止まらない穢れ

 救助されたわたし達は、その後街から離れた怪しい研究所に……なんて事はなく、海から遠く離れた内地で栄えている都市の、とある大きな建物に連れていかれた。軍人さんの話曰く、この国の首都らしい。近代的なビルが建ち並ぶ様は、正しく『首都』の様相をしていた。勿論、観光する暇なんてなかったけど。

 案内された建物は体育館のような、とても広くて物が何一つ置かれていない場所だった。此処が普段どのような用途で使われている場所なのかは、この国の文化にさして明るくないわたしには分からない。だけど近代的な建物だけにお国柄みたいなものはあまり感じられず、『外国人』という身分としては却って居心地が良かった。

 その居心地の良い場所に、わたし達は決して一番乗りした訳ではない。

 わたし達が来た時には既に、何百もの人々が集まっていた。見知った顔 ― 具体的には喫茶店のお姉さんとか ― も見付けて、海沿いの観光地に居た人々がこの体育館のような場所に集められているのだと分かる。人種も歳も性別もみんなバラバラ。観光地で働いていた人々だけでなく、大勢の観光客も救助もしくは避難していたらしい。そりゃ、わたし達みたいなただの大学生でも怪物ひしめくホテルから全員脱出出来たぐらいなのだから、大人が数人も集まれば町から逃げ出すぐらい出来なくもないだろう。勿論死んでしまった人も少なくないけど……

 ともあれ救助されたわたし達は、そこで軍人さん達から様々な支援をもらった。食べ物だったり、飲み物だったり、着替えだったり。怪物に殴られた磯矢くんは怪我の診察も受けた。擦り傷だけで骨折とかはなく、消毒だけで済んでいた。ルビィったら心配し過ぎて、なんでもないと分かった途端腰を抜かしていたけどね。

 お腹も膨れ、身体も綺麗になったわたし達は、日本からの救助隊が来るまで避難所で待つ事になった。お財布とかパスポートはちゃんと持っていたから、帰ろうと思えば飛行機ですぐにでも帰国出来る。だけど日本政府としても『生存者』の数を確認する必要があるので、政府の人と色々やり取りしてからでないと駄目だと、軍人さん達から言われてしまった。こっそり逃げ出したら迷惑掛けちゃうし、大人しく従う。

 他の旅行者の人達も同じようなもので、わたし達がホテルから逃げ出して丸一日が経ったのに、未だ避難所は人でごった返している。そして時刻はもうすっかり夜遅くだ。幸いにして布団、というか寝袋みたいなものも支給されているので、わたし達は寝場所にも困っていない。寝ようと思えば何時でも眠れるだろう。

 だけど寝ている人は殆どいなかった。

 何故ならわたし達……此処に居る救助者の殆どは今、避難所に設置されたテレビに夢中だったからだ。

「……零くん」

 周りにたくさんの、隙間なんてないぐらい人が居る中、はぐれたくなくて……ルビィと磯矢くんとは既にはぐれているけど……わたしは隣に立つ零くんの手を掴む。零くんもわたしの手をぎゅっと握り締め、離さないように掴んでくれた。

 零くんの存在をしっかりと感じながら、わたしは体育館の天井付近から目を逸らさないよう意識する。

 避難所に設置されたテレビは、出来るだけ多くの人が見られるよう、天井からぶら下がる形で設置されていた。画面もとても大きくて、映画のスクリーンみたい……それでもちょっと見辛いぐらい、周りには人が集まっている。

 それも無理ない話。

 何故なら今テレビには――――わたし達が怪獣と呼ぶ、あの超巨大プラスチック生命体が映っていたのだから。

 ヘリコプターから撮影しているのか、怪獣は空から俯瞰するように映し出されている。体長六千七百メートルという出鱈目なサイズは、地面にあるミニチュアのような建物達がなければ到底実感出来ないもの。ナメクジみたいな身体は一見してゆっくり動いているけど、景色である町並みの動きを見れば、車なんて比にならない速さだと分かる。見れば見るほど、とんでもない非常識だ。

 その非常識は今、激しく燃え上がっている。

 この国の軍隊が行った攻撃により付いた火だ。今もたくさんの砲撃と空爆を浴びていて、真夜中にも拘わらず全身がハッキリ見えるほど明るく燃え盛っている。炎は怪獣の身体であるプラスチックを次々と燃やし、全身から黒い煙が轟々と噴き上がっていた。もしもあの煙に包まれたなら、多分一瞬で一酸化炭素とかダイオキシンの中毒で死んでしまうだろう。それほどまでに激しく、そして濃い黒煙だった。

 だけど燃え盛る怪獣は止まる気配すらない。

【我が国の軍が攻撃を続けていますが、超巨大プラスチック生命体の進行速度に変化はありません。米軍や西洋諸国の援軍は、どうやら間に合いそうにないようです】

 現場に居るであろう男性リポーターはもう諦めてしまったのか、淡々と事実を語る。それはわたし達の目にも明らかで、だからこそ彼の言葉をすとんと受け入れられた。

 一応言うと、怪獣はわたし達が居る首都なんて目指していない。内陸の方へと進んだけど、むしろ人気のない地域を目指していた。お陰でこの国の軍隊は思う存分武器を使えているらしい……動きを抑えきれていない現状でそれを知っても、絶望感しかないけど。

