望まない直接対決
ドアを叩く音は、何時まで経っても止む気配がない。むしろ段々と強くなっている事が、ドアからメキメキと鳴っている音の大きさから窺い知れた。
もしもドアの向こうに居るのが人間なら、罵声や掛け声の一つぐらいは聞こえてくる筈だと思う。一言も発さず、強い力でドアを叩き続けるというのは、凄く不気味な事だ。
わたし達が説明しなくても、ルビィと磯矢くんにも伝わっただろう。今、この部屋の外で起きている出来事がどれだけ異常なのかは。勿論、それだけ分かれば十分だから説明をサボろうなんて思わないけど。
「……何が起きている?」
「簡単に説明すると、化け物がホテルに侵入してきた。人が襲われたから、ドッキリじゃない。以上」
「分かった。とりあえず、そう理解する」
零くんの簡素な説明に、磯矢くんは即答する。磯矢くんも信用しているのだ。零くんはしょうもない嘘なら吐くけど、真面目な顔でジョークは言わない事を。
ルビィもそれは知っている……なのだけど、彼女はか弱い女子。男の子達ほど、すんなりと現実は受け入れられないようだった。
「ば、化け物って、どういう事よ!? その、頭のおかしい人とか、て、テロリストじゃなくて……?」
「うん、人間じゃないねアレは」
「ルビィ、落ち着いて。えっとね、ちゃんと説明――――」
困惑するルビィを宥めようと、わたしはロビーでの出来事を話そうとした。
話そうとしたけど、それは間に合わない。
何故なら閉めていたドアが、ついに破られてしまったのだから。
「ひっ!?」
「な、なんだありゃ……」
ドアが破られる破壊音につられるように、ルビィと磯矢くんはそちらを見て、そして唖然とした声を漏らす。
部屋に侵入してきたのは、人型とは似ても似つかない怪物だった。
いや、怪物……生物というのは違和感を覚える。何故ならそいつはキュウリのように細長い『胴体』の前方に、一輪の『タイヤ』があるという、なんとも機械的な姿をしていたのだから。だけど胴体中心部からはとても長い人間の、ううん、人形の腕みたいなものが生えてるから怪物……?
あまりにも奇妙な外見に、ロビーで散々怪物の姿を見ていたわたしまでもが固まってしまう。ルビィや磯矢くんなら尚更だ。
「危ない!」
動けたのは、大声を上げた零くんだけ。
零くんは、わたしの傍に立っていたルビィに体当たりをお見舞いした。呆けていたルビィは簡単に突き飛ばされ、受け身も取れず床に転がる。親友が突き飛ばされた事でわたしは我に返り、彼氏である磯矢くんも同じく正気を取り戻す。
だけどわたし達はどちらも零くんを非難したりしない。
零くんはドアの方から突撃してきた怪物の体当たりを、ルビィの代わりに受けてしまったのだから。
「がふっ!?」
「れ、零くん!?」
「ぐっ……こ、の……!」
零くんは怪物に押し倒され、ベッドとその身を挟まれている格好になっていた。両腕を伸ばして怪物の胴体を支え、少しでも離そうとしている。
だけど怪物の胴体の前方にある車輪みたいな部位は大きく、零くんの顔面近くまで迫っている。車輪はぐるぐると激しく回り、もしもそれが顔の皮膚と接触しようものなら――――
過ぎる不安と恐怖。だけどそれを感じたわたしの身体は、身動きが取れなくなってしまう。
「こ、の野郎ッ!」
わたしの代わりに零くんの下へと駆け出したのは、磯矢くんだった。
いや、磯矢くんは零くんに駆け寄っていた訳じゃない。怪物目掛けて突撃していた。弾丸のような、という表現しか思い付かない猛スピードで磯矢くんは怪物とぶつかり合う。
磯矢くんはぶつかった衝撃で大きく吹き飛ばされたけど、怪物も同じく吹き飛び、ホテルの壁に激突した。零くんはその隙に身体を転がすようにして移動し、わたし達の下にやってくる。わたしはすぐ、零くんを抱き締めた。
無事に戻ってきてくれた。
本当は大声で泣いて喜びたい。でも、そんな余裕はないだろう。
怪物は起き上がり、車輪と腕を激しく動かしていたのだから。
