居座る親玉

 テレビで放送されていた、体長六千七百メートルもの超巨大プラスチック生命体。

 もしも零くんの予想通り、ホテルを襲撃した怪物達がその怪獣と同種であるなら……体長二メートル未満の怪物は子供、というより赤ちゃんみたいなものだろう。これからどんどん大きくなる育ち盛りの筈だ。

 だから、ある意味これは想定内。むしろ不意打ちを喰らわなかった分、幸運とも言える。そして何より、何十メートルとか何百メートルとか、わたし達じゃどうやっても手に負えないサイズじゃなかったのだから、これ以上の幸運を望むのはちょっと欲張り過ぎというものだろう。

 でも、そのささやかな幸せを噛み締められるほど、わたしは人間が出来ていない。

 というかロビーを占拠する体長五メートルのプラスチック生命体を見て、「ああこんな程度で良かった」なんて思える人がいるのだろうか。

「人間大の個体なら強行突破もやれたけど、アレに挑むのは四人掛かりでも危険かなぁ」

「ああ、俺も同意見だ。こっちの攻撃が効くのかすら怪しいぞ」

 零くんと磯矢くんも警戒心を露わにし、ルビィは今もガタガタ震えている。

 ロビーに居座る大型の怪物は、人間と似た姿をしていた。

 勿論それは人間と見間違うという意味ではなく、頭があって手足があるという、輪郭的な話。わたしと零くんがロビーで見た、黒人男性を襲った出来損ないの人型と同じタイプの外見だ。手足はプラスチック製のオモチャのように切れ目の部分で動き、目も鼻も口もない頭を左右に開いて肉を剥き出しにしている。手足の先は鈍器のように丸く、相手を切り裂いたり物を掴むのには向いていない。

 大きな怪物はロビーの中央に座り込み、だらだらとしている様子だ。餌を探して動き出そうとする素振りは見られない。むしろふんぞり返り、偉そうな態度に感じられた。

 そうして観察していると、とことこと一匹の怪物が、わたし達が隠れているのとは別の廊下からロビーに現れた。まるで節足動物みたいに、六本の足と、頭や胸や腹を分ける括れのようなものが確認出来る怪物。スタッフルームがある方角から現れた小さな ― とはいえ体長二メートルはありそうだけど ― そいつは、大型の怪物の前までやってくる。

 次いで虫型の怪物の頭が裂け、中から出てきた肉塊が何かを吐き出した。

 どぽどぽと音を立てながら吐き出されたそれは、人間の吐瀉物よりも粘度が高いのか、黄ばんだソフトクリームのように積み上がる。すると大型の怪物は頭から出ている肉塊を伸ばし、その汚いソフトクリームを食べ始めた。虫型の怪物は吐き終えると、またスタッフルームの方に向かっていく。

「成程、興味深い生態だね」

 その光景を一緒に見ていた零くんが、ぽつりと独りごちた。

「……群れの仲間とかかな?」

「そう見えるね。ただ対等な立場ではなさそうだ。もしかすると彼等には社会性があるのかも知れない」

「アリとか、ハチみたいな?」

「そんなところかな。まぁ、流石に昆虫ではないと思うけど。外骨格ぽくないし」

 生態を予測しながら、しかし種族は断定は出来ず。もしも昆虫なら、殺虫剤で倒せたかもなのに……

「それで、どうする? さっきも言ったが、倒せるような大きさじゃないぞ」

 磯矢くんが零くんに方針を訊いてくる。零くんは口を閉じ、考え込む。

「べ、別のルート探しましょ。非常口だってあるんだから……」

 その沈黙の間に意見を出したのはルビィ。

 一刻も早く大きな怪物から離れたいのだろう。だけど出してきた案は決して悪いものじゃない。少なくともわたしには、ロビーに陣取る怪物の横を強行突破するより何百倍も安全な方針に思えた。

「……確かに、そうするのが良さそうだ。良し、非常口の方に向かおう」

「うん、そうした方が良いと思う」

 零くんが賛成し、わたしも同意した。

「いや、駄目だ」

 だけど磯矢くんが反対する。

 何故? わたし達の誰もがそう思い、彼の方を見遣る。磯矢くんはわたし達の方を見ておらず、食堂へと向かう廊下の先を見ていた。

 わたしは磯矢くんの視線につられて、廊下の奥に目を向ける。そうすれば、彼の言いたい事は一瞬で理解出来た。

 ――――怪物が居たのだ。わたし達の背後に。

 勿論すぐ近くじゃなくて、廊下のかなり先の方。蛍光灯が壊れていて暗いから距離感が掴みにくいけど、二~三十メートルは離れていると思う。動きも遅くて、こっちに来るまで時間は掛かる感じ。

