憶測の正体
「……プラスチックで、出来ている……?」
無意識に、わたしは零くんの説明を復唱していた。次いでちらりと、部屋の隅に倒れている怪物の姿を見る。
確かに怪物の身体は少し黄ばんでいるものの半透明な色合いをしていて、部屋の明かりを受けて艶のある輝きを放っている。言われてみれば凄くプラスチックっぽい見た目だ。人形みたいな手の作りも、そのものズバリ、プラスチック製のオモチャと似たような構造をしている。
それにプラスチックの怪物なら、プラスチックで出来たゴミ箱を食べるのも納得だ。だってプラスチックで出来ているのだから、ご飯だってプラスチック……
ううん、やっぱ無理。上手く理解出来ない。
「プラスチックで出来た生物なんて、そんなのあり得るのかよ?」
「というか、プラスチックって生き物に対して有害じゃないの? ウミガメがビニール袋を胃に詰まらせて死んだとか、テレビでよくやってるし……」
磯矢くんとルビィも同じくすんなりとは納得出来ていない様子。
零くんは怪物から視線を外さず、その身体に触りながら説明を続けた。
「そうだね、プラスチックは自然界において非常に有害な物質だ。二〇三八年現在、海を漂っているプラスチックの総量は二億五千万トンになろうとしている。二〇一〇年代にプラスチックの使用量を減らそうという取り決めを作ったけど、経済発展や抜け道の利用で、結局全然機能しないまま今に至っている。お陰で数多くの海洋生物がプラスチックの影響で死に、海の生態系は滅茶苦茶だ」
「だったら尚更、プラスチックの生物なんて無理だろ。有害なんだから」
「いいや。有害だからこそ、適応の意味がある」
磯矢くんの意見に、零くんが力強く反論する。
「かつて植物の光合成により酸素が生まれた時、生物は絶滅の危機に瀕した。酸素は反応性が高く、細胞を酸化させてボロボロにしてしまうからだ。だけどその猛毒を上手く利用出来た種は、酸化により生じる莫大なエネルギーを用いて大繁栄した。それがボク達真核生物、正確にはミトコンドリアだね。生物は例え死に至るほど有害なものであろうとも、適応して利用する能力がある」
「……つまりコイツは、海の生物がプラスチックを食べられるように進化した存在って事か?」
「ボクはそう考える。プラスチックゴミと言うけど、結局のところそれらは物質であり、見方を変えれば資源だ。例えばペットボトルの主な原料であるポリエチレンテレフタレートの化学式はC10H8O4、つまり炭素・水素・酸素の塊だね。あとは窒素さえあれば、様々なアミノ酸の原料となる。優れた『栄養価』だと思わないかい? 付け加えると現在、地球の窒素汚染はかなり深刻だよ。農業では作物の生育を良くするため多量の窒素肥料が使われているし、途上国では工業で用いられたアンモニアや硫酸などの窒素系廃棄物の垂れ流しが後を絶たない。未だ世界の主流であるガソリン自動車の排ガスには、窒素酸化物が含まれている。人類がばら撒いている窒素の量は、今や自然界が固定している量を何倍も上回っているよ」
「……理屈は分かったし、利点があるのも分かった。だけど肝要なのは出来るかどうかじゃないか? 自然界じゃ中々分解されないから、プラスチックゴミを減らそうって話なんだろ? 生物がプラスチックを食べるなんて、本当に出来るのか?」
「出来る。少なくとも二〇一〇年代にはプラスチックを食べる細菌と昆虫が発見されているからね。とはいえこんな風に身体の一部とするような種は発見されていない。突然変異で身に着けたのか、はたまた今まで発見されなかった希少種がゴミだらけの環境で爆発的に増殖したのか……次の研究テーマにしたいところだよ」
此処から無事に帰れたらだけど――――最後に付け加えられた言葉を、わたし達は笑う事が出来なかった。
勿論、これは零くんの推測だ。推測でも良いから教えてとこちらが頼んだからした話であり、零くん自身確信がある訳じゃない。
だけどもしそうだとしたら……
「……人間が海を汚し過ぎた結果生まれた化け物、なのか?」
「ボクはそう思う。プラスチックに触れる機会が増えれば、それだけプラスチックを利用する生物は『適応的』な存在となるからね」
「人間を襲う理由は?」
「人間も相当量のプラスチックを体内に取り込んでいるからじゃないかな。一説には一週間で免許証一枚分とも言われているよ。服だって、大半の人が着ているのはナイロン製だろう? 繊維にしているだけで、これだってプラスチックの一種さ。もしもアイツらがプラスチックを探知出来る能力があるなら、人間も餌に映るかも知れない。まぁ、シーツが傍にあればそっちを食べる程度の、弱い興味みたいだけど」
「ならこれは自業自得の結果ってか? 畜生ッ!」
磯矢くんが声を荒らげる。床を蹴ったり叩いたりしないところに人となりが出ていて、だけどぎゅっと握り締めている拳から、彼が抱いた気持ちは察せられた。
「……ねぇ、これが天罰とかなら……わ、私達……」
そしてルビィの不安も。
もしもこの怪物の正体が零くんの予想した通り、プラスチックによる海洋汚染に適応した生物なら、その発生原因はプラスチックを創り出した人間にある。
この国に現れたのも、偶然じゃないだろう。観光を始めてすぐ、零くんの希望で向かったゴミ処理施設。あの施設の敷地内からはぼろぼろゴミが零れていた。あんな風にプラスチックゴミが定期的に落ちれば、それはプラスチックを餌とする生物にとっては願ってもない環境だ。あそこのゴミが怪物達を育んだに違いない。
そんなゴミをこの国に送りつけたのは、わたし達先進国の人間。