 そしてそいつの行く先も、希望と言うよりは絶望寄りだ。

【……ああ、ついに見えてきてしまいました】

 リポーターが達観した声を漏らすと、次いでカメラが別の場所を映す。

 テレビに映ったのは、無数に並ぶ電波塔のような建物。

 だけどそれは電波塔じゃない。電波塔には必要ない大型の機械が接地され、地面を深々と掘り進みながら現代社会を支えるのに不可欠な資源を採掘する施設……

 油井ゆせいだ。

 怪獣は、油田地帯を目指すように直進していたのだ。それもこの国で最大規模の、世界でも有数の産出量を誇る巨大油田である。

 テレビに映る軍隊の攻撃は更に激しさを増したけど、怪獣は怯みもしない。むしろその移動速度を速めたようにも見えた。軍隊の攻撃などものともせず、一直線に油田へと向かい続ける。

 そしてついに到達してしまった。

 油井自体は、きっと機能を停止させていた筈。だけど燃え盛る怪獣が触れた事で、微かに残っていた石油が着火してしまったのだろう。激しい炎が施設から噴き出し、周りの油井にもどんどん燃え移る。

 ほんの数分で油田は炎に包まれた。もう此処は二度と使えない、なんて事はないけど……消火するにはたくさんの時間とお金、資材と人材が必要になる。先進国でも大変な作業を、アフリカの中ではかなり豊かとはいえ決して大国とはいえないこの国にも出来ると考えるのは、あまりに楽観視し過ぎだろう。

 そして石油という、外貨としても軍需物資としても欠かせないものを失った事で、軍政であるこの国の情勢は不安定なものとなる筈。その不安定さは周辺国に広がり、もしかしたら、この油田火災とは比較にならない『災禍』を引き起こすかも知れない。尤も怪獣は、人間社会のあれこれなんて気にしていないだろうけど。

 油田に到着した怪獣は、鎌首を上げたナメクジのような身体の頭部分を地面へと向けた。そこには油井があったけどお構いなしに前進し、頭が油井を押し退けて地面に到達。だけど怪獣は止まる気配すらなく、前進し続ける。

 ついにその身体は周りの地面を押し広げながら、地中へと侵入した。地面に開けられた穴からたくさんの黒い水……石油が噴き出し、周りの炎によって燃え盛る。穴はどんどん拡大していき、合わせて燃える石油の勢いも増していく。

 もう、軍隊の攻撃は行われていない。やったところで無意味どころか、却って油田火災を酷くしてしまうと判断したのかも知れない。

 邪魔がなくなった怪獣は悠々と行動し、その全身を地中へと潜らせていく。身体が大きいのですぐには潜りきらず、十分ぐらい時間を掛けていたけど……事の大きさを思えば、あっという間の出来事のように感じられた。

 地上にはもう六千メートルの巨体なんて何処にもなくて、何百メートルもありそうな大穴と、大穴よりも大きく燃え広がる炎が残っているだけ。

 テレビを見ていた人達は沈黙していた。沈黙しながら、「終わった」と語っていた。何が終わったのか? それはきっと人それぞれで、そもそも具体的なものがある訳ではないと思う。曖昧で、不安で、期待もしたい、妙な感覚。

 ただ一人、零くんだけは違う想いを抱いているだろう。

「……プラスチック製品は、元を辿れば石油が原料なのは知っているね?」

 一部始終を見たわたしに、同じものを見ていた零くんが話し掛けてくる。今時小学生でも知ってる事に、わたしは素直にこくんと頷いた。

「彼等がプラスチックを餌としているのなら、その原料である石油に惹かれるというのは、まぁ、あり得る話だよね。ボクは彼等がプラスチックに引き寄せれていると考えたけど、実態は逆で、石油を探し求めていたのかも知れない」

「……うん」

「そして今、地球の海は何処もかしこもプラスチック石油で汚染されている。彼等は餌を求め、世界中の海に拡散しているだろう。そもそもあの怪物達がこの国で発生したとは限らないんだ。今回の件が初の拡散かも知れないけど、それを期待するのはちょっと希望的観測過ぎるよね」

「……日本とかにも、現れるのかな」

「多分現れるだろうね。日本近海は海洋プラスチックの量がかなり多いと知られているし。でも生物にとって大事なのは、全体の量だけじゃなくて、密度も大事だ。日本近海だと小さな奴なら兎も角、数千メートル級の奴がぽこぽこ生まれる事はないんじゃないかな」

「ホットスポットみたいにゴミが集まる場所か、ゴミが垂れ流しの施設じゃない限り、大量発生はしない?」

「こんなのは願望みたいなものだけどね。プラスチックを食べる以外、生態なんて何も分かってないし……とはいえ、じゃあこの願望が叶わず、奴等が大量発生したら人類が滅ぶかといえば、そんな事はないだろう。体長二メートル程度の個体なら生身の人間でも倒せる事はボク達が証明した。五メートル級や、多分居るだろう数十メートル級の個体だって軍事兵器の前では形なしさ。六千メートル級の個体だって、核兵器を使えば跡形もなく吹き飛ぶだろうね。所詮通常兵器で燃える程度のプラスチックだし。あとメガトン級の核兵器を一~二発使ったところで核の冬が訪れない事は、二十世紀後半に行われた無数の核実験が証明している。環境汚染に目を瞑れば、まぁ、核兵器の使用を躊躇う理由はないね」

 つらつらと、零くんはプラスチック生命体についての考察を語る。

 長い話だけど、一言で纏めれば「人類にとって脅威じゃない」、といったところ。

 わたしもそう思う。あの超巨大な個体だって核兵器なんか使わなくても、この国でも時間さえ掛ければ倒せたと思うし、アメリカとかの最新鋭兵器なら一日で撃退出来るかも知れない。小さな奴なら言うまでもない。

 そう、きっと人が滅ぼされる事はない。

 ――――『今』は。

 その言葉が零くんの話の頭に付いていると、わたしは気付いた。気付いたから、わたしは何も言えなくなる。出来るのは精々、ぎゅっとその手を握り締める事ぐらい。

 決意に満ちた零くんの横顔を、じっと横目に見ながら……

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