わたし達は怪物と睨み合う……と、怪物の胴体の一部、車輪があるところの近くが裂けた。そしてそこから、溶けた黒い肉のようなものが伸びてくる。
ロビーに現れた怪人とこの怪物が同じ生物なら、あの黒い肉にも人間の顔面を削り取るぐらいの力はあるのだろう。
わたしは一層強く零くんを抱き締めた。零くんもわたしを抱き、磯矢くんはルビィを守るように前に出る。
そして、
……怪物が伸ばした肉の塊は、何故かベッドのシーツに向かった。シーツを掴んだ肉の塊は、きゅっきゅっと音を鳴らしながらシーツを食べている。
わたし達の事など、お構いなしだった。
「……あれ?」
「こ、こっちに来ない、の?」
「……零。どうする?」
困惑するわたしとルビィ。磯矢くんは零くんに尋ね、零くんも考え込んだまま答えない。
やがて怪物はシーツを全部食べてしまった。次に肉塊を伸ばしたのは、いよいよわたし達……ではなくプラスチック製のゴミ箱。中のゴミを漁る、のではなく、ゴミ箱そのものを噛み砕いて食べている。わたし達なんて、目にも入っていないようだ。
少なくとも急ぎの危険はない、ように感じる。そのお陰で考えが纏まったのか、零くんがぽつりと話し始めた。
「……今はゴミに夢中だけど、何時こっちに気が向くか分からない。よって取るべきは方針は二つだ」
「二つ?」
「一つはあの怪物の後ろを通り、この部屋から出る。もう一つはあの怪物が隙を見せている間に殴り殺す」
「……それぞれのリスクはどんなもんだ?」
「後ろから逃げる方は、突然アイツが振り返ったりしたら一人はやられるって事。あと廊下にコイツの仲間が居たら、地獄の追い駆けっこが始まるかも知れない。倒すのは、コイツの強さが分からないからなんとも言えない。でもまぁ、一対一だと多分無理なぐらいには強いね、うん」
「つまり、二対一ならやれるんだな?」
磯矢くんに訊かれ、零くんはこくりと頷く。わたしを抱き締めていた腕を放し、自力で立ち上がった。
零くんは部屋の隅、そこに置かれていた小さな棚に向かい……引き出しを開け、ガコガコと揺さぶって、ついに外してしまう。棚から外れた引き出しは、立派な鈍器だった。
磯矢くんは武器を持たなかったけど、拳を握り締め、格闘家みたいな構えを取る。わたしとルビィは、二人の邪魔にならないよう部屋の隅へと移動した。
準備を終えた男の子二人は、じりじりと怪物に近付く。怪物はゴミ箱に夢中で、二人の方には見向きもしない。
「と、りゃあっ!」
十分距離を詰めた零くんは、力いっぱい手に持つ
木製のそれは激しく怪物の半透明な胴体にぶつかると、呆気なくバラバラに砕けた。見た感じ怪物はそんなにダメージを負っていないようだったけど、ゴミ箱を食べる手が止まる。
「ぬおおおおっ!」
次いで磯矢くんが、渾身の蹴りをお見舞いした。
蹴られた怪物は、大きく吹き飛び壁に叩き付けられた。黄ばんだ半透明な身体にヒビが入り、バギンッ! という音と共に車輪が外れる。
それでも怪物はまだ死なず、人形のような腕を振り回して反撃してくる。よく見れば腕の先は鋭く、引っ掻かれたなら肉を切られてしまいそうだ。それに胴体から出ている黒ずんだ肉も健在である。
流石の磯矢くんも肉には触れたくないのか距離を取る。だけど手がない訳じゃない。人間には知恵があり、道具を使う事を得意とするのだ。
「これは、どうだ!?」
零くんは、力いっぱい何かを振り付けた。
電気スタンドだ。磯矢くんが怪物を怯ませている間に、零くんはベッドの傍に置かれていたものを手にしていた。
彼が叩き付けた電気スタンドは無防備に伸びていた肉塊に命中する。引き出しを胴体に当てた時はまるで効かなかったけど、鈍器の一撃を受けた肉塊の方は、ぐちゃりと潰れた。
やはりと言うべきか、胴体ほど硬くはないらしい。零くんは何度も何度も肉塊を殴り、やがて肉塊は力尽きるようにぐったりする。
それから、どろどろと溶け始めた。