わたしは、進化論は正しいと考えている身だ。神様が生き物を作ったとは、これっぽっちも信じていない。だけど人類の環境汚染により誕生した生物が現れたとなれば、自然からの逆襲という言葉が脳裏を過ぎる。
自然がわたし達を襲う。それは正しく『天罰』だ。なら、そこから生きて帰るなんて……
わたしも、ルビィも、多分磯矢くんも、不安から口を閉ざす。
「何も問題はない」
だけど零くんは、ハッキリとわたし達の不安を否定した。
「……え?」
「天罰な訳ないだろう? というかそんな大それたものじゃないよ。ボク個人の意見だけど、環境汚染というのは『夏休みの宿題』に似ていると思う」
「夏休みの宿題?」
「夏休みに入る前、自然という名の先生が言うんだ。二学期の最初の授業で宿題を提出してもらいますって。勿論ボク達人類は宿題があるとちゃんと理解した。ところが人類は、まだ夏休みは始まったばかりだとか、こんなの簡単だから一日で出来るとか、別に提出しなくても平気だとか言ってサボり続ける」
「……………」
「そして夏休みが明けて最初の授業の日、ボク達はこう言うんだ。『ああ! ボク達が宿題をやらなかったばかりに先生が怒っている! これが天罰なんだ!』……何言ってんだコイツって思うだろう?」
零くんの例え話に、ルビィと磯矢くんがキョトンとしていた。そしてわたしは、くすりと笑みが零れる。
これは、零くんが何時も言っている事。
環境問題により引き起こされるものは、断じて天災じゃない。人間が馬鹿やって、人間が勝手に周りを壊して、その結果みんなが迷惑している『人災』だ。それを裁きだなんだと言うのは、幾らなんでも自己陶酔が過ぎるというものだ。
そうじゃない。わたし達は考えないといけないんだ。この宿題の片付け方を。
あと、ひとまず先生の殺人的ゲンコツをもらわないための逃げ方も。
「……ちなみに、先生からの逃げ方は閃いた?」
「とりあえず籠城して、助けが来るのを待つべきかな。戦ったお陰で分かったけど、コイツらは別に映画のモンスターみたいな馬鹿げた強さじゃない。それなりの武器を装備して、数で上回れば勝てる相手だ。警察が出動してくれれば、すぐに退治してくれると思うよ」
零くんの例え話を理解したわたしは、零くんの案を伺う。冷静な答えに、ルビィと磯矢くんもやっと落ち着きを取り戻した。二人とも、自分達が死ぬと決まった訳じゃないと気付いたのだろう。顔に安堵の色が浮かんだ。
「とはいえ何時助けが来てくれるかは分からないけどね。救助活動の状況ぐらいは把握したいんだけど……」
「あ、それならテレビ見れば良いんじゃない? 電気は来てるみたいだし、多分点くでしょ」
冷静になると良い考えも浮かぶようで、天井で輝く蛍光灯を指差しながらルビィが零くんに提案する。「おっと、確かそうだね」と失念していた事を白状しながら、零くんは部屋のリモコンを探した。
リモコンはベッドがあった場所に転がっていて、零くんはそれを拾うとすぐテレビの方に向ける。テレビは問題なく点いた。
映し出された番組は、丁度ニュースのようだった。若い女性アナウンサーと年老いた男性が早口の英語で話している。他にも歳を取った、権威を感じさせる人が数名スタジオに居るようだ。
【……つまり、このプラスチックの外殻を持つ生物は、隣国の生物兵器である可能性は低いという事でしょうか?】
そして女性アナウンサーは、こんな質問を男性達にしている。
プラスチック云々と話している。ならきっと、このホテルに現れた怪物の話だろう。この番組内で、警察がどうとか、軍隊がどうとか、そういう話があるかも知れない。
わたしはそれを期待し、思わず前のめりになる。零くんも心なしか身体が傾いていて、わたしと同じ気持ちのようだった。ルビィと磯矢くんは英語が分からないのでそこまでの反応はしていないけど、テレビ画面は注視している。
【……先程からお伝えしています通り、ガウンダ地区に正体不明の生物が出現しました。プラスチックで出来た外殻を持つ、未知の生物です。出現時の映像がこちらになります】
そんなわたし達の見ている前で、女性アナウンサーは冷静な口調で怪物が現れた時の映像を流すと言った。
だからその直後に切り替わったテレビ画面に映るのは、わたし達が泊まっているホテル
――――の筈なのに。
何故か、巨大な『何か』が映し出された。
「……え……?」
困惑した声を漏らしたのはわたしだけ。だけどその映像が始まった瞬間、みんなの動きがピタリと止まった事から、誰もが頭が真っ白になったのだろう。
テレビに映し出された映像は夜なのか真っ暗で、空を飛んでいるヘリコプターが『何か』を照らしている。『何か』の傍には明かりの灯された『工場』らしきものがあったけど、『何か』から見ればまるでミニチュアのよう。それだけでテレビに映る『何か』がどれだけ大きいか分かる。
分かるけど、あり得ない。
だってこのテレビに映し出されるのは『プラスチックの生物』の筈。プラスチックの生物とはつまり、わたし達のホテルに居る奴等の事で……
この映像のおかしさを、なんとか言葉で並び立てる。だけどそれは無駄な事だった。この映像は、本物なのだから。
現実逃避するわたしに突き付けるかのように、女性アナウンサーはこう告げるのだ。
【この映像は、全長六千七百メートルの超巨大プラスチック生命体を撮影したものです。これはSFXではありません。これが現実の世界に現れた、我が国を襲撃している巨大怪獣の姿です】
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