楽しい逢い引き
ルビィは凄く女の子らしい女の子である。
見た目は派手で、お化粧とかもちゃんとして、何時もハキハキ元気満々だから『遊んでいる』という誤解もされがちだけど……心は真逆。物凄く純情な乙女で、本当に嬉しい事があると、一日どころか何日も恋する乙女モードになってしまう。
「る、ルビィ! その、こ、これ、受け取ってくれ!」
例えば今みたいに、『
わたしとルビィが寝泊まりするホテルの部屋にて。窓から見える月と海が綺麗だねーと二人で話していた夜七時頃、突然磯矢くん(あと付き添いの零くん)が訪れた。彼はわたしと零くんが見ている前で、前置きも何もなく懐から小さな指輪の箱を取り出し、ルビィに差し出してきたのである。
箱の中の指輪は宝石とかが付いていない、シンプルな輪っか……確かドームというデザインのもの。ルビィが言っていたように『無骨』で、だけど素朴でもあって、磯矢くんの人となりが現れているような気がする指輪だった。
……婚約指輪としては、ちょっとシンプル過ぎる気もするけど。
そもそも情熱的な言葉と顔付きではあるけれども、部屋に入った瞬間とかムードも何もない。個人的にはもうちょっと工夫して、とも思う。だけど貰い手であるルビィは悪態どころか表情を顰める事すらなく、茹で蛸のように顔を赤くしながら指輪を受け取る。
そしてなんの躊躇もなく、というかその指輪がなんであるかも確かめずに、自分の指に嵌めた。具体的には左手の薬指に。
「……………」
「そ、その、やっぱりこういうのは、もっとちゃんと選びたいけど、なんか期待させてるみたいだから何も買わないのも良くないと思ってええっとつまりなんだこれはその本物じゃなくていや勿論気持ちは本物なんだがつまりだなええっと」
「……………」
べらべらと話しまくる磯矢くんに対し、ルビィは沈黙したまま。ぼぅっとしながら自分の指に嵌めた指輪を見ている。
相手から反応がないと人間というのは焦るもので、磯矢くんはわたふたしていた。心配する必要なんてない、と教えてあげたいけど、今の磯矢くんもこっちの話を聞く余裕はないだろう。
わたしはルビィの傍を離れ、零くんの下へと向かう。零くんはニコニコ、楽しそうに笑っていた。
そんな零くんに、問い掛ける。
「念のために訊くけど、あれ、婚約指輪だよね?」
「ん? あー、どうだろう? 本物は別に買うって言ってたけど」
「別に?」
そういえば、本物じゃない云々と磯矢くんも言っている。
まぁ、勿体振ってるだとかケチったとかじゃなくて、磯矢くんが話してる通りもっとじっくり選びたいからなんだろうけど。一体何日迷うつもりなのかな……
「なら、あの指輪は?」
「プラスチック製の、まぁ、見た目だけはちゃんとしている奴だよ。お値段なんと百ドルぽっきり」
「……微妙に高い」
「プラスチック製だと思えばね。でもプラチナとよく似た輝きを出し、軽量で扱いやすく、傷も付きにくい。耐熱性もあるから料理中に溶けて火傷する心配もなし。性能的には価格に見合ったものはあるだろうね。個人的には、ダイヤとかプラチナのような稀少金属は装飾品じゃなくて工業用にすべきだと思うから、あのタイプの指輪が一般化するのは好ましいと感じる。勿論プラスチックの処理には多くの問題があるから、その点をきっちり解消した上での話だけど」
「だからわたしの指輪、ダイヤじゃなくてエメラルドにしたの?」
「……いや、あの時それは考えてなかったな。なんだかんだいっぱいいっぱいだったよ」
しっかり思い出してから語る言葉に、嘘はない。彼はこういうところで嘘を吐くタイプじゃないから。でも、そっか。いっぱいいっぱいだったんだ……嬉しいな。
……さて。