元々溶けた肉のような質感だったけど、今度は完全な液体になっていた。床に広がり、カーペットの染みになってしまう。未知の存在にこちらの常識がどれだけ通じるかは疑問だけど、ここから元気に復活するのは難しいと思う。
多分、きっと……倒せたんだ。
「山本くん! ベッドを持ってくれ! ドアを塞ぐのに使いたい!」
「あ、ああ! 任せておけ!」
だけど一安心するには早く、零くんと磯矢くんは部屋のベッドを二人でドアの近くまで運び始めた。わたしとルビィもこれなら手伝いが出来そうなので、立ち上がり、二人の下に駆け寄ってベッドを持つ。
ドアを閉め、ベッドを積み上げ……念のためもう一つのベッドをベッドの上に乗せた。だけどドアの鍵は壊されたので施錠が出来ないため、これだけじゃ心許ない。
追加で棚とかリュックとか、重しになりそうなものをベッドの上に積み上げた。最後に磯矢くんがベッドを背もたれにするように座り込んで、これでひとまず封鎖出来たものとする。
「……それで? コイツはなんなんだ?」
そうして一息吐いてから、磯矢くんは零くんに尋ねた。
零くんと磯矢くんが倒した怪物は、今も部屋に横たわっている。溶けた肉はカーペットの染みになったけど、半透明な身体の方は変わらず残っていた。
零くんの攻撃を受けた後肉がどろどろに溶けたので、多分死んでいると思う。だけど本当にそうかは分からない。外に出てきた肉なんて全体の一部で、今は安静にして溶けてしまった部分を再生させているだけという可能性もある。
もしかしたら今この瞬間にも立ち上がり、わたし達に襲い掛かるかも知れない。
「良し、ちょっと調べてみよう。安全確認も必要だしね」
その危険性を推し量るためにも、零くんは自ら危険な役目を買って出る。
「零くん、気を付けて……」
「うん。心配してくれてありがとう」
わたしの言葉に答えながら、零くんは慎重に怪物へと歩み寄る。恐る恐る手を伸ばし……ゆっくりと、怪物の身体に触れた。
一度触れたら、段々と大胆になっていく。コンコンと叩いたり、色んなところを弄るようになったり、持ち上げてみたり……見ているこっちはハラハラもので、傍に居たルビィの手を無意識に握り締めてしまった。
やがて零くんは、納得したのかこくりと頷き、怪物から離れる。
「さっぱり分からないね! 死んでるのかどうかも含めて!」
そして堂々と、そう答えた。
……いや、まぁ、うん。ちょっと触ったぐらいで正体や生死が分かるなら、大仰な研究室とかいらないよね。こんな未確認物体Xなら尚更。
でも零くんならもしかしたら、なんて期待があったのも事実で。
「えぇ……本当に何も分からなかったの? 推論とかでも良いから……」
ルビィのように、不確かでも答えを求めたくなる気持ちはわたしにも分かる。
でもわたしは、その点についてはあまり心配していない。
零くんが分からないと言う時は、大抵「確かな事は」という先頭の言葉が隠れているだけなのだ。彼は科学者を目指す身であり、不確かな事を言いたくない性分なのである。
こちらから不確かでも良いからと頼めば、零くんはきっと答えてくれる筈。
「零くん、今は兎に角情報を出し合った方が良いと思うの。みんなで考えれば、何か良い案が閃くかも知れないし」
「……ああ、そうだね。確信を持てないと動けないのは、悪い癖だなぁ」
「慎重なのは良い事だよ」
ちょっと気落ちしそうな零くんをフォローしつつ、わたしは彼の話を待つ。悪い癖と言うけれど、分かっていても人の性根は早々変わらない。零くんは少しの間、躊躇うように口もへの字に閉じる。
それでもしばらくすればゆっくりと、閉じていた口は開き、
「この生物はプラスチックで出来ている。全く新しい、未知の存在だ」
わたしの、或いはわたし達の理解の追い付かない説明を、始めるのだった。
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