 だけどのんびりしていられるほど、余裕がある訳じゃない。怪物は足を止める事もなく、淡々とこちらに向かってきているのだし。何より……

「数が多過ぎるなぁ」

 零くんが言うように、多勢に無勢だった。

 廊下の先に居た怪物の数、優に十体以上。動きが鈍いから部屋に侵入してきた奴よりは強くないかもだけど、流石にこの数を一度に相手するのは危険だと思う。

「な、なん、なんで……こんな群れが!?」

「……何処かにプラスチックゴミを纏めて置いていたのか、或いは備品倉庫か。そこに集まっていた奴らが、一斉に帰ってきたのかな。なんにしろ、奴等が姿を消していた理由が少しだけ分かったよ」

 淡々と分析しているように語る零くん。だけどその声はほんの少し早口で、僅かながら震えていた。

 これは、どうすれば良いんだろう?

 じっとしている? もしも奴等が満腹になったが故に帰ってきた集団なら、下手に動かなければやり過ごせるかも知れない。積極的に人間を殺そうという意思がない事は、部屋に押し入ってきた個体が生きてるわたし達を無視してシーツを食べ始めた事から明らかだ。

 だけどもしも奴等が餌場を喰い尽くして戻ってきたのなら、帰り道に転がっている食べ物を無視するだろうか? 小腹の空いた野生動物にそんな『お行儀』の良い態度を求めるのは酷だろう。

 通り過ぎるのを祈るのは、ちょっとばかりリスクが高い。じゃあ立ち向かうのが正解かと言えば、それも違うだろう。数からして勝ち目がないのは明らかなのだし。それに戦う際の物音でロビーの巨大な怪物がこちらに気付いたら、挟み撃ちの形になってしまう。

 やり過ごすのは危険過ぎ。立ち向かうのは駄目。なら、選択肢は一つだけ。

 逃げる事。

 ホールに陣取る大型怪物の横を、全力疾走で通り過ぎるのみ。

「……強行突破しかない、か」

「そ、そんな……」

 磯矢くんの独り言に、拒否感を示したのはルビィだけ。でもルビィが臆病とかおかしい訳じゃない。わたしだって、正直こんな事はしたくない。喜んでする奴なんて、そっちの方が絶対おかしい。

「ルビィ、手をつないで……わたし、不安だから」

 わたしはルビィの気持ちを静めようと、彼女の手を掴もうとした。

 よく見れば自分の手は震えていて、わたしも本当はルビィと同じぐらい怖かったんだなと、他人事のように感じる。何度も何度も怖い目に遭って、感覚が麻痺してしまったようだ。

 わたしの震える手を見たルビィは、ごくりと息を飲んだ。それから恐る恐る手を伸ばし、わたしの手を掴んでくれる。震える手同士でもつながれば、ちょっとだけ、その震えは抑え込めた。

「……ごめんなさい。気が動転して……」

「この状況で動転しないのは山本くんぐらいだよ」

「いや俺かよ!? お前の方だろ!?」

 ルビィの謝罪に、零くんが茶化すように磯矢くんにジョークを振る。磯矢くんがツッコミを入れ、零くんは肩を竦めた。

 ……それからくすくすと、四人で笑う。

 気持ち的には、ほんの少しだけではあるけどリラックス出来た。緊張ばかりしていると身体が強張り、動けなくなる。今は、きっとこれがベストコンディション。

 これから危険地帯を走り抜けるなら、この状態でいくしかない。

「さぁて、そろそろ出ないと後続組に追い付かれる……先頭はボクと山本くん、女の子達はそれぞれの彼氏の後ろに着く。ボクは怪物の右を通るから、山本くんは左を通ってくれ。二手に分かれてアイツを撹乱しよう――――というのが即興で思い付いた作戦なんだけど、何か代案あるかな?」

「ない」

「わたしも、それで良い」

「わ、私も……」

 零くん即興の、だけど現状他にない案を受け入れれば、準備万端。わたし達は全員と顔を見合い、同時にこくりと頷き……

「行くぞ!」

 磯矢くんの掛け声に合わせ、一斉に廊下の角から走り出すのだった。

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