「ルビィと磯矢くん、まだあの調子だけど、どうする?」
わたしが指差す先には、未だわたふたしている磯矢くんと、その磯矢くんの前で沈黙するルビィの姿がある。
零くんは沈黙し、しばし考え込む。考え込んで、大きく頷いた。
「放置で」
「だよねー」
そして出された答えに、わたしは特に反対しなかった。
ああなったルビィは余程の ― 頭から水をぶっかけるとかの ― 事がない限り、我に返らない。
どうにもならないなら、放置するのが一番だ。時間が全てを解決してくれるのである、多分。あとお腹が空いてきたので、ご飯食べに行きたい。
「そろそろ夕食の時間だし、わたし達だけで食堂に行こうか」
「そうだね。部屋の鍵はどうする?」
「掛けとく。今の二人じゃ、部屋にこっそり泥棒が忍び込んでも絶対気付かないし」
「全く同意見だ……ボクは一度部屋に戻って再度戸締まりの確認と、あと貴重品を取ってこよう。こっちの戸締まりは任せて良いかい?」
「うん、大丈夫。しっかり閉じ込めておくね」
「じゃ、よろしく」
零くんはそう言うと、すぐに自分の部屋へと戻った。
わたしも自分の荷物の中から、スマホとか財布を取り出す。それからスリとかに取られないよう、お洒落なチェーンで服と結び付けた。パスポートも念のため肌身離さず持っておく。
……身支度はこんなもので良いだろう。後は、自分の世界に入ってる二人に一応伝えておかないと。
「わたし達、ご飯食べにいってくるね。二人とも留守番よろしく」
「……うん」
「え、ああ、うん、えとだからその」
「メモ書き残していくから。あと、部屋の鍵は借りてくからね」
「……うん」
「ああ、ああそうだな。ああそうじゃなくて」
二人の中身が一切ない返事を聞きながら、わたしは部屋の鍵を手に取る。次に綺麗な月明かりと爽やかな磯風が入る窓を締め、テレビがちゃんと消してある事を確認。最後に、わたし達が何処に行ったのかをメモに書いて残しておく。どうせ帰ってくるまで、一度も我に返らないだろうけど。
これで準備は万端。
「じゃ、いってきまーす」
外出を伝えてから、わたしはしっかりと部屋の鍵を閉めた。とりあえず、これで良し。
「やぁ、キララ。お疲れ様」
そうして部屋の前に居たところ、既にホテルの廊下に居た零くんに声を掛けられた。振り向いて、自然と笑みが浮かぶ。
「あまり疲れてはないよ。こっちが一方的に話すだけなんだから」
「それはそれで大変そうだけどね。ほんと、二人ともちょっとしたイベントがある度にこれだ」
「手を繋いだとか、キスをしたとか、そんな事で毎度毎度わたふたしてるもんねー。反応の仕方は二人で全然違うけど」
「話を聞かないという意味では一致してるかな」
「あー、確かにそうかも」
そういう意味では似たものカップルと呼べるのだろうか。なんだか可愛らしく思えて、くすくすと笑い声が漏れ出てしまう。
……あと、これを思うのはルビィ達に失礼なんだけど……零くんと二人きりになれて嬉しい。
「えと。じゃあ、あの、手をつないで、一緒に、食堂まで行こっか……?」
「おっと、先に言われてしまったか。うん、よろしく頼む」
尋ねてみれば零くんは迷いなく、わたしの手をぎゅっと握り締めた。ちょっと強めに握られると、男の子だなって感じがして、頼もしく思えるから好き。
わたし達が寝泊まりする部屋はホテルの三階で、食堂は一階にある。具体的には部屋とつながる穏やかな明るさに満ちた廊下を進み、階段を下りればすぐの場所。五分も掛からずに到着だ。すぐに辿り着けるのは有り難いけど、零くんとの手つなぎが五分で終わるのは、ちょっと寂しい。
「あの調子だと、山本くんは千原さんが正気に戻るまで駄目そうだよね。千原さんは何時正気に戻ると思うかい?」
