日常への帰還
「良し、出られた! ……さぁてとりあえずあっちの、海とは反対側に走るよ!」
ホテルを出てすぐ、零くんは逃げる方角を指差した。街灯の明かりがないため真っ暗闇に閉ざされた、昼間に観光した時の記憶が正しければショッピング通りの方だ。
本当に行く先は真っ暗で、出口付近がホテルの明かりで微かに照らされている事もあってか、墨汁で塗りたくられたみたいに何も見えない。足下に大きなものが転がっていたとしても、間近に迫るまで、或いは実際に蹴躓くまで気付かないだろう。道を行き交う人の気配もないから、何処が安全なルートなのか全く分からない。歩くならまだしも、走るなんて危ない事この上ない道だった。
だけどわたし達は立ち止まる訳にはいかない。
どうにかホテルから全員無事に脱出した訳だけど、ゲームや映画と違い、それで全てが終わった訳じゃないからだ。扉一枚で部屋から出られなくなるゲームのモンスターと違い、怪物達はホテルの外まで平気で出てくるだろうから、こんなところで暢気に休んでいたら追い付かれてしまう。というかそもそもわたし達がホテルから逃げ出さなければならない原因は、あの『ちっぽけ』な怪物達なんかじゃない。
――――遙か彼方から聞こえてくる、どおん、どおんという音の方だ。
「お、おい、この音ってまさか……」
「うーん、思いの外近い。巨大だから足は速いと踏んでいたけど、かなり接近しているね」
暗闇の中を走りながら狼狽える磯矢くんに、零くんは淡々と答える。真っ暗なので磯矢くんとルビィの顔は見えないけど、多分わたしと同じように、思いっきり引き攣らせている筈だ。
わたし達がホテルから逃げ出した原因である、体長六千メートルにもなる超巨大プラスチック生命体。
わたし達が『怪獣』と呼ぶ事にしたあれが、かなり近くまで来ているらしい。此処からだと周りが建物に囲まれているため怪獣の姿は見えず、具体的にどれだけ近いかは分からないけど……聞こえてくる爆発音は、結構な近さに感じられた。
爆発音はこの国の軍隊が怪獣を攻撃している証。それが続いているからには、どうやら未だ怪獣は倒せていないらしい。聞こえてくる音の激しさからして、弱っている様子もないのだろう。零くんは焼き尽くすのに何日も掛かると言っていたけど、どうやら本当にそうなりそうだ。
超巨大プラスチック生命体に踏み潰される危険は未だ消えておらず、距離の近さを思えばうっかり外れた軍事兵器に巻き込まれる可能性も出てきた。此処に居たら危険極まりない。
「ど、どうすんのよ!?」
「どうもこうも、さっき言ったように走って逃げるだけだよ。出来るだけ遠くにね!」
零くんに言われるがまま、わたし達は走り続ける。
その走りを応援するのは、ガシャンッ! というあまり聞きたくなかった音。出来れば無視したいけどそうもいかず、音が聞こえた、もう大分遠くなったホテルの方へと振り返れば……そこには体長二メートルぐらいの怪物が数十体と、五メートルはある大型の怪物がホテルの外に出ているところだった。
そして怪物達は、迷いなくわたし達の後を追ってきた。もうホテルの餌は食べ尽くし、わたし達以外に餌はないと言わんばかりに。怪物達の姿はホテルから離れればすぐ闇の中に溶けてしまったけど、ガシャガシャという音が、決して彼等がこの世から消えた訳ではないと照明していた。そして音が遠ざかる事はなく、延々とわたし達の後ろを付いてきている。
「ど、どど、どうするの!? アイツら追ってきたわよ!?」
「プラスチックに惹かれてるんじゃないのかよ!? 周りの店にプラスチックなんて山ほどあるだろ!」
「食べ尽くしたんじゃない?」
「よく平然と答えられるわねアンタ!? どーすんのよこれからぁ!」
「そりゃあ向こうが飽きるか別の餌を見付けるまで、ひたすら走るしかないんじゃないかな? 幸いあちらさんの足はあまり速くないから、今の速さを維持すればそのうち振りきれる筈だよ」
