姉ちゃん」
ぼんやりとした口調で杏莉はつぶやいた。
いつもだったら、勝手に入ってこないでよ、という文句がつづくところだが、今日はそうではなかった。
「夢を見たのね。夢にこれが出てきて、いますぐに、つくらないと忘れちゃうから……」
まだ夢と現の境目にいるような様子で彼女は言った。
「熱、さがってないんでしょ。寝ないとよくならないよ。治ってからつくればいいじゃない」
私の言葉にうなずいたものの、杏莉は魂が抜けたような表情で椅子に座っているままだった。
私は洗面所に行って温かい濡れタオルをつくり、彼女の手を拭ってやった。
それから彼女を椅子から立たせて、ベッドにつれていった。
掛布団をしっかりかぶらせてから額に手をあてると、やはり、まだ熱があるようだった。
「夢に出てきたの。あの島も、あの怪獣も。毎日夢に見るの……」
杏莉はしばらく、幼児に返ったような言葉づかいで、うわごとのようにぶつぶつと喋りつづけていたが、やがて、静かに寝息をたてはじめた。
私はため息をついて自室にもどり、自分の寝支度をすることにした。
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