「うーん、あの感じだと……三日?」
「旅行、終わっちゃうね」
「終わっちゃうねー」
「まぁ、楽しめているという意味では問題ないか。残りの日程を僕達二人きりの旅行に出来るのは個人的に嬉しいし……ああ、そうだ。夕食の後は二人きりでプールに行こうよ」
「プール?」
「此処、夜もプールを開放しているんだ。流れとか波がなくて、浅いプール限定だけど」
零くんのお誘いに、わたしは少し考える。
勿論嫌な訳がない。零くんと一緒にプールで遊ぶなんて凄く楽しみだし、夜のプールとかロマンチックな感じがするし。
……ただ。
「……もしかして水着が見たいから?」
「うん。昼間は観光だけで、プールに行く時間なかったし」
知ってた。即答するのも分かってた。零くん、自分の欲望に素直な人だから。
「零くんのえっち」
「彼女の可愛い姿は誰でも見たがるものさ。おあずけされたら尚の事だよ」
「うぅ……」
頬が赤くなるのを感じる。零くんはこういう時、ジョークでも嘘は言わない。本当にそう思っているというのが分かるから、余計に恥ずかしい気持ちになる。
だけどそうやって求められるのは、嫌じゃない。むしろ嬉しいぐらい。
だからこそわたしも、新しい水着を買ってきた訳で。
「……もう、仕方ないなぁ。良いよ、後で見せてあげる」
「やった!」
もっと凄いものも見てる癖に、水着だけで中学生みたいに喜ぶ零くんは凄く可愛いと思った。
そんな他愛ない話をしていたら、もう食堂が目の前まで来ていた。
食堂と言っても高級レストランみたいに綺麗な場所で、開かれている大きな扉の前から覗き見ても分かるぐらいたくさんのテーブルと席が置かれている。照明は夕方みたいな淡い橙色で、大人のムードを感じさせた。
部屋の奥には料理がたくさん並べられ、人々はそれぞれ自由に料理を皿に盛っていく。所謂バイキング形式らしい。夕飯の時間帯というのもあって、たくさんの人が食堂内を行き交っていた。見たところ殆ど全員がわたし達と同じ外国人観光客。アジア系の人の姿はあまりなくて、多分わたし達の日本語を理解出来る人はそんなにいないと思うけど……でももしもさっきの会話を聞かれたら、恥ずかし過ぎる。零くんと『二人きり』だと、言動に抑えが利かないかもだし。
口をもごもご動かしながら閉じ、小さく咳払い。零くんはわたしの『挙動不審』をじっと見ていたけど、表情一つ崩さない辺り多分こちらの考えなんてお見通し。
なんか一人だけいっぱいいっぱいになってる感じがして、ちょっと悔しい。
「じゃ、行こうか」
「う、うん」
だけどその悔しさは、零くんがわたしの手を引っ張るだけで消えてしまうのだけど。
入った食堂の中は、外から眺めるよりもずっと賑やかだった。大学の食堂と同じぐらいか、或いはそれ以上の広さなのに、それでも窮屈さを感じるぐらい人でごった返している。ぐるりと一望してみれば、大勢の人が席に座っていると確認出来た。
……というかたくさん座り過ぎてて、空いてる席が見付からない。
「なんか、満席っぽくない?」
「そうだね。まぁ、夕飯時だから混雑もするか」
「どうする? 待ってる?」
「うーん、確かにキララと話していれば時間なんてすぐに過ぎるだろう、けど」
「けど?」
「二人きりだと話に夢中になり過ぎて、食堂が閉じる時間になりかねない」
零くんが真顔で発したバカップル発言を、彼女であるわたしは否定出来なかった。
ルビィ達がいればきっちり時間を見てくれるのでそういう心配は要らないのだけど、そのルビィ達が今は機能不全状態。わたし達だけじゃ、間違いなく時間を守れない。
今更だけど、わたし達も人の事を言えたもんじゃない。むしろ平時でこの調子なのだから、より重傷だろう。いや、重体?