「そんなぁ!?」
「まぁ、確かにそろそろ体力的にキツいけどね。このまま逃げ続けるのはちょっと勝算がないかもだし、打てる手は打ちたいけど、どうしたものか――――ん?」
終わりの見えない逃避行にルビィが悲鳴を上げ、零くんが次の案を考えようとした……直後に零くんがぽつりと声を漏らす。
零くんは何に反応したのか? 彼の顔が見えないのでハッキリとは分からないけど、もしも正面を見ているなら、きっとわたし達の進行方向上に突如現れた『光』なのだろう。
現れた光の数は四つ。本当に小さな光だけど、かなり強い輝きのようでハッキリと確認出来る。だけど周りにその光は広がっておらず、まるで自らの正体を隠すように暗闇が残っていた。強い光なのに周りが照らされていないのは、光が狭い範囲に集められている……ライトのような道具が光源だからか。
「『伏せろ!』」
そしてその光の先から、男の人の大きな声で英語が聞こえてきた。ハッキリとした命令文だ。
次いで、カチャリ、という音が幾つも聞こえた。
その音はただの気の所為かも知れない。だけどもし気の所為じゃなかったら、地に伏せないと『彼』に逆らったというだけでは済まない。
もしかすると、蜂の巣だ。
「っ!? みんな伏せて!」
「え? お、おう!?」
「ルビィ早く!」
「きゃっ!?」
英語を聞き取ったわたしと零くんは命じられるがまますぐに伏せ、磯矢くんとルビィを伏せさせる。
すると次の瞬間、パパパンッ、という乾いた音が聞こえた。
本物なんて聞いた事がない。だけど映画とかアニメとかでは何度も聞いた……ううんやっぱり聞いた事がない『本物』の音。とても軽い破裂音で、背筋が凍るほど淡々としていて、凄く不気味に思える。
だけど同時に、凄く頼もしい。
それは人間が作り出した文明の利器である、銃が奏でる音色なのだから。
「『行け行け行け!』」
「『民間人四名確認! 救助する!』」
銃を撃ちながら、わたし達の行く手にあった光が近付いてくる。やがて光……ライトが付いた銃を持つ、迷彩服を着た軍人さん達がわたし達のすぐ傍までやってきた。
軍人さん達はわたし達の身体を掴んで立ち上がらせ、「よくやった」とか「もう大丈夫だ」と英語で話し掛けながら力強く引っ張って走り出す。進む先には何台もの大きなジープがあって、こっちに来いとばかりに手招きする軍人さんが何人も居た。
「な、なぁ、俺達……助かったのか!?」
英語が分からない磯矢くんが、だけど期待した声で尋ねてくる。
零くんはこくりと頷き、
「うん、助かったよ……ひとまずね」
ぽつりとそう答えた。
その言い方は、何か別の考えがあるような感じがした。だけどそれを聞く前に、軍人さん達はそれぞれが最寄りの車にわたし達を連れていこうとした。わたし達全員足の速さはバラバラで、話し掛けるにはちょっと距離が離れてしまう。背後から聞こえてくる銃撃音の激しさも、遠くから声を掛けようとする気持ちを少し鈍らせる。
何も言えないまま、わたし達は男女別々に車へと乗せられた。こんな時にもイスラム教的な配慮なのか、それとも偶々か。非常時だし、多分後者だろう。
お陰で、車の中でも零くんに話し掛ける事は出来ず。
ホッとした表情を浮かべるルビィの横で、わたしは、少しだけもやもやとした気持ちが残った。でもそのもやもやも、車が急加速で動き出して、銃声が一気に遠くなって……車の速さが普通になった時には霧散していく。
最後は、再会した時に訊けば良いかな、と思うようになって。
気を抜いた途端襲われた睡魔に抗わず、一足先にわたしの肩に寄り掛かってきたルビィに、わたしも身を預けるのだった。
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