「……困ったね」
「困った困った。話すだけなら話題はいくらでもあるんだけどね」
「例えばどんな?」
「窒素肥料の大量使用による海洋汚染問題についてとか」
「……わたしも環境学を学んでるから、話せなくもないけどさぁ」
「はは、冗談さ……そうだね、それじゃあ適当にホテル内を見て回ろうか」
「一周したら、また食堂に入る感じ?」
「そう。これなら適度に時間を潰せて、尚且つ潰し過ぎる事もない」
「良いね、そうしようか」
方針を決めたわたし達はホテル内を見回るべく、食堂を出た。
食堂から三分ほど歩いた先には、このホテルのロビーがある。ロビーには勿論ホテルの出入口があり、此処から海と面しているプールにも行けるらしい。
今はもう夕飯時なのだけど、ホテルを出入りしている人の数は少なくない。ロビーにも十数人の宿泊客がたむろしていて、お喋りをしている。フロントには二人の黒人の女性スタッフが居て、宿泊客の様子をチェックしているみたいだった。
食堂へと繋がる道から見て、ロビーの左側の通路の奥にスタッフルームと書かれた扉がある。わたし達宿泊客は立ち入り出来ない場所だ。ぼんやり眺めていると、大きなゴミ袋……多分中身はペットボトル。ホテル内に設置されている自販機のゴミだろう……を持って、中に入るスタッフの姿も見られた。ゴミ捨て場へとつながる裏口でもあるのだろう。
今度は右側の通路に目を向けると、観光客らしきラフな格好の人が出入りしている部屋があった。名前が書かれた看板とかはなかったけど、ロビーの壁にあった地図曰く、レクリエーションルームらしい。宿泊客であるわたし達も入れそうだ。
「零くん、あそこレクリエーションルームみたい」
「そうなんだ。ちょっと寄ってみようか」
「うんっ」
零くんと共に、わたし達はレクリエーションルームへと向かう。
レクリエーションルームは、これまた大混雑だった。廊下とか食堂と違い、ギラギラと眩しい蛍光灯に照らされている。中はまるで日本のゲームセンターみたいに、大きな機械がたくさん置かれていた。種類はパンチングマシンやレースゲーム、それに……なんで卓球台があるの? 麻雀台まであるし。
なんというか、売れそうなものを兎に角詰め込んでみましたという感じが強い光景だ。
「うーん、マナーが悪いなぁ」
そんな風にわたしは機械の方を見ていたのだけれど、零くんは別のものを見ていた。
部屋の隅に置かれている自販機だ。いや、正確にはその自販機の傍に置かれている、ペットボトルが溢れているゴミ箱かな。ゴミ箱にはまだまだ入りそうなのに、ペットボトルが近くを転がっている。おまけに中身が半分ぐらい残っているものもちらほら……見るに堪えない。
「アレも、纏めて捨てられちゃうのかな」
「多分ね。あんなに『異物』がある状態でリサイクルしてもろくなものが出来上がらないし、だからって汚れを取り除くのだって手間。間違いなく今日見てきた場所に捨てられるだろうね」
「だよね……」
零くんの話に、わたしは肩を落としてしまう。零くんほどじゃないけど、わたしもちょっとは環境学に精通している身だ。そういった事には敏感である。
この観光地は治安が良いので、自販機もたくさんあるだろう。もしもその自販機の傍にあるゴミ箱がみんなこの調子なら、きっと毎日大量のペットボトルがゴミとして埋め立てられ……
そう思った時、ふと、違和感を覚える。
あのゴミ処理施設の敷地内、ペットボトルなんてなかったような気がする。
ペットボトルだけ別の場所に運ばれているのかな? でも、なんでそんな面倒な事をするんだろう。勿論良くはないけど、纏めて捨てちゃえば楽なのに――――
「どうするキララ。此処で遊ぶかい?」
頭を過ぎった考えに、だけど深く考え込む前に零くんがわたしの意見を訊いてきた。我に返ったわたしは、少し考える。
正直、この場所で遊ぶ気にはならない。なんというか「お金を稼いでやる」という意思をひしひしと感じて、苦手なのだ。ホテルの外に並ぶお店だって似たようなものだけど、ここは特にその『雰囲気』が強い感じがする。嫌いとかなんだとかじゃないけど、わたし的には居心地が悪い。
それにゴミ箱周りが汚い場所にはあまり近寄りたくなかった。この後に夕食なら尚更である。
「……ううん、止めとく」
「そっか。じゃあ、ロビーの方に戻ろう」
わたしが自分の気持ちを伝えれば、零くんはすぐに頷き、レクリエーションルームから離れる。手を引かれる形で、わたしもレクリエーションルームを後にした。
そうしてロビーに戻ってきたけど、でも何処に向かうかとかは決めてない。零くんが足を止めたので、わたしも立ち止まる。
「さて。時間を潰した、と言えるほど経ってないけど、どうしようか?」
零くんの意見に、わたしからすぐに答えられる事はない。今食堂に戻っても、やっぱりまだ混んでるだろうし……だからって他に見たいところがあるかと言えば、そんな事もなくて……ロビーで零くんとお話ししていたら、そのまま何時間も経っちゃいそうだし……
しばらくそのまま立ち尽くすわたしを、零くんは急かしたりせず、答えを待ってくれる。だからわたしはゆっくりと考えた。どんな答えを伝えても、零くんは否定なんてしないと知っているから。
そうして考えを纏めて、答えを告げようとした、寸前のところだった。
「きゃあああああああああああっ!?」
どの国の出身だろうと関係ない、女の人の本心からの叫びが聞こえてきたのは……
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